直毘霊 / 聖人もただ賊の為遂げたる者
異國は、本より主の定まれるがなければ、たゞ人もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、亡びうせもする、古よりの風俗なり、さて國を取むと謀りて、えとらざる者をば賊といひて賤しめにくみ、取得たる者をば、聖人といひて尊み仰ぐめり、さればいはゆる聖人もたゞ賊の爲とげたる者にぞ有ける、掛まくも可畏きや吾天皇尊はしも、然るいやしき國々の王どもと、等なみには坐まさず、此御國を生成たまへりし神祖命の、御みづから授賜へる皇統にましまして、天地の始より、大御食國と定まりたる天下にして、大御神の大命にも、天皇惡く坐まさば、莫まつろひそとは詔たまはずあれば、善く坐むも惡く坐むも、側よりうかゞひはかり奉ることあたはず、天地のあるきはみ、月日の照す限は、いく萬代を經ても、動き坐ぬ大君に坐り、故古語にも、當代の天皇をしも神と申して、實に神にし坐ませば、善惡き御うへの論ひをすてゝ、ひたぶるに畏み敬ひ奉仕ぞ、まことの道には有ける、然るを中ごろの世のみだれに、
新字:異国は、本より主の定まれるがなければ、たゞ人もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、亡びうせもする、古よりの風俗なり、さて国を取むと謀りて、えとらざる者をば賊といひて賤しめにくみ、取得たる者をば、聖人といひて尊み仰ぐめり、さればいはゆる聖人もたゞ賊の為とげたる者にぞ有ける、掛まくも可畏きや吾天皇尊はしも、然るいやしき国々の王どもと、等なみには坐まさず、此御国を生成たまへりし神祖命の、御みづから授賜へる皇統にましまして、天地の始より、大御食国と定まりたる天下にして、大御神の大命にも、天皇悪く坐まさば、莫まつろひそとは詔たまはずあれば、善く坐むも悪く坐むも、側よりうかゞひはかり奉ることあたはず、天地のあるきはみ、月日の照す限は、いく万代を経ても、動き坐ぬ大君に坐り、故古語にも、当代の天皇をしも神と申して、実に神にし坐ませば、善悪き御うへの論ひをすてゝ、ひたぶるに畏み敬ひ奉仕ぞ、まことの道には有ける、然るを中ごろの世のみだれに、
書き下し
異国は、本より主の定まれるがなければ、ただ人もたちまち王になり、王もたちまちただ人にもなり、亡び失せもする、古よりの風俗なり。さて国を取らむと謀りて、え取らざる者をば賊と言いて賤しめ憎み、取り得たる者をば、聖人と言いて尊み仰ぐめり。さればいわゆる聖人も、ただ賊の為遂げたる者にぞありける。掛けまくも可畏きや吾が天皇尊はしも、然る卑しき国々の王どもと、等並には坐しまさず、この御国を生み成したまえりし神祖命の、御自ら授け賜える皇統にましまして、天地の始めより、大御食国と定まりたる天の下にして、大御神の大命にも、天皇悪しく坐しまさば、なまつろいそとは詔りたまわずあれば、善く坐しまさむも悪しく坐しまさむも、側より窺い量り奉ることあたわず。天地のあるきわみ、月日の照らす限りは、幾万代を経ても、動き坐さぬ大君に坐せり。故、古語にも、当代の天皇をしも神と申して、実に神にし坐しませば、善悪き御上の論いを捨てて、ひたぶるに畏み敬い仕え奉るぞ、まことの道にはありける。然るを中頃の世の乱れに、
現代語訳
異国は、もとより主が定まっていないので、ただの人もたちまち王になり、王もたちまちただの人にもなり、滅び失せもする、それが昔からの風俗である。さて国を取ろうと謀って取れなかった者を賊と呼んで卑しみ憎み、取り得た者を聖人と呼んで尊び仰ぐようだ。だから、いわゆる聖人も、ただ賊がうまくやり遂げた者なのである。口にするのも畏れ多いわが天皇は、そのような卑しい国々の王たちと同列ではいらっしゃらない。この御国を生み成された神祖が御自ら授けなさった皇統でいらして、天地の始めから、(天皇の)大御食国(お治めになる国)と定まっている天下であって、大御神の御命令にも、天皇が悪くいらしたら従うなとはおっしゃっていないのだから、善くいらっしゃるにせよ悪くいらっしゃるにせよ、傍らから窺いはかり申し上げることはできない。天地のある限り、月日の照らす限り、幾万代を経ても動くことのない大君でいらっしゃる。だから古語にも、今の代の天皇を神と申し上げて、実際に神でいらっしゃるのだから、善し悪しの御身の上の論議を捨てて、ひたすらに畏み敬いお仕えするのが、まことの道なのである。それなのに中頃の世の乱れに、
解説
関連する章句
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『直毘霊』定まれる主なくして異国は、天照大御神の御国にあらざるが故に、定まれる主なくして狭蝿なす神ところを得て、荒ぶるによりて、人心悪しく、ならわし乱りがわしくして、国をし取りつれば、賤しき奴も、たちまちに君ともなれば、上とある人は、下なる人に奪われじと構え、下なるは、上の隙うかがいて、奪わむと図りて、かたみに仇みつつ、古より国治まりがたくなもありける、
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『直毘霊』いともいとも悪き人なりけりそもそも人の国を奪い取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善き人めきて聞こえ、又その作りおきつる道のさまも、うるわしくよろづにたらいて、めでたくは見ゆめれども、まず己からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばえるものにしあれば、みな偽にて、まことはよき人にあらず。いともいとも悪き人なりけり。
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『直毘霊』天つ神の御心を大御心として天の下には荒ぶる神もなく、まつろわぬ人もなく。幾万代を経とも、誰しの奴か、大皇に背き奉らむ、あなかしこ。御代御代の間に、たまたまもまつろわぬ穢き奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威を輝かして、たちまちに打ち滅ぼし給う物ぞ。千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして。御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐します。故、天つ神の御子とも、日の御子とも申せり。天つ神の御心を大御心として。何わざも、己命の御心もてさかしだち賜わずて、ただ神代の古事のままに、行いたまい治め賜いて、疑い思ほす事しある折は、御卜事もて、天つ神の御心を問わして物し給う。神代も今も隔てなく。ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣・連・八十伴緒に至るまで、氏姓を重みして、子孫の八十続き、その家々の職業を受け継がいつつ、祖神たちに異ならず、ただ一世の如くにして、神代のままに仕え奉れり。
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『直毘霊』あわれ聖人と仰がれなましもしまことに天のしわざならましかば、さる僻事はあらましや。さて後世になりては、ようやく人心賢しき故に、国を奪いて天命ぞと言うをば、世人の諾わねば、上辺は譲らせて取ることもあるをば、よからぬことに言うめれど、かの古の聖人どもも、実はこれに異ならぬ物をや。後世の王の命ぞと言うをば、信ぜぬものの、古人の天命をば、まことと心得おるは、いかなる惑いぞも。古は、天命ありて、後にはなきこそおかしけれ。或る人、舜は堯が国を奪い、禹もまた舜が国を奪えりしなりと言えるも、さもあるべきことぞ。後世の王莽・曹操がたぐいも、上辺は譲りを受けて嗣ぎつれども、実は簒えるをもて思えば、舜・禹などもさぞありけむを、上代は朴にして、譲れりと言いなせるを、まことと心得て、国内の人ども、みな欺かれにけらし。かの莽・操が頃は、世人賢しくて、欺かれざりし故に、悪しきしわざの顕れけむ。かれらが如くなる輩も、上代ならましかば、あわれ聖人と仰がれなましものを。
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『直毘霊』もろこしには聖人とぞ云ふなる其が中に、威力あり智り深くて、人をなづけ、人の国を奪い取りて、又人にうばわるまじき事量をよくして、しばし国をよく治めて、後の法ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云うなる。
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『直毘霊』神とさすもの此と彼と其の故は、まず神とさすもの、此と彼と始めより同じからず。かの国にしては、いわゆる天地陰陽の、測りがたく霊しきをさしていうめれば、ただ空しき理りのみにして、たしかに其の物あるにあらず。さて皇国の神は、今の現に天の下知ろしめす天皇の皇祖に坐して、さらにかの空しき理りをいう類にはあらず。
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