直毘霊 / 神の道と名づけらる
然るをやゝ降りて、書籍といふ物渡り參來て、其を學びよむ事始まりて後、其の國のてぶりをならひて、やゝ萬のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御國の古の大御てぶりをば、取別けて神の道とはなづけられたりける。そはかの外國の道々にまがふがゆゑに、神といひ、又かの名を借りて、こゝにも道とはいふなりけり。
新字:然るをやゝ降りて、書籍といふ物渡り参来て、其を学びよむ事始まりて後、其の国のてぶりをならひて、やゝ万のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御国の古の大御てぶりをば、取別けて神の道とはなづけられたりける。そはかの外国の道々にまがふがゆゑに、神といひ、又かの名を借りて、こゝにも道とはいふなりけり。
書き下し
然るをやや降りて、書籍という物渡り参り来て、それを学びよむ事始まりて後、其の国のてぶりをならいて、やや万のうえにまじえ用いらるる御代になりてぞ、大御国の古の大御てぶりをば、取り別けて神の道とは名づけられたりける。そはかの外国の道々にまがうがゆえに、神といい、又かの名を借りて、ここにも道とはいうなりけり。
現代語訳
ところが時代が下って、書籍というものが渡って来て、それを学び読むことが始まってから、あちらの国のやり方を習い、しだいに万事にまじえて用いる御代になって、この国の古くからのやり方を、とりわけて「神の道」と名づけるようになった。それは、あの外国の道々と紛れるから「神」といい、またあちらの語を借りて、こちらでも「道」と呼んだのである。
解説
神道という名がいつどうしてできたかを、宣長は淡々と説明する。もともと名はなかった。書籍が渡り、あちらのやり方が入ってきて混ざるようになったから、区別するために「神」を冠し、あちらの「道」という語を借りた。つまり神道という言葉自体が、外来のものとの対比から生まれた借り物だ、というのである。自分が擁護しようとしているものの名の由来を、こう突き放して書けるのが宣長の学者としての強さだろう。名は後からついたが中身は先にあった、というのがここでの主張で、前の「道てふ言なく道ありき」と対になっている。
この章句が説くこと
神の道という名書籍渡り来て名を借りる外来との対比