直毘霊 / 道てふ言なく道ありしなりけり
下が下までみだるゝことなく、天の下は穩に治りて、天津日嗣いや遠長に傳はり來坐り。さればかの異國の名にならひていはば、是れぞ上もなき優たる大き道にして、實は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。
新字:下が下までみだるゝことなく、天の下は穏に治りて、天津日嗣いや遠長に伝はり来坐り。さればかの異国の名にならひていはば、是れぞ上もなき優たる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。
書き下し
下が下まで乱るることなく、天の下は穏に治りて、天つ日嗣いや遠長に伝わり来坐り。さればかの異国の名にならいて言わば、これぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。
現代語訳
下々に至るまで乱れることがなく、天下は穏やかに治まって、皇位は遠く長く伝わってきた。だから、あの外国の呼び方に倣って言うなら、これこそこの上なく優れた大きな道であって、実は道があるからこそ道という語がなく、道という言葉はないけれども、道はあったのである。
解説
直毘霊の中で最もよく引かれる一句である。「実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり」。名がないことを欠如ではなく充足の証拠として読み替える。この論法は、前段の「才の優れた人は言い立てず、なまなかの者ほど些細なことを言い立てて誇る」という譬えに支えられている。中国に道という語が溢れているのは、道が乏しいからだ、と。宣長がここで対比しているのは、名づけて掲げる文化と、名づけずに続ける文化である。掲げないものをどう受け継ぐのか、という問いはこの立場に必ずついてくる。宣長自身、古事記の言葉を一語ずつ読み解くことでそれに答えようとした。
この章句が説くこと
道てふ言なく道ありき言挙げ名と実上もなき優れたる大き道