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二宮翁夜話 / 巻之二

弘化元年八月、其筋より日光神領荒地起返し方申付る見込の趣、取調べ仕法書差出すべしと、翁に命ぜらる、予が兄大沢勇助出府し恐悦を翁に申す、予随へり、翁曰、我本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天授の善種、仁義礼智を培養して、善種を收獲し、又蒔返し蒔返して、国家に善種を蒔弘るにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違へるは汝が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀すは何ぞや、本意に背きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂るにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新にするにあり、至善に止るにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗り明になるや直に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵して命を伝ふるより速也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務の事なり

新字:弘化元年八月、其筋より日光神領荒地起返し方申付る見込の趣、取調べ仕法書差出すべしと、翁に命ぜらる、予が兄大沢勇助出府し恐悦を翁に申す、予随へり、翁曰、我本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天授の善種、仁義礼智を培養して、善種を収獲し、又蒔返し蒔返して、国家に善種を蒔弘るにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違へるは汝が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀すは何ぞや、本意に背きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂るにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新にするにあり、至善に止るにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗り明になるや直に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵して命を伝ふるより速也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務の事なり

書き下し

弘化元年八月、其筋(すじ)より日光神領荒地起返(おこしかえ)し方申付る見込の趣(おもむき)、取調べ仕法書差出すべしと、翁(おきな)に命ぜらる、予(よ)が兄大沢勇助出府(しゅっぷ)し恐悦(きょうえつ)を翁に申す、予随(したが)へり、翁曰く、我(わが)本願(ほんがん)は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天授(てんじゅ)の善種、仁義礼智を培養(ばいよう)して、善種を收獲(しゅうかく)し、又蒔(まき)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(まきひろ)むるにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違(たが)へるは汝(なんじ)が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀(が)すは何ぞや、本意に背(そむ)きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫(それ)我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(うれ)ふるにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速(すみやか)に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新(あら)たにするにあり、至善に止(とど)まるにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗(ばか)り明になるや直(すぐ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(ちゆう)して命を伝ふるより速(すみやか)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務(せんむ)の事なり

現代語訳

弘化元年八月、当局から日光神領の荒地を起こし返す方策を命じるつもりだから、取り調べて仕法書を差し出すように、と翁に命じられた。私の兄の大沢勇助が江戸へ出て、翁にお祝いを申し上げた。私も従っていた。翁が言われた。私の本願は、人々の心の田の荒れ地を開拓し、天から授かった善の種、すなわち仁義礼智を培い育て、善の種を収穫し、また蒔き返し蒔き返して、国じゅうに善の種を蒔き広めることにある。ところが今度の命令は土地の荒れ地の開拓だから、私の本願に反しているのはお前も知るとおりではないか。それなのに遠くから来てこの命を祝うのはなぜか。本意に背いた命令ではあるが、命令だから仕方がない、及ばずながら私たちもお手伝いいたしましょう、と言うなら喜ぼう。そうでなければ喜ばない。そもそも私の道は、人々の心の荒れ地を開くことを本意とする。心の荒れ地を一人でも開けば、土地の荒れ地は何万町あっても憂えるに足りないからだ。お前の村のように、お前の兄一人の心の開拓ができただけで、一村がたちまち一新した。大学に「明徳を明らかにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止まるにあり」とある。明徳を明らかにするとは心の開拓をいう。お前の兄の明徳が少し明らかになるや、たちまち一村の人民が新たになった。「徳が広まるのは、宿場宿場に馬を継いで命令を伝えるより速い」とはこのことだ。国へ帰ったら早く至善に止まる法を立て、父祖の恩に報いよ。これが最も大切な務めである。

解説

日光神領の荒地開拓を命じられた尊徳を、門人の兄が祝いに来ます。しかし尊徳は喜びません。自分の本願は土地の開墾ではなく「人々の心の田の荒れ地」を開き、仁義礼智という善の種を蒔き広めることだと語るのです。心の荒廃が一人開ければ、土地の荒廃が何万町あっても憂えるに足りない――現に門人の兄一人の心が開けただけで、一村がたちまち一新した実例を示します。『大学』の「明徳を明らかにす」を心の開拓と読み、徳の広まる速さは早馬の伝令より速いと説きます。田畑の復興は手段であり、根本の目的は人の心の開拓と善の推譲にあるという、報徳思想の精髄です。制度や環境を整える以上に、まず人の心を耕すことが変化の起点だという教えは、現代の組織づくりにも深く響きます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳心の開拓大学明徳推譲

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