直毘霊 / 皇大御国
皇大御國は、掛まくも可畏き神御祖天照大御神の御生坐る大御國にして、萬國に勝れたる所由は、先づこゝにいちじるし。國といふ國に、此大御神の大御德かゞふらぬ國なし。大御神、大御手に天つ璽を捧持して、御代御代に御しるしと傳はり來つる三種の神寶は是ぞ。萬千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ國なりと、ことよさし賜へりしまにま、天津日嗣高御座の、天地の共動かぬことは、旣くこゝに定まりつ。天雲のむかぶすかぎり、谷蟆のさわたるきはみ、皇御孫命の大御食國とさだまりて、
新字:皇大御国は、掛まくも可畏き神御祖天照大御神の御生坐る大御国にして、万国に勝れたる所由は、先づこゝにいちじるし。国といふ国に、此大御神の大御徳かゞふらぬ国なし。大御神、大御手に天つ璽を捧持して、御代御代に御しるしと伝はり来つる三種の神宝は是ぞ。万千秋の長秋に、吾御子のしろしめさむ国なりと、ことよさし賜へりしまにま、天津日嗣高御座の、天地の共動かぬことは、既くこゝに定まりつ。天雲のむかぶすかぎり、谷蟆のさわたるきはみ、皇御孫命の大御食国とさだまりて、
書き下し
皇大御国は、掛けまくも可畏き神御祖天照大御神の、御生れ坐せる大御国にして、万国に勝れたる所以は、先ずここにいちじるし。国という国に、この大御神の大御徳かがふらぬ国なし。大御神、大御手に天つ璽を捧げ持ちて、御代御代に御しるしと伝わり来つる三種の神宝はこれぞ。万千秋の長秋に、吾が御子の知ろしめさむ国なりと、ことよさし賜えりしまにま、天つ日嗣・高御座の、天地の共に動かぬことは、既にここに定まりつ。天雲のむかぶす限り、谷蟆のさ渡るきわみ、皇御孫命の大御食国と定まりて、
現代語訳
皇大御国は、口に出すのも畏れ多い、神なる御祖・天照大御神がお生まれになった国であって、万国に勝れているわけは、まずこの一点にはっきりしている。どの国にも、この大御神の御恵みが及ばない国はない。大御神が御手に天つ璽をお持ちになり、代々の御しるしとして伝えられてきた三種の神宝がこれである。幾千万の長い秋にわたって、わが御子が治める国であるとことを委ねられたそのままに、天つ日嗣と高御座が天地とともに動かないことは、すでにここで定まった。天雲のたなびく限り、谷の蛙の這い渡るきわみまで、皇御孫命の治められる国と定まって、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『直毘霊』天つ神の御心を大御心として天の下には荒ぶる神もなく、まつろわぬ人もなく。幾万代を経とも、誰しの奴か、大皇に背き奉らむ、あなかしこ。御代御代の間に、たまたまもまつろわぬ穢き奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威を輝かして、たちまちに打ち滅ぼし給う物ぞ。千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして。御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐します。故、天つ神の御子とも、日の御子とも申せり。天つ神の御心を大御心として。何わざも、己命の御心もてさかしだち賜わずて、ただ神代の古事のままに、行いたまい治め賜いて、疑い思ほす事しある折は、御卜事もて、天つ神の御心を問わして物し給う。神代も今も隔てなく。ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣・連・八十伴緒に至るまで、氏姓を重みして、子孫の八十続き、その家々の職業を受け継がいつつ、祖神たちに異ならず、ただ一世の如くにして、神代のままに仕え奉れり。
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『直毘霊』当然の理をもて定めむとするかの善人も禍り、悪人も福ゆるたぐい、尋常の理に逆える事の多かるも、皆この神の所為なるを、外国には、神代の正しき伝説なくして、この所以をえ知らざるが故に、ただ天命の説を立てて、何事もみな、当然の理をもて定めむとするこそ、いとおこなれ。然れども、天照大御神高天原に大坐しまして、大御光はいささかも曇りまさず、この世を御照らしましまし、天津御璽はた、はふれまさず伝わり坐して、事依さし賜いしまにまに、天の下は御孫命の知ろしめして。
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『直毘霊』此の道はいかなる道ぞそも此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのずからなる道にもあらず。是をよく弁え別けて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思いまがえそ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまいて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまい、たもちたまい、伝え賜う道なり。故に是を以て神の道とは申すぞかし。
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『直毘霊』神とさすもの此と彼と其の故は、まず神とさすもの、此と彼と始めより同じからず。かの国にしては、いわゆる天地陰陽の、測りがたく霊しきをさしていうめれば、ただ空しき理りのみにして、たしかに其の物あるにあらず。さて皇国の神は、今の現に天の下知ろしめす天皇の皇祖に坐して、さらにかの空しき理りをいう類にはあらず。
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『直毘霊』天津日嗣の高御座天津日嗣の高御座は。天皇の御統を日嗣と申すは、日神の御心を御心として、その御業を嗣ぎ坐すが故なり。またその御座を高御座と申すは、ただに高き由のみにあらず、日神の御座なるが故なり。日には、高照とも高日とも日高とも申す古語のあるを思え。さて日神の御座を、次々に受け伝え坐して、その御座に大坐します天皇命にませば、日神に等しく坐すこと決し。かかれば、天津日神の大御慈しみを蒙らむ者は、誰しか天皇命には、畏み敬び尊みて、仕え奉らざらむ。天地のむた、常盤に堅盤に動く世なきぞ、この道の霊く奇しく、異国の万の道に優れて、正しき高き貴き徴なりける。
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『直毘霊』漢籍の神道と皇国の神道されば彼の漢籍なる神道は、測り難くあやしき道という心、皇国の神道は、皇祖神の、始め賜い保ち賜う道ということにて、其の意いたく異なるをや。さて其の道の意は、此の記をはじめ、諸々の古書どもをよく味わい見れば、今もいとよく知らるるを、世々の物知り人どもの心も、皆禍津日神にまじこりて、唯唐書にのみ惑いて、思いと思い、言いと言うことは、皆仏と漢との意にして、まことの道の心をば、え悟らずなもある。

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