直毘霊 / 当然の理をもて定めむとする
かの善人も禍り、惡人も福ゆるたぐひ尋常の理にさかへる事の多かるも、皆此神の所爲なるを、外國には、神代の正しき傳說なくして、此所由をえしらざるが故に、たゞ天命の說を立て、何事もみな、當然理を以て定めむとするこそ、いとをこなれ。然れども、天照大御神高天原に大坐々て、大御光はいさゝかも曇りまさず、此世を御照しましまし、天津御璽はた、はふれまさず傳はり坐て、事依し賜ひしまにまに、天の下は御孫命の所知食て。
新字:かの善人も禍り、悪人も福ゆるたぐひ尋常の理にさかへる事の多かるも、皆此神の所為なるを、外国には、神代の正しき伝説なくして、此所由をえしらざるが故に、たゞ天命の説を立て、何事もみな、当然理を以て定めむとするこそ、いとをこなれ。然れども、天照大御神高天原に大坐々て、大御光はいさゝかも曇りまさず、此世を御照しましまし、天津御璽はた、はふれまさず伝はり坐て、事依し賜ひしまにまに、天の下は御孫命の所知食て。
書き下し
かの善人も禍り、悪人も福ゆるたぐい、尋常の理に逆える事の多かるも、皆この神の所為なるを、外国には、神代の正しき伝説なくして、この所以をえ知らざるが故に、ただ天命の説を立てて、何事もみな、当然の理をもて定めむとするこそ、いとおこなれ。然れども、天照大御神高天原に大坐しまして、大御光はいささかも曇りまさず、この世を御照らしましまし、天津御璽はた、はふれまさず伝わり坐して、事依さし賜いしまにまに、天の下は御孫命の知ろしめして。
現代語訳
あの、善人も禍いにあい、悪人も栄えるような、普通の道理に逆らう事が多いのも、みなこの神(禍津日神)のしわざであるのに、外国には神代の正しい伝えがなくて、そのわけを知ることができないために、ただ天命の説を立てて、何事もみな当然の理屈で決めようとするのは、まことに愚かである。けれども、天照大御神が高天原においでになって、その大御光は少しも曇ることなく、この世をお照らしになり、天津御璽(三種の神器)もまた失われることなく伝わっておいでになって、(大御神が)お委ねになったとおりに、天の下は御孫命(天皇)がお治めになって、
解説
関連する章句
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『直毘霊』禍津日神禍津日神の御心のあらびはしも、せむすべなく、いとも悲しきわざにぞありける。世間に、物あしくそこないなど、凡て何事も、正しき理のままにはえあらずて、邪なることも多かるは、皆この神の御心にして、甚く荒び坐す時は、天照大御神・高木の大神の大御力にも、制みかね賜うおりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。
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『直毘霊』吉凶き万事は神の御所為古の大御代に、その道を借らずて、いとよく治まりしを思え。そもそもこの天地の間に、有りとある事は、悉皆に神の御心なる中に。およそこの世の中の事は、春秋の行き変わり、雨降り風吹くたぐい、また国の上人の上の、吉凶き万事、みなことごとに神の御所為なり。さて神には、善きもあり悪しきもありて、所行もそれに従うなれば、大方尋常の理をもては、測りがたきわざなりかし。然るを世人、賢きも愚かなるもおしなべて、外国の道々の説にのみ惑い果てて、この意をえ知らず。皇国の学問する人などは、古書を見て、必ず知るべきわざなるを、さる人どもだに、え弁え知らざるは、いかにぞや。抑吉凶き万の事を、あだし国にて、仏の道には因果とし、漢の道々には天命と言いて、天のなすわざと思えり。これらみな僻事なり。そが中に仏道の説は、多く世の学者の、よく弁えつることなれば、今言わず。漢国の天命の説は、賢き人もみな惑いて、いまだ僻事なることを悟れる人なければ、今これを論い悟さむ。
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『直毘霊』天つ神の御心を大御心として天の下には荒ぶる神もなく、まつろわぬ人もなく。幾万代を経とも、誰しの奴か、大皇に背き奉らむ、あなかしこ。御代御代の間に、たまたまもまつろわぬ穢き奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威を輝かして、たちまちに打ち滅ぼし給う物ぞ。千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして。御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐します。故、天つ神の御子とも、日の御子とも申せり。天つ神の御心を大御心として。何わざも、己命の御心もてさかしだち賜わずて、ただ神代の古事のままに、行いたまい治め賜いて、疑い思ほす事しある折は、御卜事もて、天つ神の御心を問わして物し給う。神代も今も隔てなく。ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣・連・八十伴緒に至るまで、氏姓を重みして、子孫の八十続き、その家々の職業を受け継がいつつ、祖神たちに異ならず、ただ一世の如くにして、神代のままに仕え奉れり。
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『直毘霊』禍津日神の心はあやしき物この道に背きて、畏くも大朝廷に射向いて、天皇尊を悩まし奉れりし、北条義時・泰時、また足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭をも思い量らざる穢悪き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世人の靡き従いて、子孫の末まで、しばらく栄え居しことよ。そもそもこの世を御照らし坐します天津日神をば、必ず尊み奉るべきことを知れども、天皇を必ず畏み奉るべきことをば、知らぬ奴も世にありけるは、漢籍意に惑いて、彼の国の乱りなる風俗を、賢きことに思いて、正しき皇国の道をえ知らず、今世を照らしまします天津日神、即ち天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなわち天照大御神の御子に坐しますことを忘れたるにこそ。
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『直毘霊』皇大御国皇大御国は、掛けまくも可畏き神御祖天照大御神の、御生れ坐せる大御国にして、万国に勝れたる所以は、先ずここにいちじるし。国という国に、この大御神の大御徳かがふらぬ国なし。大御神、大御手に天つ璽を捧げ持ちて、御代御代に御しるしと伝わり来つる三種の神宝はこれぞ。万千秋の長秋に、吾が御子の知ろしめさむ国なりと、ことよさし賜えりしまにま、天つ日嗣・高御座の、天地の共に動かぬことは、既にここに定まりつ。天雲のむかぶす限り、谷蟆のさ渡るきわみ、皇御孫命の大御食国と定まりて、
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『直毘霊』火の穢れを忌む然ある物なれば、悪しきわざする人も福え、善き事する人も、禍ることある、世の常なり、されば神は理の、当不をもて、思い量るべきものにあらず、唯その御怒りを畏みて、ひたぶるに斎き奉るべきなり、されば祭るにも、その心ばえ有りて、いかにも其の神の歓び坐すべきわざをなも為べき、そはまず万を斎み忌み清まわりて、穢れ悪しきをあらせず、堪えたる限り美し好き物多に献り、或いは琴弾き笛吹き歌い舞いなど、面白きわざをして祭る、これ皆神代の例にして古えの道なり、然るを唯心の至り至らぬをのみ言いて、献る物にも為すわざにも拘わらぬは、漢意の僻事なり、さて又神を祭るには、何わざよりも先ず火を重く忌み清むべきこと、神代の書の黄泉の段を見て知るべし、是は神事のみにもあらず、大方常にも慎むべく、必ず濫りにすまじきわざなり、もし火穢るるときは、禍津日神所を得て、荒び坐す故に、世の中に万の禍事は起こるぞかし、かかれば世のため民のためにも、なべて天下に、火の穢れは忌まほしきわざなり、今の代には唯神事の折、
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