師導古典を学びたいすべての人に

二宮翁夜話 / 巻之三

翁曰、我が教は、徳を以て徳に報うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其蒙る処人々皆広太也、之に報うに我が徳行を以てするを云、扨此徳行を立んとするには、先己々が天禄の分を明かにして、之を守るを先とす、故に予は入門の初めに、分限を取調べて能弁へさするなり、如何となれば、大凡富家の子孫は、我家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕見ゆ、皆坐す、子の曰、某は斯にありと、師冕出づ、子張問て曰、師と言ふの道か、子の曰、然り、固より師を助るの道なり、とあり、予が人を教ふる、先分限を明細に調べ、汝が家株田畑何町何反歩、此作益金何円、内借金の利子何程を引、残何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹を尽して、暮しを立、何程か余財を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲の者を助るの道なり、夫入るを計りて天分を定め、音信贈答も、義理も礼義も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇と云者あり共、夫は言ふ方の誤なれば、意とする事勿れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さゞるが、則礼なり義なり道なり、此理を能々弁へて、惑ふ事勿れ、是徳行を立る初なり、己が分度立ざれば徳行は立ざる物と知るべし

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、我が教(おしえ)は、徳を以て徳に報(むく)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其(その)蒙(こうむ)る処(ところ)人々皆広太(こうだい)也、之に報うに我が徳行(とっこう)を以てするを云ふ、扨(さて)此(この)徳行を立てんとするには、先(ま)づ己々(おのおの)が天禄(てんろく)の分(ぶん)を明(あきら)かにして、之を守るを先とす、故に予(よ)は入門の初めに、分限(ぶげん)を取調(とりしら)べて能(よ)く弁(わきま)へさするなり、如何(いか)となれば、大凡(おおよそ)富家(ふうか)の子孫は、我家(わがや)の財産は何程(いかほど)ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(しべん)見(まみ)ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張(しちょう)問ひて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然(しか)り、固(もと)より師を助くるの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝(なんじ)が家株(いえかぶ)田畑何町何反歩(なんちょうなんたんぶ)、此作益金(さくえききん)何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(きんけん)を尽(つく)して、暮しを立て、何程か余財(よざい)を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲(しんもう)の者を助くるの道なり、夫(それ)入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答(いんしんぞうとう)も、義理も礼義(れいぎ)も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(りんしょく)と云ふ者あり共(とも)、夫は言ふ方の誤(あやまり)なれば、意(い)とする事勿(なか)れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則(すなわ)ち礼なり義なり道なり、此理を能々(よくよく)弁へて、惑(まど)ふ事勿れ、是徳行を立つる初めなり、己(おのれ)が分度(ぶんど)立たざれば徳行は立たざる物と知るべし

現代語訳

翁が言われた。私の教えは、徳をもって徳に報いる道である。天地の徳をはじめ、主君の徳、親の徳、祖先の徳、人がこうむる恩はみな広大だ。これに報いるのに自分の徳行をもってする、それを説くのだ。さてこの徳行を立てようとするには、まず各自が自分の天禄(分け前)の限度を明らかにし、それを守ることを第一とする。だから私は入門の初めに、その者の身代を調べてよくわきまえさせる。なぜなら、およそ富家の子孫は、自分の家の財産がどれほどあるかを知らない者が多いからだ。『論語』に、盲目の楽師の冕(べん)が来て皆が座ると、孔子が「某はここに居ります」と告げ、冕が退出したのち、子張が「これが楽師に接する道ですか」と問い、孔子が「そうだ、もとより楽師を助ける道だ」と答えた、とある。私が人を教えるのも、まず身代を細かく調べ、お前の家株の田畑は何町何反歩、その作益金は何円、うち借金の利子いくらを引き、残りいくら、これがお前が暮らすべき一年の天禄だ、これ以外に取る所も入る所もない、この内で勤倹を尽くして暮らしを立て、いくらか余った財を人に譲るよう努めよ、これが道だ、これがお前の天命でありお前の天禄だ、と皆このように教える。これもまた心の盲目な者を助ける道である。収入を計って分限を定め、贈り物のやりとりも義理も礼儀も、みなこの内で行うべきだ。できなければ、みなやめるべきだ。あるいはこれを吝嗇(けち)だと言う者があっても、それは言う方の誤りだから気にするな。なぜなら、これ以外に取る所も入る物もないのだから。だから義理も交際もできなければしないのが、まさに礼であり義であり道なのだ。この道理をよくわきまえて迷うな。これが徳行を立てる始めである。自分の分度が立たなければ徳行も立たないと知るべきだ。

解説

報徳の教えとは「徳をもって徳に報いる」ことであり、その出発点は自分の分度を定めることだ、と説く一条です。天地・主君・親・祖先から受けた広大な恩に、自らの徳行で報いる。ところが恩の受け皿となる自分の身代すら知らぬ者が多いため、尊徳は入門者にまず田畑や収支を細かく調べさせ、「これがお前の一年の天禄だ」と数字で示します。その範囲内で倹約して暮らし、余りを人に譲る(推譲)――義理も交際も収入の内で行い、できなければやめるのが真の礼義だと言い切ります。それを吝嗇と非難されても気にするな、収入を超える付き合いはできないのだから、というのです。分度なくして推譲も徳行も成り立たないという構造を明快に示す、報徳思想の中核をなす一条であり、身の丈を知り無理な見栄を張らない生き方は現代の家計運営にも直結します。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳分度推譲天禄徳行

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる