尚書 / 大禹謨
人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中
書き下し
人心(じんしん)は惟(こ)れ危(あや)うく、道心(どうしん)は惟れ微(かす)かなり。惟れ精(せい)に惟れ一(いつ)にして、允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執(と)れ。
現代語訳
人の欲に基づく心は危うく乱れやすく、道理に基づく心はかすかで見えにくい。だからこそ心を研ぎ澄まし、ひたすら純一に保って、まことにその中庸を執り続けよ。
解説
人には欲望に流されやすい危うい心と、道理に基づくかすかな心の両方が同居しており、油断すれば前者に飲み込まれてしまうと説く。だからこそ意識を研ぎ澄まし雑念を払って一つに集中し、偏りのない中庸を保ち続けることが求められる。日々の判断でも、目先の感情や欲に流されそうになる瞬間は誰にでもあり、そのつど立ち止まって自分の内にある静かな声に耳を澄ませることが、道を誤らないための支えになる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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十六字心伝人心道心允執厥中
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『大和俗訓』巻之三・心術上一尚書に曰く、人心惟れ危く、道心惟れ微なり、惟れ精惟れ一、允に厥の中を執れ。是いにしへの大聖虞舜の帝の、天下を禹王と申せし聖人にゆづらせ給ふ時、天下を治め給ふ心法を伝へ給ふ御詞なり。人心とは人の身の耳目口体の形気の好む所によつて起るを云ふ。形気の好む所とは、目に色を好み、耳に声をこのみ、口に味を好み、形には安かなる事を好むを云ふ。又よろこび、いかり、かなしみ、たのしみ、このみ、にくみ、ねがふの七情も、是形気よりおこる人心なり。うゑて食を好み、寒くして衣を求め、つかれて形をやすむるの類。又七情も、皆是人情の、なくて叶はざる事なれば、聖人といへども、人心なき事あたはず。然れども、衆人は耳目口体の好むにまかせ、七情のおこるにまかせぬれば、ほどよき事をわすれ、たちまちに私欲にながれ、悪におちいる。
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『大和俗訓』巻之三・心術上是道心惟微なるなり。かくの如くに、酒食を好む心にまかせ、おそるる心かすかなれば、たちまち酒食を恣にすごし、おそるる心は無くなり、つひに人欲にかたず。然るに、人心のわがままなると、道心のつつしみあるとの二を明かに知りて迷はざるは、惟精なり。すでに酒食の過ぎて損あり、節にして益あることをくはしく知れらば、専一につつしみて、道心を主とし、人心のむさぼり好む欲をいましめおさへて、おのづから過不及のあやまり無からしむべし。すべて論ずるに、人心惟れ危く、道心惟れ微なるは人心道心二の者の有さまなり。惟れ精惟れ一は、心をあきらめ、道心を主とする工夫なり。允に厥の中を執るは、中は過不及なき至極の道理なり。必惟れ精惟れ一の工夫ありて、過不及の過なき道理を失はざるべしとの意なり。是大聖人の、天下をゆづり給ふ時伝へ給へる大事の心法なれば、道理至極せるなるべし。此十六字は、万世心学の教の根源なり。王公より以下庶人にいたるまで、皆たつとんでよく心得、受用あるべき事なるべし。
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言志四録・言志録 第百九十五条 人心惟れ危ふし人心は惟れ危ふければ、則ち堯舜の心も即ち桀紂なり。道心は惟れ微なれば、則ち桀紂の心も即ち堯舜なり。
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『呻吟語』内篇・存心・惟精と惟一只だ一毫の麄疏なる處有れば、便ち理を認むること真ならず。所以に惟精と說く。然らずんば眾論之を淆して必ず疑ふ。只だ一毫の二三の心有れば、便ち理を守ること定まらず。所以に惟一と說く。然らずんば利害之に臨みて必ず變ず。