二宮翁夜話 / 巻之一
翁多田某に謂て曰、我東照神君の御遺訓と云物を見しに、曰、我敵国に生れて、只父祖の仇を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉が教に依て、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知てより、今日に至れり、子孫長く此志を継ぐべし、若相背くに於ては、我子孫にあらず、民は是国の本なればなりとあり、然ば其許が、遺言すべき処は、我過て新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ、御用の種金を遣ひ込み大借に陥り、身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因て、莫大の恩恵を受け、此の如く安穏に相続する事を得たり、此報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半を推譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富す事を勤むべし、若此遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速に放逐すべし、婿嫁は速に離縁すべし、我家株田畑は、本来報徳法方の物なれば也と子孫に遺物せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、その遺言を守らば、其功業量るべからず、汝が家の繁昌長久も、又限りあるべからず、能々思考せよ。
書き下し
翁(おきな)多田某(ただなにがし)に謂(い)ひて曰(いわ)く、我(われ)東照神君(とうしょうしんくん)の御遺訓と云(いう)物を見しに、曰く、我敵国に生れて、只(ただ)父祖の仇(あだ)を報ぜん事の願ひのみなりき、祐誉(ゆうよ)が教(おしえ)に依(よ)りて、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知(し)りてより、今日に至れり、子孫長く此(この)志を継ぐべし、若(もし)相背(あいそむ)くに於(おい)ては、我子孫にあらず、民は是(これ)国の本なればなりとあり、然(しか)れば其許(そのもと)が、遺言すべき処は、我過(あやま)ちて新金銀引替御用(ごよう)を勤め、自然増長して驕奢(きょうしゃ)に流れ、御用の種金(たねきん)を遣(つか)ひ込み大借(たいしゃく)に陥り、身代(しんだい)破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因(よ)りて、莫大の恩恵を受け、此(かく)の如く安穏に相続する事を得たり、此報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半(なかば)を推譲(おしゆず)り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富(と)ます事を勤むべし、若此遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速(すみやか)に放逐すべし、婿嫁(むこよめ)は速に離縁すべし、我家株(わがかかぶ)田畑は、本来報徳法方(ほうほう)の物なれば也(なり)と子孫に遺物(ゆいごん)せば、神君の思召(おぼしめし)と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、その遺言を守らば、其(その)功業量るべからず、汝(なんじ)が家の繁昌長久(はんじょうちょうきゅう)も、又限りあるべからず、能々(よくよく)思考せよ。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が多田某に語って言われた。私は東照神君(徳川家康)の御遺訓というものを見たが、そこにはこうあった。「私は敵国に生まれ、ただ父祖の仇を報いることばかりを願っていた。だが祐誉(源誉存応)の教えによって、国を安んじ民を救うことこそ天の理だと知って、今日に至った。子孫は長くこの志を継ぐがよい。もし背くなら、それは私の子孫ではない。民こそ国の本だからである」と。であれば、そなたが子孫に遺言すべきことはこうだ。「私は過ちから新金銀の引替御用を勤め、いつしか思い上がって驕り奢りに流れ、御用の元金を遣い込んで大きな借金に陥り、身代が破滅に及ぶところだった。それを報徳の方法によって莫大な恩恵を受け、このように安穏に家を相続することができた。この恩に報いるため、子孫は代々、驕り奢りと安逸を厳に禁じ、倹約を尽くして身代の半分を推し譲り、世のためを心がけ、貧しい者を救い、村里を富ませることに努めよ。もしこの遺言に背く者は、たとえ実の子孫であっても子孫ではないゆえ、すみやかに追放せよ。婿や嫁ならすみやかに離縁せよ。わが家株や田畑は、もともと報徳の法によって得たものなのだから」と。こう子孫に遺言すれば、神君の思し召しと一つになり、孝であり忠であり仁であり義である。その子孫が、徳川の二代・三代の将軍のようにこの遺言を守れば、その功業は計り知れず、そなたの家の繁栄と長久もまた限りがないだろう。よくよく考えるがよい。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、我が教(おしえ)は、徳を以て徳に報(むく)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其(その)蒙(こうむ)る処(ところ)人々皆広太(こうだい)也、之に報うに我が徳行(とっこう)を以てするを云ふ、扨(さて)此(この)徳行を立てんとするには、先(ま)づ己々(おのおの)が天禄(てんろく)の分(ぶん)を明(あきら)かにして、之を守るを先とす、故に予(よ)は入門の初めに、分限(ぶげん)を取調(とりしら)べて能(よ)く弁(わきま)へさするなり、如何(いか)となれば、大凡(おおよそ)富家(ふうか)の子孫は、我家(わがや)の財産は何程(いかほど)ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(しべん)見(まみ)ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張(しちょう)問ひて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然(しか)り、固(もと)より師を助くるの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝(なんじ)が家株(いえかぶ)田畑何町何反歩(なんちょうなんたんぶ)、此作益金(さくえききん)何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(きんけん)を尽(つく)して、暮しを立て、何程か余財(よざい)を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲(しんもう)の者を助くるの道なり、夫(それ)入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答(いんしんぞうとう)も、義理も礼義(れいぎ)も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(りんしょく)と云ふ者あり共(とも)、夫は言ふ方の誤(あやまり)なれば、意(い)とする事勿(なか)れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則(すなわ)ち礼なり義なり道なり、此理を能々(よくよく)弁へて、惑(まど)ふ事勿れ、是徳行を立つる初めなり、己(おのれ)が分度(ぶんど)立たざれば徳行は立たざる物と知るべし
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、国家の盛衰(せいすい)存亡(そんぼう)は、各々(おのおの)利を争(あらそ)ふの甚(はなは)だしきにあり。富者は足る事をしらず、世を救(すく)ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己(おの)が勝手(かって)のみを工夫し、天恩(てんおん)も知らず国恩(こくおん)も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(そんぴ)の納むべきを滞(とどこお)り、作徳(さくとく)の出すべきを出さず、借(か)りたる者を返(かえ)さず。貧富共に義(ぎ)を忘れ、願ひても祈りても出来難(がた)き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外(はず)れたる時は身代限(しんだいかぎ)りと云ひ、大河のうき瀬(せ)に沈(しず)むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺(おぼ)れ死するまでの事はなき故、又浮(うか)み出る事も向ふの岸(きし)へ泳(およ)ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥(おちい)る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終(お)はるなり。愍(あわ)れむ可し。我が教は世上(せじょう)かかる悪弊(あくへい)を除(のぞ)きて、安楽の地を得せしむるを勤(つとめ)とす。
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二宮翁夜話・巻之二両国橋辺(へん)に、敵打(かたきうち)あり、勇士なり孝子なりと人々誉(ほ)む、翁(おきな)曰(いわ)く、復讐(ふくしゅう)を尊(たっと)むは、未(いま)だ理を尽(つく)さゞる物なり、東照公も敵国に生れ玉へるを以て父祖の讐(あだ)を報ぜんとのみ願はれしを、酉誉(ゆうよ)上人の説法に、復讐の志は、小にして益なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安(やす)んずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、公始て此理に感じ、復讐の念を捨(す)て、国を安んじ、民を救ふの道に心力を尽されたり、是(これ)より大業なり、万民塗炭(とたん)の苦を免(まぬか)る、此道独(ひと)り東照宮のみに限らざるなり、凡人(ぼんじん)といへども又同じ、此方より敵を打てば、彼よりも亦此恨(うら)みを報ぜんとするは必定(ひつじょう)なり、然る時は怨恨(えんこん)結んで解(とく)る時なし、互(たが)ひに復讐復讐と、只恨を重ぬるのみ、是則(すなわ)ち仏に所謂(いわゆる)輪廻(りんね)にて永劫(えいごう)修羅(しゅら)道に落て人道を蹈(ふ)む事能(あた)はじ、愚の至り悲(かな)しひ哉、又たまたまは、返り打ちに逢ふもあり、痛(いた)ましからずや、是道に似て、道にあらざるが故なり、されば復讐は政府に懇願(こんがん)すべし、政府又草を分て、此悪人を尋ねて刑罰すべし、仍(よ)て自(みずか)らは、恨に報うに直(なおき)を以てすの聖語に随(したが)ひて復讐を止め家を修(おさ)め、立身出世を謀(はか)り、親先祖の名を顕(あら)はし、世を益し人を救ふの天理を勤(つと)むるにしかず、是子たる者の道、則ち人道なり、世の習風は、人道にあらず、修羅道なり、天保の飢饉(ききん)に、相州大磯駅川崎某と云者、乱民に打毀(こわ)されたり、官乱民を捕(とら)へて禁獄し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒(ふんぬ)に堪(た)へず、上下を怨み、上下に此怨を報ぜんと熱心す、我是に教ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解き、富者は貧を救ひ、駅内を安ずるの天理なる事を以てせり、某決する事能はず、鎌倉円覚寺淡海和尚に質(ただ)して、悔悟(かいご)し決心して、初て復讐の念を断(た)ち、身代を残らず出して、駅内を救助す、駅内俄然(がぜん)一和して、某を敬する事父母の如し、官又厚く某を賞するに至れり、予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教へしのみにして、此好結果を得たり、若(も)し過(あやま)ちて、復讐の謀(はかりごと)をなさば、如何なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とっ)て焚く事は少くする、是(これ)を富国の大本(たいほん)、富国の達道(たつどう)といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、又(また)強欲と云(いう)、是心得違ひなり、夫(それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(たっと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道(じょうどう)なり、親の身代(しんだい)を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(もと)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、身体一所(ひとところ)悩む所あれば、惣身(そうしん)之が為に悩むは人の知る所なり。脳なり胃なり肺なり皆同じ、甚(はなは)だしき時は死に至る、これ一体なるが故なり。国家も亦(また)同じ、一家負債あれば是が為に悩み、国凶作なれば之が為に悩む、皆人の知る所なり。故に身も家も国も悩む所無からんことを欲するを衛生(えいせい)といひ、勤倹(きんけん)といふ。又泰平(たいへい)を祈るといふ。而(しか)して家に負債多ければ、人身に及んで神経を悩ますに至るも皆人の知る所なり。方今(ほうこん)の世の中、驕奢(きょうしゃ)行はるゝが為にこの悩み多し、此悩み甚だしければ家を失ひ身を失ふに至る、愍然(びんぜん)の至りなり、之を自業自得(じごうじとく)といへば夫(それ)までなれど、自業自得は戸主に在りて、老幼婦女(ろうようふじょ)は相伴(しょうばん)をするなり、いたましからずや。之を救ふの道を考ふるに、予が立てたる報徳金貸付(かしつけ)の道を第一とす。如何(いか)となれば此報徳金の貸付は、日輪(にちりん)の神徳と同じければなり、此功徳の広大なる事は、予が数年心を尽して考へ、数年自(みづか)ら取扱ひて経験したる法なればなり、天地の万物を生育し給ひて、恵まざる所なき、天地の徳に法(のっと)りたる法なればなり。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、夫(それ)入るは出(いで)たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬(たと)へば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔(まき)て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(しゅうかく)なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専(もっぱら)として買人の為を思はず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、其店の衰微(すいび)、眼前なるべし。古語に、人心は惟(これ)危(あや)うし道心惟(これ)微(かす)かなり、惟(これ)精惟(これ)一、允(まこと)に其中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。是舜(しゅん)禹(う)天下を授受(じゅじゅ)するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜(たまわ)りたるを、天に取上げらるゝなり。其理又明白なり。誠に金言(きんげん)といふべし。然(しか)りといへども、儒者(じゅしゃ)の如く講じては、今日の用、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に、分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄(はな)しと思ひて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝(きも)に銘(めい)ぜよ。人心惟危うし道心惟微かなりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり。惟精惟一允に其中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(おしゆず)りて、一村の衰(おとろ)へざる様、一村の益々(ますます)富(と)み益々栄(さか)える様に勉強せよ、と云ふ事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし。帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能々(よくよく)肝銘せよ。