留魂録 / 第十五条
一、清狂ノ護国論及ヒ吟稿、口羽ノ詩稿、天下同志ノ士ニ寄示シタシ、故ニ余是ヲ水人鮎沢伊太夫ニ贈ルコトヲ許ス、同志其吾ニ代テ此言ヲ践マハ幸甚ナリ、
書き下し
一、清狂の護国論及び吟稿、口羽の詩稿、天下同志の士に寄示したし。故に余是れを水人鮎沢伊太夫に贈ることを許す。同志其れ吾に代りて此の言を践まば幸甚なり。
現代語訳
月性(清狂)の『護国論』と詩稿、口羽杷山の詩稿を、天下の同志の士に送って見せたい。そこで私は、これを水戸の人鮎沢伊太夫に贈ることを約束した。同志よ、私に代わってこの約束を果たしてくれれば、まことに幸いである。
解説
清狂は周防の僧月性で、海防と尊王を説いた『護国論』で知られる詩僧、口羽杷山は長州藩士で松陰の友人です。月性は前年に、杷山はこの年の夏に亡くなっていました。松陰は、亡き友の文章を全国の同志に届けたいと願い、獄中で知り合った鮎沢伊太夫に贈ると約束します。自分では果たせない約束を同志に代わって果たしてほしいと頼む短い条ですが、死者の言葉を生かし続けようとする心がこもっています。人の仕事を次へ渡すことが、松陰にとっての友情の形でした。
この章句が説くこと
友情約束継承遺稿同志
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