直毘霊 / 言挙せずとは
そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、言擧せずとは、あだし國のごと、こちたく言たつることなきを云なり、
新字:そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、言挙せずとは、あだし国のごと、こちたく言たつることなきを云なり、
書き下し
そをことごとしく言い挙ぐると、然らぬとのけじめを思え。言挙せずとは、あだし国の如、こちたく言立つることなきを言うなり。
現代語訳
(道があるのに)それを仰々しく言い立てるのと、そうしないのとの違いを考えよ。「言挙げせず」というのは、よその国のように、仰々しく言葉に立てて言うことがないのをいうのである。
解説
「言挙げせぬ国」という古語を、宣長はここで自ら注解する。言挙げせずとは、異国のように仰々しく言い立てないことだ、と。『万葉集』には柿本人麻呂歌集の「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」という歌があり、宣長はこれを日本の古のありようを示す証として重んじた。道があってもそれを事々しく言い上げるか否か、その「けじめ」を思えと言うのは、道がないのではなく、あるのに言わないのだという主張の念押しである。言葉にして掲げることを美徳とする儒学への反論であり、同時に、日本にも道があると無理に言い立てる同時代の学者への批判でもある。大切なことほど言葉にしないほうがよいのは、どんな場面だろうか。
関連する章句
-
『直毘霊』言痛き教えも何もなかりしかど故、皇国の古は、さる言痛き教えも何もなかりしかど、
-
『直毘霊』道といふ言挙もさらになかりき上つ代の大御世には、道という言挙もさらになかりき。故に古語に、あしはらの水穂の国は、神ながら言挙せぬ国といえり。それはただ物にゆく道こそ有りけれ。美知とは、この記に味御路と書けるごとく、山路・野路などの路に、御てふ言を添えたるにて、ただ物にゆく路ぞ。
-
『直毘霊』何の道くれの道これを置きては、上代に、道というものはなかりしぞかし。物のことわりあるべきすべ、万の教えごとをしも、何の道くれの道ということは、異国のさだなり。
-
『直毘霊』道てふ言なく道ありしなりけり下が下まで乱るることなく、天の下は穏に治りて、天つ日嗣いや遠長に伝わり来坐り。さればかの異国の名にならいて言わば、これぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。
-
『直毘霊』現御神と大八洲国しろしめすかれ現御神と大八洲国しろしめすと申すも、その御世御世の天皇の御政、やがて神の御政なる意なり。万葉集の歌などに、神随云云とあるも、同じ心ぞ。神国と韓人の申せりしも、諾にぞありける。古
-
『直毘霊』惟神神ながら安国と、平けく知ろしめしける大御国になもありければ、書紀の難波の長柄の朝廷の御巻に、惟神とは神道に随い給いて、自ずから神道有るを謂う也とあるを、よく思うべし。神の道に随うとは、天の下治め賜う御しわざは、ただ神代より有り来しまにまに物し賜いて、いささかもさかしらを加え給うことなきをいう。さてしか神代のまにまに、大らかに知ろしめせば、おのずから神の道はたらいて、他に求むべきことなきを、自ずから神道有りとはいうなりけり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る