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直毘霊 / 此の道はいかなる道ぞ

そも此道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず。是をよく辨別へて、かの漢國の老莊などが見と、ひとつにな思ひまがへそ、人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御產巢日神の御靈によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまひて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまひ、たもちたまひ、傳へ賜ふ道なり。故是以神の道とは申すぞかし。

新字:そも此道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず。是をよく弁別へて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思ひまがへそ、人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまひて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまひ、たもちたまひ、伝へ賜ふ道なり。故是以神の道とは申すぞかし。

書き下し

そも此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのずからなる道にもあらず。是をよく弁え別けて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思いまがえそ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に、此の大神のみたまより成れり。神祖伊邪那岐大神・伊邪那美大神の始めたまいて、よのなかにあらゆる事も物も、此の二柱の大神よりはじまれり。天照大御神の受けたまい、たもちたまい、伝え賜う道なり。故に是を以て神の道とは申すぞかし。

現代語訳

そもそもこの道は、どういう道かと尋ねるなら、天地がおのずからそうであるという道でもない。ここをよくわきまえて分け、あの中国の老荘などの見方と、一つに思い違えてはならない。また人が作った道でもない。この道は、畏れ多くも高御産巣日神の御霊によって、世の中のあらゆる事も物も、ことごとくこの大神の御霊から成った。神なる祖の伊邪那岐大神・伊邪那美大神が始められて、世の中のあらゆる事も物も、この二柱の大神から始まった。それを天照大御神が受けられ、保たれ、伝えられる道である。だからこれを神の道と申すのである。

解説

宣長の「神の道」の定義が、ここで正面から述べられる。二つを否定してから始めるのが特徴である。天地がおのずからそうである道でもない——これは老荘の自然を退けている。人が作った道でもない——これは儒家の聖人の道を退けている。自然でも人為でもない第三のもの、すなわち神が始め、伝えた道だ、と。老荘と混同するな、とわざわざ断っているのは、無為自然を説く点で似て見えることを彼自身が承知していたからだろう。宣長にとって道とは、体系でも原理でもなく、始めた者と伝えた者の連なりである。だから根拠は理屈ではなく、古事記という伝えの側にしか置かれない。

この章句が説くこと

神の道の定義天地のおのずからなる道にあらず人の作れる道にあらず高御産巣日神

この一句を、あなたの毎日に。

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