留魂録 / 第六条
然トモ事已ニ爰ニ至レハ、刺違切拂ノ両事ヲ受ケサルハ、却テ激烈ヲ缺キ、同志ノ諸友亦惜ムナルベシ、吾ト云トモ亦惜シマサルニ非ズ、然トモ反復是ヲ思ヘハ成功ノ一死區々一言ノ得失ニ非ズ、今日義卿奸權ノ為メニ死ス、天地神明照鑑上ニアリ、何惜ムコトカアラン、
新字:然トモ事已ニ爰ニ至レハ、刺違切払ノ両事ヲ受ケサルハ、却テ激烈ヲ欠キ、同志ノ諸友亦惜ムナルベシ、吾ト云トモ亦惜シマサルニ非ズ、然トモ反復是ヲ思ヘハ成功ノ一死区々一言ノ得失ニ非ズ、今日義卿奸権ノ為メニ死ス、天地神明照鑑上ニアリ、何惜ムコトカアラン、
書き下し
然れども事已に爰に至れば、刺し違へ・切り払ひの両事を受けざるは、却つて激烈を欠き、同志の諸友亦惜しむなるべし。吾と云へども亦惜しまざるに非ず。然れども反復是れを思へば、成功(成仁)の一死、区々一言の得失に非ず。今日義卿奸権の為めに死す、天地神明照鑑上にあり、何ぞ惜しむことかあらん。
現代語訳
けれども事がもうここまで来てしまえば、刺し違えや切り払いの二つの罪を受けないのは、かえって激しさに欠けると、同志の諸君も惜しむことであろう。私とても惜しく思わないわけではない。しかし繰り返し考えてみると、仁を成すための死は、わずかな一言の得失にかかわるものではない。今日、義卿(松陰)は悪しき権力のために死ぬ。天地の神々は上から照らし見ておられる。何を惜しむことがあろうか。
解説
前半で偽りの文言に抗った松陰は、ここで気持ちを転じます。どうせ死罪なら、いっそ激烈な罪を背負ったほうが同志も喜ぶかもしれない、と一度は思う。しかし繰り返し考えた末に、仁を成す死の値打ちは、供述書の一言でどう書かれたかには左右されないと結論します。底本は「成功」と書きますが、明治二年の刊本は「成仁」で、文意もそちらです。義卿は松陰の字です。最後は、天地の神明が見ているという一点に心を落ち着けます。人の評価から天の照覧へと視点を移すことで、怒りが静けさに変わっていく過程が見える一節です。
この章句が説くこと
成仁天覚悟死生観静けさ
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