二宮翁夜話 / 巻之二
翁曰、夫入るは出たる物の帰るなり、来るは押し譲りたる物の入来るなり、譬ば、農人田畑の為に尽力し、人糞を掛け干鰯を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法りを得る事、必多き勿論なり、然るを菜を蒔て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り穂を出せば穂をつみ実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲なし、商法も又同じ、己が利欲のみを専として買人の為を思はず、猥りに貪らば、其店の衰微、眼前なるべし、古語に、人心は惟危し道心惟微なり、惟精惟一允に其中を執れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり、是舜禹天下を授受するの心法なり、上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり、終るにはあらず、天より賜りたるを、天に取上げらるゝなり、其理又明白なり、誠に金言といふべし、然といへども、儒者の如く講じては、今日上、何の用にもたゝぬ故、今汝等が為に、分り安く読て聞せん、支那の咄しと思て、迂闊に聞ず、能く肝に銘ぜよ、人心惟危し道心惟微なりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云事なり、惟精惟一允に其中を執れとは、能精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲て、一村の衰へざる様、一村の益々富み益々栄える様に勉強せよ、と云事なり、四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云事と心得べし、帝王の咄しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云なれ、汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読べし、能々肝銘せよ。
書き下し
翁曰く、夫(それ)入るは出(いで)たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬(たと)へば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔(まき)て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(しゅうかく)なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専(もっぱら)として買人の為を思はず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、其店の衰微(すいび)、眼前なるべし。古語に、人心は惟(これ)危(あや)うし道心惟(これ)微(かす)かなり、惟(これ)精惟(これ)一、允(まこと)に其中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。是舜(しゅん)禹(う)天下を授受(じゅじゅ)するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜(たまわ)りたるを、天に取上げらるゝなり。其理又明白なり。誠に金言(きんげん)といふべし。然(しか)りといへども、儒者(じゅしゃ)の如く講じては、今日の用、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に、分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄(はな)しと思ひて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝(きも)に銘(めい)ぜよ。人心惟危うし道心惟微かなりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり。惟精惟一允に其中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(おしゆず)りて、一村の衰(おとろ)へざる様、一村の益々(ますます)富(と)み益々栄(さか)える様に勉強せよ、と云ふ事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし。帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能々(よくよく)肝銘せよ。
現代語訳
翁が言われた。そもそも入ってくるものは、出したものが帰ってくるのであり、来るものは、押し譲ったものが入ってくるのだ。たとえば農民が田畑のために尽力し、肥やしをかけ干鰯を用いて作物のために力を尽くせば、秋には多くの実りを得るのは当然だ。ところが菜をまいて、芽が出れば芽を摘み、枝が出れば枝を切り、穂が出れば穂を摘み、実がなれば実を取る――こうすれば決して収穫はない。商売も同じだ。自分の利欲ばかりを優先して客のためを思わず、みだりにむさぼれば、その店の衰えは目の前だ。古語に「人心はあやうく、道心はかすかだ。ひたすら精しくひたすら一つに、まことにその中を執れ。四海が困窮すれば天禄も永く終わる」とある。これは舜と禹が天下を授受するときの心法だ。上に立つ者が下から取ることが多く、下が困窮すれば、上の天禄も永く終わるという。終わるのではなく、天から賜ったものを天に取り上げられるのだ。その理もまた明白で、まことに金言というべきだ。とはいえ儒者のように講義しては今日の役に立たないから、今おまえたちのために分かりやすく読んで聞かせよう。中国の話だと思って油断して聞かず、よく肝に銘じよ。「人心はあやうく道心はかすかだ」とは、身勝手にすることは危ういもの、他人のためにすることは嫌になりやすいものだ、ということだ。「ひたすら精しくひたすら一つにその中を執れ」とは、よく精力を尽くし、一心堅固に、二百石の者は百石で暮らし、百石の者は五十石で暮らし、その半分を推し譲って、一村が衰えないよう、一村がますます富み栄えるよう努めよ、ということだ。「四海が困窮すれば天禄も永く終わる」とは、一村が困窮すれば、田畑をどれほど持っていても決して収益は取れなくなるものだ、と心得よ。帝王の話だからこそ四海といい天禄というのだ。おまえたちのためには、四海を一村と読み、天禄を作徳(田畑の収益)と読むべきだ。よくよく肝に銘じよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、本来東西無し、また過不及(かふきゅう)無しなど云ふは、平(たいら)なる器を見て云ふ語なり、則(すなわ)ち本然(ほんぜん)の天理なり。既に一器あり、之に己(おのれ)あれば傾かざるを得ず、傾く時は其(そ)の器の中の水必ず前後左右に増減す、之を世に某(それがし)は厚運(こううん)、某は薄運(はくうん)などゝ云ふなり、是某と云ふ己がある故なり。己なき時は東西も無く遠近も無く、過不及もなし、是本然の天理なり。古語に「天運循環して往(ゆ)きて復(かえ)らざるなし」と云へり、是傾きたる器の水の増減するを云ふなり、某は厚運、某は薄運など云ふも則ち是なり。予(われ)が歌に「増減は器傾く水と見よ、あちらにませばこちらへるなり」皆此の通りなり、縦令(たとい)蓋をするも只目に見えぬのみ、水の増減するは疑ひなし。今爰(ここ)に薪を取りて自(みずか)ら焚(た)かずして売る者は、賎(いや)しきが如しといへども、夫(それ)丈けの運を増すなり、此の銭にて酒を呑めば、又直(ただち)に夫丈けの運を減らすなり。田畑へ肥(こや)しをする者は、眼前益無しといへども、秋に至れば実法(みの)り多し、此の時に則ち運をますなり。遊びなまけて田畑を麁作(そさく)したる者は、秋に至つて取実(しゅじつ)少し、爰に至つて運の減ずる事知るべし。皆明白にして愚夫愚婦(ぐふぐふ)といへども、此の道理は知るなるべし、此の道理を知つて能(よ)く勤むるは則ち道を悟りたるに同じ、是に於ては何を成すにも利益あるなり、是に反すれば何をなしても損失なり、誠に明白の理なり。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、財を惜(おし)む者は、如何程(いかほど)愍然(びんぜん)の者を見るも扱(あつか)ふ事能(あた)はず。命を惜む者は、君の不能を見て強諫(きょうかん)すること能はず、又馬前(ばぜん)に死する事も能はず。此(か)くの如き者は農事も十分にする事は出来ざるべし。夫(そ)れ農は天変凶歳(きょうさい)風雨を恐れては、十分に肥(こやし)を用ひ、力を尽す事は出来ぬなり。損害は天に任せて、天下の農人(のうにん)は農をするなり。然(しか)るを況(いわ)んや仕官して君に仕ふる者をや、況(ま)して累代(るいだい)仕官の者をや。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、一村千石の高(たか)にて、戸数百戸あれば、一戸十石に当る。是(これ)其の村に住む者の天命なり、之より多きは富者といふべし、富者の務(つとめ)は譲(じょう)なりと。門人中一人進みて曰く、予(よ)村内にて天命に当れり、予は足ることを知りて、この天命に安んじて、勤倹(きんけん)を守り、年々不足なく暮しを立て、足れりとして金を積みて、田畑を買ふ事をなさず、是則(すなわ)ち譲道(じょうどう)に当るべしと。翁曰く、是は不貧(ふどん)といふべし、何ぞ譲といふことを得ん、此の如き論老仏者流(ろうぶつしゃりゅう)に多し、悪からずと雖(いへど)も、今一段上らざれば国家の用をなさず、然らざれば何を以て天恩四恩(てんおんしおん)に報ゆべき、夫(それ)勤倹以て財を積み、田畑を買求め、家産を増殖して、天命あることを知らず、道に志さず、飽迄(あくまで)も増殖を欲し、又自奉(じほう)にのみ費すは、云ふに足らざる小人(しょうじん)なり、其心志(しんし)奪(だつ)にあり。勤倹以て財を積み、田畑を買求め、家産を増殖する迄は同じといへども、爰(ここ)に於て天命あることを能(よ)く知り、道に志して譲道を行ひ、土地を改良し、土地を開き、国民を助くる、此の如くにしてこそ譲道を行ふと云ふべきなれ。此の如くにしてこそ国家の用ともなり、報徳ともなるなれ、何ぞ前の不貧者を譲者と云ふべけんや。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、我が教(おしえ)は、徳を以て徳に報(むく)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其(その)蒙(こうむ)る処(ところ)人々皆広太(こうだい)也、之に報うに我が徳行(とっこう)を以てするを云ふ、扨(さて)此(この)徳行を立てんとするには、先(ま)づ己々(おのおの)が天禄(てんろく)の分(ぶん)を明(あきら)かにして、之を守るを先とす、故に予(よ)は入門の初めに、分限(ぶげん)を取調(とりしら)べて能(よ)く弁(わきま)へさするなり、如何(いか)となれば、大凡(おおよそ)富家(ふうか)の子孫は、我家(わがや)の財産は何程(いかほど)ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(しべん)見(まみ)ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張(しちょう)問ひて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然(しか)り、固(もと)より師を助くるの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝(なんじ)が家株(いえかぶ)田畑何町何反歩(なんちょうなんたんぶ)、此作益金(さくえききん)何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(きんけん)を尽(つく)して、暮しを立て、何程か余財(よざい)を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲(しんもう)の者を助くるの道なり、夫(それ)入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答(いんしんぞうとう)も、義理も礼義(れいぎ)も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(りんしょく)と云ふ者あり共(とも)、夫は言ふ方の誤(あやまり)なれば、意(い)とする事勿(なか)れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則(すなわ)ち礼なり義なり道なり、此理を能々(よくよく)弁へて、惑(まど)ふ事勿れ、是徳行を立つる初めなり、己(おのれ)が分度(ぶんど)立たざれば徳行は立たざる物と知るべし
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、我道は譲道(じょうどう)を貴(たっと)ぶ、譲道は富貴(ふうき)を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり、されば我道は富貴を永遠に維持するの道なりと云ふも不可なかるべし、されば富貴者たる者は、必(かならず)我道に入りて誠心(せいしん)相勤め、永遠に富貴を祈るべし。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、商業の繁栄し、大家(たいか)となるは高利を貪(むさぼ)らず、安価(あんか)に売るを以てなり。其高利を貪らざるが為に、国中の買人(かいにん)集り来るは当然の事なれど、売る物も又之に集るは妙と云ふべし。買ふと売るとの間に立ちて、高く買ひて安く売るは、行はるべからず、然らば安く売るは買ひ方も安かるべし、安く買ふ所に売る者の集るは、実に妙なり、是皆双方に高利を貪らざるの致す所なり。高利を貪らざるのみにて、買ふ者も売る者も共に集りて、次第に富を致す、是又妙なり。商家にして高利を貪らざるすら此の如し、然るを況(いわ)んや我方法は、無利足(むりそく)なり、尊ばざるべけんや。