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直毘霊 / 人は鳥虫に劣れりとや

世中に生としいける物、鳥蟲に至るまでも、己が身のほどほどに必あるべきかぎりのわざは、產巢日神のみたまに賴て、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか勝れたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其上をなほ强ることのあらむ、敎によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥蟲におとれりとやせむ、いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べきかぎりを過て、なほきびしく敎へたてむとせる强事なれば、まことの道にかなはず、故口には人みなことごとしく言ながら、まことに然行ふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふはいたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず、そもそもその人慾といふ物は、

新字:世中に生としいける物、鳥虫に至るまでも、己が身のほどほどに必あるべきかぎりのわざは、産巣日神のみたまに頼て、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか勝れたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其上をなほ強ることのあらむ、教によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥虫におとれりとやせむ、いはゆる仁義礼譲孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、教をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき国を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べきかぎりを過て、なほきびしく教へたてむとせる強事なれば、まことの道にかなはず、故口には人みなことごとしく言ながら、まことに然行ふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふはいたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず、そもそもその人慾といふ物は、

書き下し

世の中に生きとし生ける物、鳥虫に至るまでも、己が身のほどほどに必ずあるべき限りのわざは、産巣日神の御霊に頼りて、自ずからよく知りて為すものなる中にも、人は殊に優れたる物と生まれつれば、又しか優れたるほどに適いて、知るべき限りは知り、すべき限りはする物なるに、いかでか其の上を猶強いることのあらん、教えによらずては、え知らずえせぬものと言わば、人は鳥虫に劣れりとやせん、いわゆる仁義礼譲孝悌忠信の類、皆人の必ずあるべきわざなれば、あるべき限りは、教えを借らざれども、自ずからよく知りて為すことなるに、彼の聖人の道は、もと治まり難き国を、強いて治めんとして作れる物にて、人の必ず有るべき限りを過ぎて、猶厳しく教え立てんとせる強い事なれば、まことの道に適わず、故口には人皆事々しく言いながら、まことに然行う人は、世々にいと有り難きを、天理のままなる道と思うはいたく違えり、又其の道に背ける心を、人欲と言いて憎むも、心得ず、そもそも其の人欲という物は、

現代語訳

世の中に生きとし生けるものは、鳥や虫に至るまで、自分の身の程に応じて必ずあるべきかぎりの業は、産巣日神の御霊に頼って、おのずからよく知って行うものであるが、その中でも人はとりわけ優れたものとして生まれたのだから、またその優れた程度にふさわしく、知るべきかぎりは知り、すべきかぎりはするものである。どうしてその上をさらに強いることがあろうか。教えによらなければ知ることもできず行うこともできないと言うなら、人は鳥や虫より劣っているとでもいうのか。いわゆる仁・義・礼・譲・孝・悌・忠・信の類は、みな人に必ずあるべき業であるから、あるべきかぎりは、教えを借りなくても、おのずからよく知って行うことなのに、あの聖人の道は、もともと治まりにくい国を無理に治めようとして作ったものであって、人に必ずあるべきかぎりを越えて、さらに厳しく教え立てようとした無理強いであるから、まことの道にかなわない。だから口では人はみな仰々しく言いながら、本当にそのとおり行う人は、代々まことにまれであるのに、それを天理のままの道と思うのは大きな誤りである。また、その道に背く心を人欲と言って憎むのも納得できない。そもそもその人欲というものは、

解説

前段の結び「人は生まれながらに知る」を展開した自注である。鳥や虫でさえ産巣日神の霊によって生きる術を知っているのだから、優れて生まれた人が教えなしに何もできないはずがない。仁義礼譲孝悌忠信も、あるべきかぎりは自ずと行える。儒教の道は治めにくい国を無理に治めるために、その限度を超えて教え立てた「強事」であり、だから口では唱えても実行する者はまれだと宣長は見る。そして朱子学が立てる「天理」と「人欲」の対立そのものに疑問を投げかけていく。教えで人を型にはめようとするほど、かえって建前と本音が離れていくことはないだろうか。

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