留魂録 / 陽明学
留魂録(陽明学)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全26句。
吉田松陰(一八三〇〜一八五九)が、安政の大獄で江戸伝馬町の獄に囚われ、死罪の申し渡しを前にした安政六年十月二十五日から二十六日の夕暮れにかけて、門人たちに宛てて書いた遺書です。冒頭に「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の辞世を置き、取り調べの経過と、供述書に言っていない言葉を書き込まれて争ったこと、生と死の間で揺れた心の動きを率直に記します。中ほどの「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり」で始まる一条では、十歳には十歳の、百歳には百歳の四季があると説き、三十歳で死ぬ自分にもすでに実りの時が来たと述べて、その実りを継ぐかどうかを同志に託します。後半は、獄中で知り合った水戸の堀江克之助や鮎沢伊太夫、讃岐の長谷川宗右衛門らを一人ずつ紹介し、京都に学校を興す構想や連絡の手筈まで書き残した、門人への引き継ぎ書になっています。翌二十七日、松陰は処刑されました。松陰は同じ遺書を二通作り、一通は萩の門人に届いて写され、もう一通は牢名主の沼崎吉五郎が流罪先でも守り続けて、明治九年に門人の野村靖に手渡しました。今、萩の松陰神社に伝わるのはこの一通です。師導では、この自筆本を原本とする『吉田松陰全集』定本版(一九三四)を底本に、明治二年の松下村塾刊本と照らし、頁の画像で字を確かめて、全十六条と辞世・結びの歌を章句にして本文の百パーセントを覆いました。学派は「陽明学」に置いています。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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