留魂録 / 第九条
又鮎沢伊太夫ハ水藩ノ士ニシテ堀江ト同居ス、余ニ告テ曰、今足下ノ御沙汰モ未タ測ラレズ、小子ハ海外ニ赴ケハ天下ノ事總テ天命ニ付センノミ、但シ天下ノ益トナルヘキ事ハ同志ニ托シ後輩ニ殘シ度コトナリト、此言大ニ吾志ヲ得タリ、吾ノ祈念ヲ籠ル所ハ同志ノ士甲斐々々シク吾志ヲ継紹シテ尊攘ノ大功ヲ建テカシナリ、吾死ストモ堀鮎二子ノ如キハ海外ニ在トモ獄中ニ在トモ同志タラン者願クハ交ヲ結ベカシ、又本所龜沢町ニ山口三輶ト云医者アリ、義ヲ好ム人ト見ヘテ、堀鮎二子ノ事ナト外間ニ在テ大ニ周旋セリ、尤モ及フヘカラサルハ、未タ一面モナキ小林民部ノ事二子ヨリ申遣タレハ、小林ノ為メニモ亦大ニ周旋セリ、此人想フニ不凡ナラン、且三子ヘノ通路ハ此三輶老ニ托スヘシ、
新字:又鮎沢伊太夫ハ水藩ノ士ニシテ堀江ト同居ス、余ニ告テ曰、今足下ノ御沙汰モ未タ測ラレズ、小子ハ海外ニ赴ケハ天下ノ事総テ天命ニ付センノミ、但シ天下ノ益トナルヘキ事ハ同志ニ托シ後輩ニ残シ度コトナリト、此言大ニ吾志ヲ得タリ、吾ノ祈念ヲ籠ル所ハ同志ノ士甲斐々々シク吾志ヲ継紹シテ尊攘ノ大功ヲ建テカシナリ、吾死ストモ堀鮎二子ノ如キハ海外ニ在トモ獄中ニ在トモ同志タラン者願クハ交ヲ結ベカシ、又本所亀沢町ニ山口三輶ト云医者アリ、義ヲ好ム人ト見ヘテ、堀鮎二子ノ事ナト外間ニ在テ大ニ周旋セリ、尤モ及フヘカラサルハ、未タ一面モナキ小林民部ノ事二子ヨリ申遣タレハ、小林ノ為メニモ亦大ニ周旋セリ、此人想フニ不凡ナラン、且三子ヘノ通路ハ此三輶老ニ托スヘシ、
書き下し
又鮎沢伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す。余に告げて曰く、「今足下の御沙汰も未だ測られず、小子は海外に赴けば、天下の事総て天命に付せんのみ。但し天下の益となるべき事は、同志に托し後輩に残し度きことなり」と。此の言大いに吾が志を得たり。吾の祈念を籠むる所は、同志の士甲斐甲斐しく吾が志を継紹して、尊攘の大功を建てよかしなり。吾死すとも、堀・鮎二子の如きは、海外に在りとも獄中に在りとも、吾が同志たらん者願はくは交を結べかし。又本所亀沢町に山口三輶と云ふ医者あり、義を好む人と見えて、堀・鮎二子の事など外間に在りて大いに周旋せり。尤も及ぶべからざるは、未だ一面もなき小林民部の事、二子より申し遣はしたれば、小林の為めにも亦大いに周旋せり。此の人想ふに不凡ならん。且つ三子への通路は此の三輶老に托すべし。
現代語訳
また鮎沢伊太夫は水戸藩士で、堀江と同じ牢にいる。彼は私に告げた。「今、あなたへのお裁きもまだ分からない。私は遠島となるから、天下のことはすべて天命にまかせるほかない。ただ、天下の益となることは、同志に託し、後輩に残しておきたい」と。この言葉は大いに私の志にかなった。私が念を込めて願うのは、同志の士がかいがいしく私の志を受け継いで、尊王攘夷の大きな功を立ててくれることである。私が死んでも、堀江・鮎沢の二人とは、遠島にあっても獄中にあっても、私の同志たる者はどうか交わりを結んでほしい。また本所亀沢町に山口三輶という医者がいる。義を好む人とみえて、堀江・鮎沢二人のことなどを獄の外で大いに世話した。とりわけ及びがたいのは、まだ一度も会ったことのない小林民部のことも、二人から頼んでやったところ、小林のためにも大いに奔走してくれたことである。この人は思うに並の人ではあるまい。三人への連絡はこの三輶老人に託すとよい。
解説
この章句が説くこと
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