二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、我道は、荒蕪を開くを以て勤とす、而て荒蕪に数種あり、田畑実に荒れたるの荒地あり、又借財嵩みて、家禄を利足の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり、是国に取て生地にして、本人に取て荒地なり、又薄地麁田、年貢高掛り丈の取実のみにして、作益なき田地あり、是上の為に生地にして、下の為に荒地なり、又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒に驕奢に耽り、財産を費すあり、国家に取て尤大なる荒蕪なり、又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋書画などを弄して、生涯を送るあり、世の中の為尤惜むべき荒蕪なり、又身体強壮にして、業を勤めず、怠惰博奕に日を送るあり、是又自他の為に荒蕪なり、此数種の荒蕪の内、心田荒蕪の損、国家の為に大なり、次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤て起さずばあるべからず、此数種の荒蕪を起して、悉く国家の為に供するを以て、我道の勤とす、「むかしより人の捨ざる無き物を拾集めて民にあたへん」、是予が志なり。
書き下し
翁曰(いわ)く、我が道は、荒蕪(こうぶ)を開くを以て勤(つとめ)とす。而(しか)して荒蕪に数種あり。田畑実に荒れたるの荒地あり。又借財嵩(かさ)みて、家禄(かろく)を利足(りそく)の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり、是(これ)国に取りて生地にして、本人に取りて荒地なり。又薄地麁田(そでん)、年貢高掛(たかがか)り丈(だけ)の取実のみにして、作益なき田地あり、是上の為に生地にして、下の為に荒地なり。又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒(いたずら)に驕奢(きょうしゃ)に耽(ふけ)り、財産を費(つい)やすあり、国家に取りて尤(もっと)も大なる荒蕪なり。又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋(きんき)書画などを弄(ろう)して、生涯を送るあり、世の中の為尤も惜(お)しむべき荒蕪なり。又身体強壮にして、業を勤めず、怠惰博奕(ばくえき)に日を送るあり、是又自他の為に荒蕪なり。此の数種の荒蕪の内、心田(しんでん)荒蕪の損、国家の為に大なり、次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤めて起(おこ)さずばあるべからず。此の数種の荒蕪を起して、悉(ことごと)く国家の為に供するを以て、我が道の勤とす。「むかしより人の捨てざる無き物を拾ひ集めて民にあたへん」、是予(よ)が志なり。
現代語訳
翁が言われた。我が道は荒蕪を開くことを務めとする。ところで荒蕪にはいくつもの種類がある。田畑が実際に荒れた荒地がある。また借財がかさんで、家禄を利息のために取られ、禄はあっても益がなくなるものがある。これは国にとっては生きた土地だが、本人にとっては荒地だ。また痩せた田で、年貢が高くかかるだけで作り手の利益がない田地がある。これは上(領主)にとっては生地だが、下(農民)にとっては荒地だ。また資産があり金力がありながら、国家のために使わず、いたずらに奢侈にふけって財産を費やす者がいる。国家にとって最も大きな荒蕪だ。また知恵も才能もありながら、学問もせず国家のためも思わず、琴・碁・書・画などにうつつを抜かして一生を送る者がいる。世のために最も惜しむべき荒蕪だ。また体が丈夫でありながら仕事に励まず、怠惰と博奕に日を送る者がいる。これも自他のための荒蕪だ。これらの荒蕪のうち、心田の荒蕪の損失が国家にとって最も大きく、次が田畑山林の荒蕪だ。みな努力して起こさなければならない。これらの荒蕪を起こし、ことごとく国家のために供するのを我が道の務めとする。「昔から人が捨てもしない無い物を拾い集めて民に与えよう」、これが私の志だ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、予(われ)が生涯の業(わざ)は、総て荒蕪(こうぶ)を開くを以て勤めとす。然(しか)して荒蕪に数種あり。田畝(でんぽ)の荒れたるあり、是(これ)は国家の荒地なり。又負債多くして家祿(かろく)を利足(りそく)の為に取られ、祿ありて祿なきに至るあり、是国家の為に生地(せいち)にして、其(そ)の人の為に荒地なり。又薄地麁田(はくちそでん)、公租(こうそ)と村費(そんぴ)丈けの取穀(しゅこく)あつて、作益(さくえき)無き田畑あり、是は上(かみ)の為に生地にして、下(しも)の為に荒地なり。又身体強壮にして怠惰に日を送る者あり、是自他の為に荒地なり。資産あり金力ありながら、国家の為になることを為さず、徒(いたずら)に驕奢(きょうしゃ)に耽(ふけ)り、財宝を費すあり、是世上(せじょう)大なる荒蕪なり。又智あり才ありて遊芸(ゆうげい)を事とし、琴棋書画(きんきしょが)などをもて遊びて世の為を思はず、生涯を送るあり、是も世の中の荒蕪なり。是等(これら)数種の荒蕪は其(そ)の元(もと)心田(しんでん)の荒蕪よりする物なれば、我が道は先づ心田の荒蕪を開くを先とすべし。心田の荒蕪を開きて後は、田畑の荒蕪に及びて此の数種の荒蕪を開きて熟田(じゅくでん)となさば、国の富強は掌(たなごころ)に運(めぐ)らすが如くなるべきなり。
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二宮翁夜話・巻之三翁の歌に「むかしより人の捨てざるなき物を拾ひ集めて民に与へん」とあるを、山内董正氏見て、是(これ)は人の捨てたると云ふべしと云へり。翁曰(いわ)く、然(しか)る時は人捨てざれば拾ふ事あたはず、甚(はなは)だ狭(せば)し。且(か)つ捨てたるを拾ふは僧侶の道にして、我が道にあらず。古歌に「世の人に欲を捨てよと勧めつつ跡より拾ふ寺の住職」と云へり、呵々(かか)。董正氏曰く、捨てざる無き物とは如何(いかん)。翁曰く、世の中人の捨てざる物にして無き物至て多し、挙げて数ふべからず。第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人の驕奢(きょうしゃ)、第四に貧人の怠惰(たいだ)等なり。夫(それ)荒地の如きは、捨てたる物の如くなれども、開かんとする時は、必ず持主ありて容易に手を付くべからず、是無き物にして、捨てたる物にあらず。又借金の利息借替(かりかえ)成替(なりかえ)の雑費、又同じ類なり、捨つるにあらずして、又無き物なり。其の外富者の驕奢の費(つい)え、貧者の怠惰の費え、皆同じ。世の中此の如く、捨つるにあらずして廃(すた)れて、無に属するもの幾等(いくら)もあるべし。能く拾ひ集めて、国家を興す資本とせば、普(あまね)く済(すく)ふて、猶(なお)余あらん。人の捨てざる無き物を、拾ひ集むるは、我幼年より勤むる処の道にして、今日に至る所以なり、則ち我が仕法金の本根なり。能く心を用ひて拾ひ集めて世を救ふべし。
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二宮翁夜話・巻之二弘化元年八月、其筋(すじ)より日光神領荒地起返(おこしかえ)し方申付る見込の趣(おもむき)、取調べ仕法書差出すべしと、翁(おきな)に命ぜらる、予(よ)が兄大沢勇助出府(しゅっぷ)し恐悦(きょうえつ)を翁に申す、予随(したが)へり、翁曰く、我(わが)本願(ほんがん)は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天授(てんじゅ)の善種、仁義礼智を培養(ばいよう)して、善種を收獲(しゅうかく)し、又蒔(まき)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(まきひろ)むるにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違(たが)へるは汝(なんじ)が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀(が)すは何ぞや、本意に背(そむ)きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫(それ)我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(うれ)ふるにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速(すみやか)に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新(あら)たにするにあり、至善に止(とど)まるにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗(ばか)り明になるや直(すぐ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(ちゆう)して命を伝ふるより速(すみやか)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務(せんむ)の事なり
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、山の裾(すそ)、また池のほとりなどの窪(くぼ)き田畑などには大古(たいこ)の池沼(ちしょう)などの、自(おのづか)ら埋(うま)りて田畑となりたる処ある物なり、此処(ここ)は、凡(すべ)て肥良(ひりょう)の土の多くある物なれば、尋(たず)ねて掘出して、麁田麁畑(そでんそばた)に入るゝ時は大なる益あり、是を尋ねて掘り出すは天に対し国に対しての勤(つとめ)なり、励(はげ)みて勤むべし。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、某村(ぼうそん)某(それがし)は強欲にして積財を勤め、隣に艱難(かんなん)あるも救はず、貧窮に陥(おちい)るあるも憐(あわ)れまず、金を貸すこと酷(こく)にして高利を貪(むさぼ)り、恨(うらみ)を村里に結んで意とせず、其行ひ甚だ悪(にく)むべきが如し。然(しか)といへども其力を農事に尽す処を見る時は、近郷比類なし。耕種培養(こうしゅばいよう)、能く時に先後せず、春は原野に草を刈り、秋は山林に落葉を掻(か)き、夏は炎暑を厭(いと)はず、冬雪霜を侵し、晨(あした)に起き夜半に寝(い)ねて、力を農事に尽せり。其勤農実に至れりと云ふべし、聖賢をして農業を勤めしむるも、之に過ぐべからず。其作物の為に尽せば、秋に至つて己に利ある事を了知すること、釈氏(しゃくし)といへども又之に過ぐべからず。若し此理を人倫の間に用ひ、自(みずか)ら能く勤むる所の農術を人に教へ、郷里の為に懇誠(こんせい)を尽さば、聖賢に彷彿(ほうふつ)たらん者なり。惜しひかな此地の賢人と呼ばれんものを、惜しひかな予之を諭しゝも悟る事能はず、惜しひかな。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、人の神魂(しんこん)に就(つ)きて、生ずる心を真心(まごころ)と云(い)う、則(すなわ)ち道心なり、身体に就きて生ずるを私心と云う、則ち人心なり、人心は譬(たと)えば、田畑に生ずる莠草(ゆうそう)の如し、勤(つと)めて耘(くさぎ)り去るべし、然(しか)せざれば、作物を害するが如く、道心を荒(あら)す物なり、勤めて私心の草を耘り、米麦を培養(ばいよう)するが如く、工夫を用い、仁義礼智の徳性(とくせい)を養(やしな)い育(そだ)つべし、是(これ)身を修(おさ)め家を斉(ととの)うるの勤なり。