中庸
子曰:「中庸其至矣乎!民鮮能久矣!」
書き下し
子曰く、「中庸は其れ至れるかな。民能くすること鮮(すく)なきこと久し」と。
現代語訳
孔子は言われた。「中庸とは、なんと素晴らしい、行き着くところまで行った究極の徳であることか。しかし人々がこれを実践できなくなってから、もう随分と長い時間が経ってしまった」と。
解説
中庸を最高の徳と讃えると同時に、それが現実にはほとんど実践されていないという嘆きを述べた短い一段です。理想が高く尊いほど、日常での実践は難しくなります。孔子は「昔はできていたのに」と懐かしんでいるのではなく、誰にとっても難しいからこそ意識的に取り組む価値があると示しているのです。極端に走るほうが、実はずっと楽です。徹底的にやるか、まったくやらないかのほうが判断も要りませんし、周囲にも分かりやすい。ちょうどよさを見極め続けるほうが、はるかに骨が折れます。自分の仕事や人間関係を振り返り、極端さに逃げていないかを点検する言葉として読めます。
この章句が説くこと
中庸は至徳実践の難しさ極端への逃避中庸柔軟性バランス
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