「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。
二宮尊徳の言葉として、たいへんよく引かれます。経営者向けの講演でも、社内報でも、名刺の裏でも見かけます。短くて、対句になっていて、耳に残る。よくできた言葉です。
ただ、尊徳がそう言った記録は見つかりません。
師導は『二宮翁夜話』全五巻および続篇、二百八十一話・約十一万四千字を全文で収めています。この全文に「犯罪」という語は一度も出てきません。「道徳なき」も「経済なき」も、ゼロです。弟子が本人の言葉として筆録した本のなかに、この対句は存在しない。
では尊徳は、道徳と経済について何も言わなかったのか。そんなことはありません。むしろ逆で、その二つを一本にすることが、彼の生涯の仕事のすべてでした。ただし彼の言い方は、標語ではありませんでした。もっと地味で、もっと具体的で、そして読んだ古典に根が張っていました。
この記事では、尊徳が実際に何を読み、その本をどう使い、道徳と経済についてどう言ったのかを、原文で辿ります。名言集ではありません。出どころを一つずつ確かめていく記事です。
二宮尊徳とは、何をした人か
二宮尊徳(にのみや そんとく、一七八七〜一八五六)。通称は金次郎。相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市)の農家に生まれました。
酒匂川の氾濫で田畑を失い、十代で両親を亡くし、伯父の家に身を寄せます。そこから荒地を借りて耕し、捨て苗を拾って植え、少しずつ田を買い戻して二宮家を再興しました。この経験が、のちの仕事のすべての原型になります。
その手腕を見込まれて小田原藩家老・服部家の家政再建を任され、続いて藩主大久保家の分家が治める下野国桜町領(現在の栃木県真岡市)の復興を任されます。人口が減り、田が荒れ、年貢が入らなくなった領地です。尊徳はここに移り住み、二十年近くかけて立て直しました。以後、依頼は諸藩・諸村に広がり、最終的には数百の村の再建に関わったと伝えられます。晩年は幕府に登用され、日光神領の復興計画にあたる途中、下野国今市で没しました。
彼が使った方法を「報徳仕法(ほうとくしほう)」と呼びます。その徳目は至誠・勤労・分度・推譲の四つとして数えられますが、実務の骨格は「分度(ぶんど)」と「推譲(すいじょう)」の二つです。この記事でも、その二つを中心に見ていきます。
なお本記事が原文の典拠にするのは『二宮翁夜話』です。尊徳の門人・福住正兄(ふくずみ まさえ)が、師のもとで聞いた話を書き留めたもので、明治十七年に刊行されました。尊徳自身が書いた本ではなく、弟子の筆録であるという点は、最初に断っておきます。
一、名言ではなく、本人の言葉を探す
まず、いちばん近いものから見ましょう。
『二宮翁夜話』二百八十一話のうち、「道徳」と「経済」の両方が同じ話に出てくるのは、たった一話だけです。巻之五の、次の話です。
【原文】翁曰、学者書を講ずる悉しといへども、活用する事を知らず、徒らに仁は云々義は云々と云り、故に社会の用を成さず、只本読みにて、道心法師の誦経するに同じ、古語に、権量を謹み法度を審にす、とあり、是大切の事なり、之を天下の事とのみ思ふ故に用をなさぬ也、天下の事などは差置て、銘々己が家の権量を謹み、法度を審にするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり
「学者は書物の講釈にはくわしいが、それを使うことを知らない。むやみに仁がどうの義がどうのと言うばかりだから、社会の役に立たない。ただの本読みで、修行僧が経を読むのと同じだ」。
痛烈です。そのうえで彼が挙げるのが「権量を謹み法度を審にす」――度量衡をきちんとし、きまりを明らかにする、という一句です。そしてこう続けます。「これを天下国家のこととばかり思うから役に立たない。天下のことなどはさておいて、めいめいが自分の家の度量衡を謹み、きまりを明らかにすることこそ肝要だ。これが道徳と経済のもとである。」
「道徳経済の元」。尊徳が道徳と経済を一語でつないだ、確認できるただ一箇所です。そしてその中身は、標語ではありません。
【原文】家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、此作徳何拾円と取調べて分限を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算を立る、是己が家の権量、己が家の法度なり、是を審にし、之を慎んで越えざるこそ、家を斉ふるの元なれ、家に権量なく法度なき、能久きを保んや。
農家なら田畑が何町何反で収入がいくらかを調べて限度を決める。商家なら前年の売上を調べて今年の予算を立てる。それが「自分の家の度量衡」であり「自分の家のきまり」だ、と。
道徳なき経済は犯罪である、とは言っていません。言っているのは、予算を立てて、それを越えるなです。
そのほうが、はるかに実務的です。そして、はるかに難しい。
出典:二宮翁夜話 巻之五
二、尊徳が読んだ本 ― 数えるとこうなる
「愛読書」と題した以上、何を読んだかをはっきりさせます。
尊徳については、幸いなことに推測に頼る必要がありません。『二宮翁夜話』の本文に、書名がそのまま出てくるからです。全二百八十一話を検索すると、こうなります。
- 『論語』 ……二十一話
- 『中庸』 ……十三話
- 『大学』 ……十一話
- 『老子』 ……二話
- 『孟子』 ……一話
(「中庸」「大学」は徳目や学問一般を指す語としても使われるため、この数はやや多めに出ます。それでも順位の傾向は動きません。)
つまり四書、なかでも『論語』『中庸』『大学』。加えて、右の一覧には出ませんが、彼は『書経』の一句を最も繰り返し噛み砕いています(後述)。仏教への言及も五十五話にのぼり、神道にも触れます。ただし引用の道具として使うのは、圧倒的に儒家の経書です。
薪を背負って本を読む少年像が全国の小学校に建ったのは、尊徳の死からかなり後のことで、あの像が手にしている書物は『大学』だと説明されるのが通例です。像そのものは後世の造形ですが、「大学を読んでいた」という説明の向きは、少なくとも夜話の本文と矛盾しません。
以下、彼がそれらの本を「どう使ったか」を見ていきます。使い方のほうが、書名より雄弁です。
三、読み方 ― 「四海を一村と読み、天禄は作徳と読べし」
尊徳の読書法が、いちばんはっきり出ている一話です。
彼はまず『書経』大禹謨の十六字を引きます。朱子学が「十六字心伝」と呼んで重んじた、有名な一句です。
【白文】人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中
(人の欲に基づく心は危うく、道理に基づく心はかすかである。だから心を研ぎ澄まし、ひたすら純一にして、まことにその中を執れ。)
出典:尚書 大禹謨
普通の講義なら、ここで人心と道心の説明が始まります。尊徳は違いました。
【原文】然といへども、儒者の如く講じては、今日上、何の用にもたゝぬ故、今汝等が為に、分り安く読て聞せん、支那の咄しと思て、迂闊に聞ず、能く肝に銘ぜよ、人心惟危し道心惟微なりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云事なり
「儒者のように講義したのでは、今日ただいま何の役にも立たない。だからお前たちのために、分かりやすく読んで聞かせよう。よその国の話だと思って、うっかり聞くな。」
そして「人心は危うく道心は微かなり」を、こう訳します。「身勝手にすることは危ないぞ、他人のためにすることは嫌になるものだぞ、ということだ。」
続く「惟精惟一、允執厥中」は、こうです。
【原文】惟精惟一允に其中を執れとは、能精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲て、一村の衰へざる様、一村の益々富み益々栄える様に勉強せよ、と云事なり
心を純一に保て、が「二百石の者は百石で暮らせ」になる。ここまで踏み込む注釈は、儒学の側にはまずありません。
そして締めくくりが、この記事でいちばん引きたい一句です。
【原文】帝王の咄しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云なれ、汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読べし、能々肝銘せよ。
「帝王の話だから四海と言い天禄と言うのだ。お前たちのためには、四海を一村と読み、天禄は作徳(田畑の手取り)と読め。」
古典を、自分の縮尺に置き換えて読む。天下国家のスケールで書かれたものを、一村の、一軒の、一人のスケールに落とす。尊徳の読書は、この一手に尽きます。
そして、これは現代の読者にとっても、そのまま使える方法です。「四海」を自社と読み、「天禄」を営業利益と読む。それだけで、二千年前の一句が今日の会議の言葉になります。
出典:二宮翁夜話 巻之二
四、「経済」の定義 ― 博奕も娼妓屋も、一家にとっては経済である
道徳と経済の話に戻ります。冒頭の対句がないかわりに、尊徳にはもっと具体的な定義があります。
【原文】翁曰、経済に天下の経済あり、一国一藩の経済あり、一家又同じ、各々異にして、同日の論にあらず、何となれば、博奕をなすも娼妓屋をなすも、一家一身上に取ては、皆経済と思ふなるべし、然れ共政府是を禁じ、猥に許さゞるは、国家に害あればなり、此の如きは、経済とは云べからず、眼前一己の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧ざるものなればなり
経済には、天下の経済、一国一藩の経済、一家の経済がある。層が違うから同列に論じられない。なぜなら、博奕をやるのも娼妓屋をやるのも、その家一軒、その人一人にとっては立派に「経済」だからだ。
これは鋭い指摘です。個人の損益計算としては完全に成立している。にもかかわらず、政府がこれを禁じるのは国家に害があるからで、そういうものは経済とは呼べない。理由は明快です。「眼前一己の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧ざるもの」だから。
目の前の自分の利益しか見ず、後の世がどうなるかを見ず、他人のためを顧みない。この三条件に当てはまるものは、当人の帳簿がいくら合っていても経済ではない。
言い換えれば、尊徳にとっての「経済」は、はじめから道徳を含んでいます。外から道徳を付け足すのではなく、他者と後世を勘定に入れていないものは、そもそも経済の名に値しない。だから「道徳なき経済」という言い方自体が、彼の枠組みでは成立しません。
そして結論として、彼が引くのが『大学』です。
【原文】夫天下の経済は此の如くならずして、公明正大ならずばあるべからず、大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利となす、とあり、是をこそ、国家経済の格言と云べけれ、農商一家の経済にも、必此意を忘るゝ事勿れ、世間富有者たるものしらずばあるべからず。
出典:二宮翁夜話 巻之四
引かれているのは『大学』の最終段です。原文はこうです。
【白文】此謂國不以利為利,以義為利也。
(これを、国は利を利とせず、義を利とする、というのである。)
『大学』はこの直前で、「民から絞り取る有能な家臣を置くくらいなら、まだ盗みを働く家臣のほうがましだ」とまで言っています。搾取は組織の信用を根本から壊すが、横領は自社の損失で済むからです。
尊徳はこれを「国家経済の格言」と呼び、そのうえで「農商一家の経済にも、必ずこの意を忘れるな」と付け足しました。ここでも縮尺の変換が起きています。国のための格言を、そのまま一軒の商売に適用する。
出典:大学
「道徳なき経済は犯罪である」という対句が言いたかったことは、たぶんこの一段です。ただし尊徳の言い方には、標語にはない具体があります。博奕も一家にとっては経済だ、という一文がそれです。
五、報徳とは何か ― 「徳を以て徳に報うの道」
尊徳の方法は「報徳」と呼ばれます。その定義を、本人の言葉で。
【原文】翁曰、我が教は、徳を以て徳に報うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其蒙る処人々皆広太也、之に報うに我が徳行を以てするを云、扨此徳行を立んとするには、先己々が天禄の分を明かにして、之を守るを先とす、故に予は入門の初めに、分限を取調べて能弁へさするなり、如何となれば、大凡富家の子孫は、我家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり
前半は理念です。天地の徳、主君の徳、親の徳、先祖の徳――受けているものは広大である。それに自分の徳行で報いる。これが報徳。
問題は後半です。「さて、この徳行を立てようとするには、まず各自が自分の天禄の分を明らかにし、これを守ることを先とする。」
そして、「だから私は入門の最初に、分限(ぶんげん)を取り調べて、よく分からせるのだ。」
理由が身も蓋もありません。「なぜなら、たいてい富家の子孫は、我が家の財産がどれほどあるかを知らない者が多いからだ。」
道徳の話を始める前に、決算書を開かせる。これが報徳の入り口です。
【原文】予が人を教ふる、先分限を明細に調べ、汝が家株田畑何町何反歩、此作益金何円、内借金の利子何程を引、残何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹を尽して、暮しを立、何程か余財を譲る事を勤むべし、是道なり
田畑が何町何反、そこからの利益がいくら、借金の利息を引いて残りがいくら。「これがお前の暮らすべき一年の天禄だ。これ以外に取るところはなく、入るところもない。」
この、実測して確定させた一年の枠が「分度」です。そして分度の内側で倹約し、余った分を譲る。
尊徳はこう釘を刺します。
【原文】己が分度立ざれば徳行は立ざる物と知るべし
分度が立たなければ、徳行は立たない。
順番が逆でないことに注意してください。立派になろうと決意してから節約するのではありません。枠を数字で確定させることが、徳行の出発点そのものだと言っています。
なお尊徳は、この一段のなかで『論語』衛霊公篇の「師冕(しべん)」の章を引いています。目の見えない楽師が孔子を訪ねてきたとき、孔子が「階段です」「席です」「誰それはここにおります」と、一つひとつ告げてやった話です。
【白文】師冕見。及階,子曰:「階也。」及席,子曰:「席也。」皆坐,子吿之曰:「某在斯,某在斯。」
出典:論語 衛霊公篇
尊徳はこの章を引いたうえで、自分の教え方を「是又心盲の者を助るの道なり」と言いました。財産の額を知らない者は、心の目が見えていない。だから「あなたの田はここ、収入はこれだけ、借金の利息はここ」と、一つずつ告げてやる。孔子が楽師にしたのと同じことだ、と。
古典の使い方として、これ以上に実務的な例はそう見つかりません。
出典:二宮翁夜話 巻之三
六、推譲 ― 「入るは出たる物の帰るなり」
分度で枠を決めたら、余った分を譲る。それが「推譲」です。
尊徳の説明は、農業から始まります。
【原文】翁曰、夫入るは出たる物の帰るなり、来るは押し譲りたる物の入来るなり、譬ば、農人田畑の為に尽力し、人糞を掛け干鰯を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法りを得る事、必多き勿論なり、然るを菜を蒔て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り穂を出せば穂をつみ実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲なし、商法も又同じ、己が利欲のみを専として買人の為を思はず、猥りに貪らば、其店の衰微、眼前なるべし
「入るは出たる物の帰るなり。」入ってくるものは、出したものが帰ってきたのだ。
肥やしをやり、手をかければ秋に実る。ところが、芽が出れば芽を摘み、枝が出れば枝を切り、穂が出れば穂を摘み、実がなれば実を取る――これでは収穫はない。商売も同じで、自分の利益ばかりを優先して客のためを思わず、むやみに貪れば、その店の衰えは目の前だ。
芽を摘み続ける経営、というのは、いま読んでも刺さる比喩です。人材への投資を削り、値上げで利ざやを取り、取引先を叩く。単年度の数字は良くなります。翌年の芽がないだけです。
『大学』にも、同じ構造の一句があります。
【白文】德者本也,財者末也,外本內末,爭民施奪。是故財聚則民散,財散則民聚。
(徳が本であり、財は末である。本を外にして末を内にすれば、民を争わせ奪い合わせることになる。ゆえに財が集まれば民は散り、財が散れば民は集まる。)
出典:大学
「財聚まれば則ち民散ず」。集めれば人が離れ、散らせば人が集まる。尊徳の推譲は、この一句の実装だと言っていいでしょう。
出典:二宮翁夜話 巻之二
七、譲るとは何か ― 「宵越しの銭を持たぬ」は鳥獣の道
推譲について、弟子が食い下がった記録が残っています。「一石の身代の者が五斗で暮らして五斗を譲る、というのは行いにくいのではありませんか」。当然の疑問です。
尊徳の答えは、譲るという行為の定義そのものを広げるところから始まります。
【原文】翁曰、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭取て廿銭遣ひ、宵越しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣の道にして人道にあらず。
譲るとは、まず「今日の物を明日に譲る」ことである。今年の物を来年に譲ることである。十銭稼いで十銭使い、二十銭稼いで二十銭使う、宵越しの銭は持たない――これは鳥や獣の道であって、人の道ではない。
江戸っ子の美学とされたものを、真正面から鳥獣扱いしています。ここが尊徳の面白いところで、彼にとって貯蓄も投資も「未来への推譲」の一形態なのです。給金の半分を将来のために取っておく。田畑を買う。蔵を建てる。それは子孫への譲りである、と。
そのうえで、難易度の階段を示します。
【原文】此譲は教なくして出来安し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。
自分のための譲り(=貯蓄)は、教えなくてもできる。そこから上は、教えなければできない。親戚や友人のため、郷里のため、いちばん難しいのが国家のため。
理由も本人が言っています。「この譲りも結局は我が富貴を維持するためなのだが、目の前で他人に譲るのだから難しい」。利他が最終的には自分に返ることを認めたうえで、それでも目先の手放しが難しいと認めている。きれいごとを言っていません。
そして最後は、金銭の話ですらなくなります。
【原文】道も譲らずばあるべからず、畔も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。
道を譲る。畔(あぜ)を譲る。言葉を譲る。功を譲る。
推譲の最終形が「功を譲る」であることは、組織を預かる人には重い一句だと思います。分度で枠を決め、余りを譲り、最後は手柄を譲る。ここまで来て、報徳はようやく一本につながります。
出典:二宮翁夜話 巻之三
八、水車のたとえ ― 半分は流れに従い、半分は逆らう
尊徳の比喩でいちばん有名なものです。
【原文】翁曰く、夫れ人道は譬ば、水車の如し。其形半分は水流に順ひ、半分は水流に逆ふて輪廻す。丸に水中に入れば廻らずして流るべし。又水を離るれば廻る事あるべからず。
水車は、半分が流れに従い、半分が流れに逆らって回っている。すっかり沈めれば回らずに流されるだけ。水から離せば回りようがない。
尊徳はこれを、二種類の生き方に当てます。
【原文】夫れ仏家に所謂知識の如く、世を離れ欲を捨てたるは、譬ば水車の水を離れたるが如し。又凡俗の教義も聞ず義務もしらず、私欲一偏に着するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し。共に社会の用をなさず。
世俗を離れて欲を捨てた出家者は、水から離れた水車。教えも聞かず義務も知らず私欲一辺倒の者は、水に沈んだ水車。どちらも社会の役に立たない。
禁欲も欲望肯定も、どちらも切り捨てている。ここが尊徳の立ち位置です。
【原文】故に人道は中庸を尊む。水車の中庸は、宜き程に水中に入て、半分は水に順ひ、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。人の道もその如く天理に順ひて種を蒔き、天理に逆ふて草を取り、欲に随ひて家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり。
「天理に順ひて種を蒔き、天理に逆ふて草を取り、欲に随ひて家業を励み、欲を制して義務を思ふ。」
四つの動詞が、順・逆・順・逆と交互に並びます。自然に従って種を蒔く。自然に逆らって草を取る(放っておけば草が生えるのが自然だからです)。欲に従って商売に励む。欲を抑えて義務を思う。
回転しているものは、片側だけでは回らない。この一句を思い出すためだけでも、水車の像は覚えておく価値があります。
尊徳は明確に「人道は中庸を尊む」と言っています。その『中庸』本文にはこうあります。
【白文】子曰:「中庸其至矣乎!民鮮能久矣!」
(孔子は言われた。中庸とは、なんと究極の徳であることか。しかし人々がこれを実践できなくなって、もう随分と長い。)
出典:中庸
出典:二宮翁夜話 巻之一
九、本願は土地ではなく、心の田だった
尊徳は荒地の復興で知られています。しかし本人は、それを本業だと思っていませんでした。
弘化元年、日光神領の荒地起返しを命じられたとき、弟子の兄が祝いを述べに来ました。尊徳は喜ばず、こう言います。
【原文】翁曰、我本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天授の善種、仁義礼智を培養して、善種を收獲し、又蒔返し蒔返して、国家に善種を蒔弘るにあり
「私の本願は、人々の心の田の荒れ地を開拓することにある。」天から授かった善の種、すなわち仁義礼智を培い育て、収穫し、また蒔き返して、国じゅうに蒔き広める。
だから土地の開拓を命じられたのは本願と違う、祝われる筋合いではない――と弟子を叱ったわけです。そのうえで言います。
【原文】夫我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂るにたらざるが故なり
「心の荒れ地が一人ぶん開ければ、土地の荒れ地は何万町あろうと憂えるに足りない。」
そして根拠に『大学』の冒頭三綱領を挙げます。
【原文】大学に、明徳を明にするにあり、民を新にするにあり、至善に止るにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗り明になるや直に一村の人民新になれり
『大学』の原文はこうです。
【白文】大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。
出典:大学
「明徳を明らかにする、とは心の開拓を言うのだ。」尊徳の読み替えが、ここでも効いています。抽象的な「明徳」が、鍬を入れる作業に翻訳される。
そして実例として、目の前の弟子の兄を挙げます。「お前の兄の明徳が少しばかり明らかになったら、たちまち一村の人民が新しくなった。」理屈ではなく、実際に村が変わったから言っている。ここが尊徳の強みです。
出典:二宮翁夜話 巻之二
十、荒蕪には数種ある ― 資産があって使わないのも荒地である
「荒地」の定義を、尊徳は徹底的に広げます。ここは経営者に読んでほしい一段です。
【原文】翁曰、我道は、荒蕪を開くを以て勤とす、而て荒蕪に数種あり、田畑実に荒れたるの荒地あり、又借財嵩みて、家禄を利足の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり、是国に取て生地にして、本人に取て荒地なり
一つ目は、文字どおり荒れた田畑。二つ目は、借金がかさんで収入が利息に消え、「禄はあっても益がない」状態。これは国から見れば生きた土地だが、本人にとっては荒地だ、と。
債務で身動きが取れない事業は荒地である。帳簿上は資産があるのに、キャッシュが全部利払いに出ていく会社を、尊徳は荒地と呼びます。
三つ目以降が本題です。
【原文】又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒に驕奢に耽り、財産を費すあり、国家に取て尤大なる荒蕪なり、又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋書画などを弄して、生涯を送るあり、世の中の為尤惜むべき荒蕪なり
資産も資金力もあるのに世のために使わず、贅沢に費やしている――これが国にとって最大の荒地。知恵も才能もあるのに学ばず、世のためを思わず、趣味に一生を送る――これが最も惜しむべき荒地。
さらに「身体が丈夫なのに働かず、怠惰と博奕で日を送る」も加えて、彼は結論します。
【原文】此数種の荒蕪の内、心田荒蕪の損、国家の為に大なり
荒地のなかで、心の田の荒廃がいちばん損害が大きい。
耕されていない田より、耕されていない才能のほうが損失が大きい。これを農政家が言っているところに、重みがあります。
出典:二宮翁夜話 巻之三
十一、「草に相談するに及ばず」
相馬中村藩の藩士たちが列席した席での言葉です。
【原文】翁諭して曰、草を刈らんと欲する者は、草に相談するに及ばず、己が鎌を能く研ぐべし、髭を剃らんと欲する者は、髭に相談はいらず、己が剃刀を能く研ぐべし、砥に当りて、刃の付ざる刃物が、仕舞置て刃の付し例なし
「草を刈ろうとする者は、草に相談するに及ばない。自分の鎌をよく研げ。」
髭を剃るのに髭と相談はいらない、剃刀を研げ。そして、「砥石に当てて刃の付かない刃物が、しまい込んだままで刃が付いた例はない。」
環境を嘆く時間を、道具を研ぐ時間に振り替えろ、という話です。市場が悪い、人が足りない、上が分かってくれない――全部「草に相談している」状態です。
尊徳の論はここから拡張します。
【原文】鋸の目を能立れば天下に伐れざる木なく、鎌の刃を能研げば、天下に刈れざる草なし
鋸の目を立てれば天下に伐れない木はなく、鎌を研げば天下に刈れない草はない。だから鋸の目を立てた時点で、天下の木はもう伐れたのと同じだ――ずいぶん強気な論法ですが、彼が言いたいのは次の一段です。
【原文】故に我教の大本、分度を定る事を知らば、天下の荒地は、皆開拓出来たるに同じ、天下の借財は、皆済成りたるに同じ、是富国の基本なればなり
分度を定めることを知れば、天下の荒地は開拓できたも同然、天下の借財は完済したも同然。
鎌が分度なのです。個別の荒地に個別の対策を立てるのではなく、一つの汎用の道具を研ぐ。尊徳が数百の村で同じ方法を反復できた理由が、この一段に出ています。
出典:二宮翁夜話 巻之三
十二、「聖人は無欲」ではない ― 大欲にして、正大
分度と推譲を並べると、禁欲の勧めに見えます。尊徳自身が、その誤解を正面から否定しています。
【原文】翁曰、世人皆、聖人は無欲と思へども然らず、其の実は大欲にして、其の大は正大なり、賢人之に次ぎ、君子之に次ぐ、凡夫の如きは、小欲の尤も小なる物なり、夫れ学問は此の小欲を正大に導くの術を云ふ
「世間の人はみな、聖人は無欲だと思っているが、そうではない。その実は大欲であり、その大きさは正大である。」
聖人が最も欲深い。賢人がそれに次ぎ、君子がそれに次ぐ。凡人は「小欲の最も小さいもの」にすぎない。
そして、「学問とは、この小欲を正大に導く術のことを言う。」
学問の定義として、これは強烈です。欲を消す技術ではなく、欲のスケールを拡大する技術だと言っている。
では大欲とは何か。
【原文】大欲とは何ぞ、万民の衣食住を充足せしめ、人身に大福を集めん事を欲するなり
万民の衣食住を満たし、人に大きな幸福を集めたい、と欲すること。
自分の家を富ませたいという欲を、村を富ませたい、国を富ませたいという欲へ拡大していく。分度も推譲も、欲を殺す作法ではなく、欲を大きくするための足場だったわけです。
出典:二宮翁夜話 巻之五
十三、満ちた器を、平らに持ち続ける
事業を興すより、続けるほうが難しい。『貞観政要』の「創業と守成、いずれが難きか」という有名な問答があります。尊徳はそれを知ったうえで、一歩踏み込みます。
【原文】翁曰、創業は難し、守るは安しと、守るの安きは論なしといへども、満たる身代を、平穏に維持するも又難き業なり、譬ば器に水を満て、之を平に持て居れと、命ずるがごとし、器は無心なるが故に、傾く事はあらねど、持つ人の手が労るゝか、空腹になるか、必永く平に持て居る事は、出来ざるに同じ
「満ちた身代を平穏に維持するのも、また難しい業だ。」
たとえるなら、器に水を満たして「これを水平に持っていろ」と命じるようなものだ。器は無心だから勝手には傾かない。傾くのは、持つ人の手が疲れるか、腹が減るからだ。
事業が傾く原因を、事業の側ではなく持ち手の側に置いています。組織は勝手に劣化しません。持っている人間が疲れ、飢えたときに傾く。
そして、その持ち手の状態について『大学』を引きます。
【原文】大学に、心忿懥する所、恐懼する所、好楽する処、憂患する処あれば、則其正を得ず、と云り
『大学』の原文はこうです。
【白文】所謂修身在正其心者:身有所忿懥,則不得其正;有所恐懼,則不得其正;有所好樂,則不得其正;有所憂患,則不得其正。
(いわゆる身を修めるには心を正しくする、とはこういうことだ。怒りや恨みがあれば心は正しさを得ない。恐れがあれば正しさを得ない。好み楽しむところがあれば正しさを得ない。憂い患うところがあれば正しさを得ない。)
出典:大学
尊徳の締めくくりは、鏡のたとえです。
【原文】能研きたる鏡も、中凹き時は顔痩て見へ、中凸き時は顔太りて見ゆる也、鏡面平ならざれば、能研ぎたる鏡も其詮なく、顔ゆがみて見ゆるに同じ、心正平ならざれば、見るも聞くも考へも、皆ゆがむべし、慎まずばあるべからず。
よく磨いた鏡でも、中央がへこんでいれば顔は痩せて見え、出っ張っていれば太って見える。磨いてあっても、平らでなければ意味がない。心が平らでなければ、見るのも聞くのも考えるのも、すべて歪む。
怒っているとき、怯えているとき、舞い上がっているとき、思い悩んでいるとき――どれだけ有能でも、その判断は歪んでいる。判断の前に、自分の鏡が平らかを見る。至誠と推譲を説き続けた人の、最も実務的な一句かもしれません。
出典:二宮翁夜話 巻之四
十四、尊徳が読んだ、家康の遺訓
もう一つ、この記事の連れの記事とつながる一段があります。尊徳も、徳川家康の「御遺訓」を読んでいました。
【原文】翁多田某に謂て曰、我東照神君の御遺訓と云物を見しに、曰、我敵国に生れて、只父祖の仇を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉が教に依て、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知てより、今日に至れり、子孫長く此志を継ぐべし、若相背くに於ては、我子孫にあらず、民は是国の本なればなりとあり
尊徳が見たのは、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」で始まる、いわゆる東照宮御遺訓とは別のものです。「敵国に生まれ、父祖の仇を報いることばかり願っていたが、祐誉(源誉存応)の教えによって、国を安んじ民を救うことが天の理だと知った」という内容で、末尾は「民は是れ国の本なればなり」。
尊徳はこれを引いたあと、目の前の相手にこう言います。「であれば、そなたが子孫に遺言すべきことはこうだ」。
【原文】此報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半を推譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富す事を勤むべし
そして最後に、財産の性格そのものを書き換えます。
【原文】我家株田畑は、本来報徳法方の物なれば也
「我が家の田畑は、もともと報徳の方法によるものだからである。」
自分の家の財産は、自分が稼いだものではなく、報徳という仕組みから預かったものだ。だから子孫が驕れば取り上げてよい――そう遺言せよ、と勧めています。家康の遺訓を型として借り、中身を報徳に入れ替えたわけです。ここでも読み替えです。
出典:二宮翁夜話 巻之一
なお、一般に流布している『東照宮御遺訓』(「人の一生は重荷を負うて…」)のほうは、家康本人の言葉ではないことが分かっています。詳しくは、家康の記事に書きました。
→ 徳川家康の愛読書 ― 名言「人の一生は重荷を負うて」の真偽と、家康が刷った本
十五、西郷隆盛が守ろうとしたもの
尊徳の仕法は、彼の死後も生き続けました。それを示す一次資料が、意外なところにあります。渋沢栄一の『論語と算盤』です。
明治初年、大蔵省にいた渋沢のもとに、西郷隆盛が訪ねてきました。用件は、相馬藩の「興国安民法」を廃止させないでほしいという頼みでした。興国安民法とは、相馬中村藩が藩をあげて採用していた報徳仕法のことです。先ほど「草を刈らんと欲する者は」の一段を語った相手が、まさにその中村藩士たちでした。
渋沢の返答は、痛烈でした。
【原文】西郷参議に於かせられては、相馬一藩の興国安民法は大事であるによつて是非廃絶させぬやうにしたいが、国家の興国安民法は之を講ぜずに其儘に致し置いても差支無いとの御所存であるか、承りたい
「相馬一藩の興国安民法は大事だから廃止させたくない。しかし国家の興国安民法のほうは、講じないまま放っておいて差し支えないというお考えなのか」。一藩のために奔走されるのに、一国についてはお考えがないのは本末転倒も甚だしい、と切り込んだのです。
西郷は何も言い返さず、黙って帰りました。そして渋沢は、こう書き残しています。
【原文】兎に角、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、毫も虚飾の無かつた人物は西郷公で、実に敬仰に堪へぬ次第である。
出典:論語と算盤 人格と修養
尊徳が没したのは安政三年。西郷が渋沢を訪ねたのは、それから十数年後です。一人の農政家が作った村の再建法を、維新の元勲がわざわざ守りに来た。そのやりとりを、日本資本主義の父が記録していた。
道徳と経済をつなぐという課題は、この三人を一本の線でつないでいます。
→ 西郷隆盛の愛読書 ― 「敬天愛人」の出どころと、敵が作った遺訓
→ 渋沢栄一の名言と愛読書 ― 『論語と算盤』の原文と、「夢七訓」の真偽
積小為大について
尊徳の言葉として最も有名なのは、おそらく「積小為大(せきしょういだい)」でしょう。「大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし」で始まる一段です。これは本記事では扱いませんでした。別の記事に全文と解説があります。
→ 積小為大とは — 二宮尊徳の原文と、小事を勤めることの意味
まとめ ― 標語より、予算表
最後にもう一度、冒頭の対句に戻ります。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。この言葉が広まったのは、言いたいことが正しかったからだと思います。道徳と経済を分けて考えるな、という主張自体は、まさに尊徳のものです。
ただ、本人の言い方は違いました。
彼は「道徳なき経済」を非難するかわりに、経済という語の定義のほうを詰めました。目先の自分の利益しか見ず、後の世を見ず、他人のためを顧みないもの――それは博奕と同じで、そもそも経済ではない、と。
彼は「経済なき道徳」を笑うかわりに、道徳の第一歩に決算書を置きました。入門したら、まず田畑を測り、収入を数え、利息を引く。分度が立たなければ徳行は立たない。
そして、余った分を譲れと言い、譲るとは今日を明日に譲ることだと言い、最後は功を譲れと言いました。
この順序――定義・実測・分度・推譲――が、標語には入りきりません。入りきらなかったから、後の誰かが短い対句を作った。それはそれで、言葉の自然な運命でしょう。
ただ、対句のほうを座右の銘にすると、たぶん何も始まりません。始まるのは、「汝が家株田畑何町何反歩、此作益金何円、内借金の利子何程を引、残何程なり」のほうです。
自社の一年の枠を、数字で確定させること。その内側で暮らし、外に出た分を譲ること。
尊徳が数百の村でやったのは、それだけです。それだけを、二十年繰り返した。
「四海を一村と読み、天禄は作徳と読べし。」
古典の読み方としても、これ以上のものを私は知りません。
本記事の出典について
引用した尊徳の言葉は、すべて『二宮翁夜話』の原文です。師導が収録する底本の値をそのまま使い、長い条は「……」で中略していますが、残した部分は一字も変えていません。仮名遣い・送り仮名も底本のままです。各節末のリンクから、その条の全文・書き下し文・現代語訳・解説をご覧いただけます。
『二宮翁夜話』は、尊徳自身の著作ではありません。門人の福住正兄が、師のもとで聞いた話を筆録し、明治十七年に刊行したものです。したがって「尊徳の言葉」として本記事が引くものは、正確には「福住正兄が記録した尊徳の言葉」です。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」については、尊徳がそう述べた原典を確認できませんでした。本記事では、師導が収録する『二宮翁夜話』二百八十一話・約十一万四千字の全文を機械的に検索し、「犯罪」「道徳なき」「経済なき」のいずれも一度も現れないことを確認したうえで書いています。誰の作かについては、確認できていません。なお、この語が伝えようとしている趣旨そのものは、本文で見たとおり尊徳の思想と矛盾しません。問題は帰属だけです。
書名の出現話数(『論語』二十一話、『中庸』十三話、『大学』十一話、『老子』二話、『孟子』一話)は、同じ全文に対する機械的な文字列検索の結果です。「中庸」「大学」は徳目や学問一般を指す語としても使われるため、書名としての引用回数はこれより少なくなります。
『大学』『論語』『中庸』『尚書』『論語と算盤』の白文・書き下し文・現代語訳・解説も、師導が収録する底本の値です。なお『尚書』大禹謨篇は、後世の編纂とみる説(いわゆる偽古文尚書)が有力です。尊徳が「古語に」として引いた一句も、この篇に属します。
生没年、出身地、桜町領および日光神領に関わった経緯は、一般に伝わる記録に拠りました。