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直毘霊 / 禍津日神の心はあやしき物

此道に背きて畏くも大朝廷に射向ひて、天皇尊をなやまし奉れりし、北條義時泰時、又足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭をもおもひはからざる穢惡き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世人のなびき從ひて、子孫の末まで、しばらく榮え居しことよ、抑此世を御照し坐ます天津日神をば、必たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必畏こみ奉るべきことをば、しらぬ奴もよにありけるは、漢籍意にまどひて彼國のみだりなる風俗を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日神卽天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐ますことを忘れたるにこそ。

新字:此道に背きて畏くも大朝廷に射向ひて、天皇尊をなやまし奉れりし、北条義時泰時、又足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭をもおもひはからざる穢悪き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世人のなびき従ひて、子孫の末まで、しばらく栄え居しことよ、抑此世を御照し坐ます天津日神をば、必たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必畏こみ奉るべきことをば、しらぬ奴もよにありけるは、漢籍意にまどひて彼国のみだりなる風俗を、かしこきことにおもひて、正しき皇国の道をえしらず、今世を照しまします天津日神即天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐ますことを忘れたるにこそ。

書き下し

この道に背きて、畏くも大朝廷に射向いて、天皇尊を悩まし奉れりし、北条義時・泰時、また足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭をも思い量らざる穢悪き賊奴どもなりけるに、禍津日神の心はあやしき物にて、世人の靡き従いて、子孫の末まで、しばらく栄え居しことよ。そもそもこの世を御照らし坐します天津日神をば、必ず尊み奉るべきことを知れども、天皇を必ず畏み奉るべきことをば、知らぬ奴も世にありけるは、漢籍意に惑いて、彼の国の乱りなる風俗を、賢きことに思いて、正しき皇国の道をえ知らず、今世を照らしまします天津日神、即ち天照大御神にましますことを信ず、今の天皇、すなわち天照大御神の御子に坐しますことを忘れたるにこそ。

現代語訳

(中頃の世の乱れに、)この道に背いて、畏れ多くも朝廷に弓を引き、天皇を悩まし申し上げた北条義時・泰時、また足利尊氏などのような者は、ああ畏れ多い、天照大御神の御恩をも思わない汚れた賊どもであったのに、禍津日神の心は不可思議なもので、世の人がなびき従って、子孫の末までしばらく栄えていたことよ。そもそもこの世をお照らしになる天津日神(太陽の神)を必ず尊び申し上げるべきことは知っていても、天皇を必ず畏れ敬い申し上げるべきことを知らない奴が世にいたのは、漢籍の心に惑わされて、あの国の乱れた風俗を立派なことと思い、正しい皇国の道を知ることができず、今の世を照らしておいでの天津日神がすなわち天照大御神でいらっしゃることは信じていても、今の天皇がすなわち天照大御神の御子でいらっしゃることを忘れてしまったからである。

解説

宣長は具体的な名を挙げる。承久の乱で後鳥羽上皇の軍を破り三上皇を配流した北条義時と泰時、後醍醐天皇に背いた足利尊氏である。彼らは朝廷に弓を引いた「穢悪き賊奴」なのに、子孫の代まで栄えた。それを宣長は、禍津日神の心は不可思議なものだから、と説明する。悪が栄えるという理不尽を、天命ではなく禍津日神の荒びとして受け止める立場が、ここで歴史に当てはめられている。自注では、日の神を尊ぶことは知っていても、天皇がその御子であることを忘れた者がいるのは、漢籍の心に惑わされたからだ、と論じる。武家政権へのこの評価は、後の尊王論に受け継がれた。悪が長く栄える現実を前にして、人はそれをどう理解すればよいのだろうか。

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