二宮翁夜話 / 巻之三
或問、推譲の論未だ了解する事能はず。一石の身代の者五斗にて暮し五斗を譲り、十石の者五石にて暮し五石を譲るは行ひ難かるべし、如何。翁曰、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭取て廿銭遣ひ、宵越しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣の道にして人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り他に譲るの道あり。雇人と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来の為に譲り、或は田畑を買ひ家を立て蔵を立るは、子孫へ譲るなり。是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。されば一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何となれば我為の譲なればなり。此譲は教なくして出来安し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。此譲も到底我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて家法を定めて推譲を行ふべし。或問、夫れ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是れ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め五斗を譲り、廿石の者は同く五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者譲りの道なくば有べからざるは論を待ずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり病人あるあり厄介あるあれば、毎戸法を立て厳に行へと云といへ共、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教へ有志者に能く勧めて行はしむべし。而て此道を勤る者は富貴栄誉之に帰し、此道を勤ざる者は富貴栄誉皆之を去る。少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す。予が言ふ処必ず違はじ。世の富有者に能く教へ度きは此譲道なり。独り富者のみにあらず、又金穀のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。二三子能く勤めよ。
書き下し
或(あるひと)問ふ、推譲(すいじょう)の論未だ了解する事能はず。一石の身代の者五斗(ごと)にて暮し五斗を譲り、十石の者五石にて暮し五石を譲るは行ひ難かるべし、如何。翁曰く、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭(にじっせん)取て廿銭遣ひ、宵越(よいご)しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣(とりけもの)の道にして人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り他に譲るの道あり。雇人(やといにん)と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来(きょうらい)の為に譲り、或は田畑を買ひ家を立て蔵を立るは、子孫へ譲るなり。是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。されば一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何となれば我為(わがため)の譲なればなり。此譲は教なくして出来安(できやす)し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。此譲も到底(とうてい)我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて家法を定めて推譲を行ふべし。或問ふ、夫れ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是れ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め五斗を譲り、廿石の者は同じく五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰く、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者譲りの道なくば有べからざるは論を待たずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり病人あるあり厄介あるあれば、毎戸法を立て厳に行へと云ふといへ共、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教へ有志者に能く勧めて行はしむべし。而て此道を勤る者は富貴(ふうき)栄誉(えいよ)之に帰し、此道を勤ざる者は富貴栄誉皆之を去る。少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す。予が言ふ処必ず違(たが)はじ。世の富有者に能く教へ度(た)きは此譲道なり。独り富者のみにあらず、又金穀(きんこく)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔(あぜ)も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。二三子(にさんし)能く勤めよ。
現代語訳
ある人が問うた。推譲の論がまだ理解できません。一石の身代の者が五斗で暮らし五斗を譲り、十石の者が五石で暮らし五石を譲るのは行いにくいでしょう、いかがですか。翁が言われた。そもそも譲は人の道だ。今日の物を明日へ譲り、今年の物を来年へ譲る道を勤めないのは、人でありながら人ではない。十銭稼いで十銭使い、二十銭稼いで二十銭使い、宵越しの銭を持たぬというのは鳥や獣の道であって人の道ではない。鳥獣には今日を明日へ、今年を来年へ譲る道がない。人は違う。今日を明日へ、今年を来年へ譲り、さらに子孫へ、他人へ譲る道がある。雇われて給金を取り、その半分を使い半分を将来のために譲り、あるいは田畑を買い家や蔵を建てるのは子孫へ譲ることだ。これは世間の人が知らず知らず行っている、まさに譲の道だ。だから一石の者が五斗を譲るのも、できないことではない。なぜなら自分のための譲だからだ。この譲は教えなくてもできる。これより上の譲は教えによらねば難しい。それは何か、親戚や友人のために譲り、郷里のために譲り、さらに難しいのは国家のために譲ることだ。この譲も結局は自分の富貴を保つためだが、目の前で他人に譲るから難しい。家産のある者は努めて家法を定め推譲を行うべきだ。またある人が問うた。譲は富者の道です。千石の村に戸数百、一戸十石なら、これは貧でも富でもない家だから譲らなくても分相応。十一石になれば富者の側に入るので、十石五斗を分度と定めて五斗を譲り、二十石の者は五石、三十石の者は十石を譲ると定めてはどうですか。翁が言われた。よろしい。ただし譲りの道は人の道で、人と生まれた以上、譲りの道がなくてよいわけがないのは論をまたない。だが人により家により、老人子供が多かったり病人や厄介者がいたりするから、一戸ごとに法を立てて厳しく行えと言っても、行えるものではない。ただ富裕な者によく教え、志ある者によく勧めて行わせるべきだ。そしてこの道を勤める者には富貴と栄誉が集まり、勤めない者には富貴栄誉がみな去る。少し行えば少し返り、大いに行えば大いに返る。私の言うことは必ず違わない。世の富裕者にぜひ教えたいのがこの譲の道だ。ただ富者だけでなく、金銭穀物だけでもない。道も譲らねばならず、畔(あぜ)も譲らねばならず、言葉も譲らねばならず、手柄も譲らねばならない。諸君、よく勤めよ。