直毘霊 / いともいとも悪き人なりけり
そもそも人の國を奪ひ取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善き人めきて聞え、又その作りおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己からその道に背きて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みな僞にて、まことはよき人にあらず。いともいとも惡き人なりけり。
新字:そもそも人の国を奪ひ取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善き人めきて聞え、又その作りおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばへるものにしあれば、みな偽にて、まことはよき人にあらず。いともいとも悪き人なりけり。
書き下し
そもそも人の国を奪い取らむとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつつ、善きことのかぎりをして、諸人をなつけたる故に、聖人はまことに善き人めきて聞こえ、又その作りおきつる道のさまも、うるわしくよろづにたらいて、めでたくは見ゆめれども、まず己からその道に背きて、君をほろぼし、国をうばえるものにしあれば、みな偽にて、まことはよき人にあらず。いともいとも悪き人なりけり。
現代語訳
そもそも人の国を奪い取ろうと謀るには、あらゆることに心を砕き、身を苦しめながら、善いことの限りを尽くして人々を手なずける。だから聖人は、いかにも善い人のように聞こえる。またその作りおいた道のありさまも、美しく行き届いていて立派に見える。けれども、まず自分からその道に背いて、君を滅ぼし国を奪った者なのだから、すべて偽りであって、本当はよい人ではない。この上なく悪い人なのである。
解説
善く見えるのは、奪うために善くしたからだ——宣長の論法の核心である。人を手なずけるには、あらゆる善行を尽くさねばならない。だから聖人は善人に見える。だが本人がまず自分の作った道に背いて君を滅ぼしている以上、その善さは手段であって偽りだ、と。ここは古語拾遺が「動機と結果を両方量れ」と言ったのと逆で、宣長は動機一本で断ずる。断定の強さこそがこの書の性格でもある。実際、儒者の市川匡が『まがのひれ』を書いてこれに反論し、宣長は『くずばな』で応じた。上田秋成との論争『呵刈葭』も同じ時期のもので、当時から激しい賛否のあった文章である。
この章句が説くこと
聖人は善き人めきて聞こゆ己からその道に背く偽り断定