直毘霊 / 言痛き教えも何もなかりしかど
故皇國の古は、さる言痛き敎も何もなかりしかど、
新字:故皇国の古は、さる言痛き教も何もなかりしかど、
書き下し
故、皇国の古は、さる言痛き教えも何もなかりしかど、
現代語訳
だから皇国(日本)の古には、そのような仰々しい教えも何もなかったけれども、(下々まで乱れることなく、天の下は穏やかに治まっていた)
解説
中国が細かな教えを積み重ねるほど乱れていったのに対し、日本の古にはそうした「言痛き教え」、口やかましい教えが何もなかった、と宣長は対比を示す。この句は、次に続く「下が下まで乱るることなく、天の下は穏に治まりて」の前置きであり、教えがなかったのに治まっていたという逆説が、「道あるが故に道てふ言なく」の結論へとつながっていく。「言痛し」は言葉がうるさい、仰々しいという意味の古語で、宣長が儒学の徳目を評するときに好んで使う語である。教えがあることを文明の証とみなす儒者の常識を、宣長は裏返してみせる。規則や教えが少ないのにうまく回っている集団には、何が働いているのだろうか。
関連する章句
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『直毘霊』何の道くれの道これを置きては、上代に、道というものはなかりしぞかし。物のことわりあるべきすべ、万の教えごとをしも、何の道くれの道ということは、異国のさだなり。
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『直毘霊』道てふ言なく道ありしなりけり下が下まで乱るることなく、天の下は穏に治りて、天つ日嗣いや遠長に伝わり来坐り。さればかの異国の名にならいて言わば、これぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。
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『直毘霊』言挙せずとはそをことごとしく言い挙ぐると、然らぬとのけじめを思え。言挙せずとは、あだし国の如、こちたく言立つることなきを言うなり。
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『直毘霊』国を乱すたねされば聖人の道は、国を治めむために作りて、かえりて国を乱すたねともなる物ぞ。すべて何わざも、大らかにして事足りぬることは、さてあるこそよけれ。
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『直毘霊』道といふ言挙もさらになかりき上つ代の大御世には、道という言挙もさらになかりき。故に古語に、あしはらの水穂の国は、神ながら言挙せぬ国といえり。それはただ物にゆく道こそ有りけれ。美知とは、この記に味御路と書けるごとく、山路・野路などの路に、御てふ言を添えたるにて、ただ物にゆく路ぞ。
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『直毘霊』直く清かりし心いともめでたき大御国の道をおきながら、他国のさかしく言痛き意行をよきこととして、ならい学べるから、直く清かりし心も行いも、みな穢く悪くまがりゆきて、後ついには、かの他国のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、国は治まりがたき物ぞと思うめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の弊なることを、え悟らぬなり。
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