二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、世人皆、聖人は無欲と思へども然らず、其の実は大欲にして、其の大は正大なり、賢人之に次ぎ、君子之に次ぐ、凡夫の如きは、小欲の尤も小なる物なり、夫れ学問は此の小欲を正大に導くの術を云ふ、大欲とは何ぞ、万民の衣食住を充足せしめ、人身に大福を集めん事を欲するなり、其の方、国を開き物を開き、国家を経綸し、衆庶を済救するにあり、故に聖人の道を推窮むる時は、国家を経済して、社会の幸福を増進するにあり、大学中庸等に其の意明かに見ゆ、其の欲する処豈正大ならずや、能く思ふべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世人(せじん)皆、聖人は無欲と思へども然(しか)らず、其(そ)の実(じつ)は大欲にして、其の大は正大なり、賢人之(これ)に次ぎ、君子之に次ぐ、凡夫(ぼんぷ)の如きは、小欲の尤(もっと)も小なる物なり、夫(そ)れ学問は此の小欲を正大に導(みちび)くの術(じゅつ)を云ふ、大欲とは何ぞ、万民の衣食住を充足せしめ、人身に大福を集(あつ)めん事を欲するなり、其の方、国を開き物を開き、国家を経綸(けいりん)し、衆庶(しゅうしょ)を済救(さいきゅう)するにあり、故に聖人の道を推窮(おしきわ)むる時は、国家を経済して、社会の幸福を増進するにあり、大学中庸等に其の意明かに見ゆ、其の欲する処(ところ)豈(あに)正大ならずや、能(よ)く思ふべし。
現代語訳
翁が言われた。世間の人は皆、聖人は無欲だと思っているが、そうではない。その実は大欲であって、その大きさは正しく大きいのである。賢人はこれに次ぎ、君子はこれに次ぐ。凡人などは、小欲の中でも最も小さいものだ。そもそも学問とは、この小欲を正しく大きな欲へと導く術のことをいう。大欲とは何か。万民の衣食住を満ち足らせ、人々の身に大きな幸福を集めようと欲することである。その方法は、国を開き産業を開き、国家を治め整え、多くの民を救うことにある。だから聖人の道をつきつめれば、国家を治め、社会の幸福を増進することにある。『大学』『中庸』などにその意味がはっきりと見える。その欲するところは、なんと正しく大きいことではないか。よく考えるべきである。
解説
尊徳は「無欲こそ尊い」という常識を退け、聖人とは万民の幸福を願う「大欲」の人だと説きます。欲そのものを否定するのではなく、自分だけの小さな欲を、社会全体の幸福へと向けなおすことが学問の役割だというのです。ここには、私利を捨てて他者に譲る「推譲」と、荒れた村々を実際に救ってきた尊徳の実践がにじんでいます。欲を消すのではなく方向を正すという発想は、現代の私たちにも通じます。自分の成功欲や向上心を、周囲や社会に役立つ形へ育てていけば、それは恥じるべきものではなく、むしろ正しく大きな志となります。欲を敵視せず、正しく育てる。そこに報徳の学びの現代的な意味があります。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳大欲正大推譲学問
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