二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、学者書を講ずる悉しといへども、活用する事を知らず、徒らに仁は云々義は云々と云り、故に社会の用を成さず、只本読みにて、道心法師の誦経するに同じ、古語に、権量を謹み法度を審にす、とあり、是大切の事なり、之を天下の事とのみ思ふ故に用をなさぬ也、天下の事などは差置て、銘々己が家の権量を謹み、法度を審にするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり、家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、此作徳何拾円と取調べて分限を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算を立る、是己が家の権量、己が家の法度なり、是を審にし、之を慎んで越えざるこそ、家を斉ふるの元なれ、家に権量なく法度なき、能久きを保んや。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、学者書を講ずる悉(くわ)しといへども、活(かつ)用する事を知らず、徒(いたず)らに仁は云々義は云々と云へり、故に社会の用を成さず、只本読みにて、道心法師の誦経(じゅきょう)するに同じ、古語に、権量(けんりょう)を謹(つつし)み法度(はっと)を審(つまびら)かにす、とあり、是大切の事なり、之を天下の事とのみ思ふ故に用をなさぬなり、天下の事などは差置(さしお)きて、銘々(めいめい)己(おの)が家の権量を謹み、法度を審かにするこそ肝要なれ、是道徳経済の元なり、家々の権量とは、農家なれば家株田畑、何町何反歩、此作徳(さくとく)何拾円と取調べて分限(ぶんげん)を定め、商法家なれば前年の売徳金を取調べて、本年の分限の予算(よさん)を立つる、是己が家の権量、己が家の法度なり、是を審かにし、之を慎んで越(こ)えざるこそ、家を斉(ととの)ふるの元なれ、家に権量なく法度なき、能(よ)く久しきを保(たも)たんや。
現代語訳
翁が言われた。学者は書物の講釈に詳しくても、それを活用することを知らない。むやみに「仁がどうの、義がどうの」と言うばかりだ。だから社会の役に立たず、ただの本読みで、修行僧が経を読むのと同じである。古語に「権量(度量衡)を謹み、法度をつまびらかにする」とある。これは大切なことだ。これを天下国家のこととばかり思うから役に立たないのだ。天下のことなどはさておいて、めいめいが自分の家の度量衡を謹み、きまりを明らかにすることこそ肝要である。これが道徳と経済のもとだ。家々の度量衡とは、農家なら持ち家や田畑が何町何反歩、その作徳(収穫による所得)が何十円と調べて分限(生活の限度)を定めることであり、商家なら前年の売り上げ利益を調べて本年の分限の予算を立てることである。これが自分の家の度量衡、自分の家のきまりだ。これを明らかにし、慎んでその範囲を越えないことこそ、家を整えるもとである。家に度量衡もなくきまりもなくて、どうして長く保てようか。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、我が教(おしえ)は、徳を以て徳に報(むく)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其(その)蒙(こうむ)る処(ところ)人々皆広太(こうだい)也、之に報うに我が徳行(とっこう)を以てするを云ふ、扨(さて)此(この)徳行を立てんとするには、先(ま)づ己々(おのおの)が天禄(てんろく)の分(ぶん)を明(あきら)かにして、之を守るを先とす、故に予(よ)は入門の初めに、分限(ぶげん)を取調(とりしら)べて能(よ)く弁(わきま)へさするなり、如何(いか)となれば、大凡(おおよそ)富家(ふうか)の子孫は、我家(わがや)の財産は何程(いかほど)ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(しべん)見(まみ)ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張(しちょう)問ひて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然(しか)り、固(もと)より師を助くるの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝(なんじ)が家株(いえかぶ)田畑何町何反歩(なんちょうなんたんぶ)、此作益金(さくえききん)何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(きんけん)を尽(つく)して、暮しを立て、何程か余財(よざい)を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲(しんもう)の者を助くるの道なり、夫(それ)入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答(いんしんぞうとう)も、義理も礼義(れいぎ)も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(りんしょく)と云ふ者あり共(とも)、夫は言ふ方の誤(あやまり)なれば、意(い)とする事勿(なか)れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則(すなわ)ち礼なり義なり道なり、此理を能々(よくよく)弁へて、惑(まど)ふ事勿れ、是徳行を立つる初めなり、己(おのれ)が分度(ぶんど)立たざれば徳行は立たざる物と知るべし
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、凡(およ)そ事を成さんと欲せば、始に其(その)終を詳(つまびらか)にすべし、譬(たと)へば木を伐(き)るが如き、未(いま)だ伐らぬ前に、木の倒(たお)るゝ処を、詳に定めざれば、倒れんとする時に臨(のぞ)んで、如何(いか)共仕方無し、故に、予印旛沼(いんばぬま)を見分(けんぶん)する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云て、如何なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり、相馬侯(そうまこう)、興国の方法依頼(いらい)の時も、着手より以前に百八十年の収納を調(しら)べて、分度(ぶんど)の基礎(きそ)を立たり、是(これ)荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、我方法は分度を定むるを以て本とす、此分度を確乎(かっこ)と立て、之を守る事厳(げん)なれば、荒地何程あるも借財何程あるも、何をか懼(おそ)れ何をか患(うれ)へん、我(わが)富国安民の法は、分度を定むるの一ツなればなり、夫(それ)皇国は、皇国丈(だけ)にて限れり、此外へ広(ひろ)くする事は決してならず、然れば十石は十石、百石は百石、其分を守るの外に道はなし、百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれ共、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、是(これ)安きに似て甚(はなは)だ難事なり、故に分度を守るを我道の第一とす、能此理を明にして、分を守れば、誠に安穏(あんのん)にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植て、其成木を待て楽(たの)しむ事を得る也、分度を守らざれば先祖より譲(ゆず)られし大木の林を、一時に伐払(きりはら)ひても、間に合ぬ様に成行く事、眼前(がんぜん)なり、分度を越(こ)ゆるの過(あやまち)恐るべし、財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲(ゆず)り、世の為をして年を積(つ)まば、其功徳無量なるべし、釈氏(しゃくし)は世を救(すく)はんが為に、国家をも妻子をも捨(す)てたり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、哀公(あいこう)問ふ、年饑(う)ゑて用足らず是(これ)を如何(いかん)、有若(ゆうじゃく)答(こた)へて曰く、何ぞ徹(てっ)せざるやと。是(これ)面白(おもしろ)き道理なり。予(よ)常に人を諭(さと)す、一日十銭取て足らずんば、九銭取るべし、九銭取て足らずんば、八銭取るべしと。夫(そ)れ人の身代(しんだい)は、多く取れば益々(ますます)不足を生じ、少(すく)く取りても、不足なき物なり。是(これ)理外(りがい)の理なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、何程(なにほど)勉強(べんきょう)すといへ共、何程倹約(けんやく)すといへ共、歳暮(さいぼ)に差支(さしつか)ふる時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず。夫(そ)れ先(さき)んずれば、人を制(せい)し、後(おく)るれば、人に制せらるといふ事あり。倹約も先んぜざれば、用をなさず、後るる時は無益(むえき)なり。世の人此の理に暗(くら)し。譬(たと)へば千円の身代(しんだい)、九百円に減(へ)ると、先(ま)づ一年は他借(たしゃく)を以て暮す、故に又八百円に減るなり。此の時初めて倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る。又改革をして、八百円にて暮す。年々此の如くなる故、労(ろう)して功なく、終(つい)に滅亡(めつぼう)に陥(おちい)るなり。此の時に至りて、我(われ)不運なりなどと云ふ。不運なるにあらず、後るるが故に、借金に制せられしなり。只(ただ)此の一挙(いっきょ)、先んずると後るるとの違(たが)ひにあり。千円の身代にて九百円に減らば、速(すみや)かに八百円に引去(ひきさ)りて暮しを立つべし。八百円に減らば、七百円に引去るべし。之を先んずると云ふなり。譬へば難治(なんじ)の腫物(しゅもつ)の出来たる時は、手にても足にても断然(だんぜん)切りて捨(す)つるが如し。姑息(こそく)に流れ因循(いんじゅん)する時は、終に死に至り悔(く)いて及ばざるに至る。恐るべし。