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留魂録 / 第七条

一、吾此回初メ素ヨリ生ヲ謀ラス、又死ヲ必セズ、唯誠ノ通塞ヲ以テ天命ノ自然ニ委シタルナリ、七月九日ニ至テハ略一死ヲ期ス、故ニ其詩ニ云、継盛唯當甘市戮、倉公寧復望生還、其後九月五日、十月五日吟味ノ寬容ナルニ欺カレ、又必生ヲ期ス、亦頗ル慶幸ノ心アリ、

新字:一、吾此回初メ素ヨリ生ヲ謀ラス、又死ヲ必セズ、唯誠ノ通塞ヲ以テ天命ノ自然ニ委シタルナリ、七月九日ニ至テハ略一死ヲ期ス、故ニ其詩ニ云、継盛唯当甘市戮、倉公寧復望生還、其後九月五日、十月五日吟味ノ寛容ナルニ欺カレ、又必生ヲ期ス、亦頗ル慶幸ノ心アリ、

書き下し

一、吾此の回初めより素より生を謀らず、又死を必せず、唯だ誠の通塞を以て天命の自然に委したるなり。七月九日に至りては略ぼ一死を期す。故に其の詩に云ふ、「継盛唯だ当に市戮に甘んずべし、倉公寧ぞ復た生還を望まんや」と。其の後九月五日・十月五日、吟味の寛容なるに欺かれ、又必生を期す。亦頗る慶幸の心あり。

現代語訳

私は今回、初めから生きようと謀りもせず、また死ぬと決めてかかりもしなかった。ただ誠が通じるか塞がるかによって、天命の自然な成り行きにまかせたのである。七月九日になって、ほぼ死ぬものと覚悟した。だからその時の詩に「楊継盛のように、市中で処刑されることに甘んじるほかない。淳于意(倉公)のように、どうして生きて帰ることを望もうか」と詠んだ。その後、九月五日と十月五日の取り調べが寛大であったのにあざむかれて、また必ず生きられると思い、ずいぶん喜ぶ心も起きた。

解説

松陰は、生きようとも死のうとも決めず、誠が通じるかどうかを天に任せたと言います。楊継盛は明の忠臣で、権臣の厳嵩を弾劾して処刑された人、倉公は前漢の名医淳于意で、罪を得たが娘の上書によって救われた人です。一度は死を覚悟して詩に詠みながら、取り調べが穏やかになると、また生きられると喜んだ自分を隠さずに書きます。覚悟が揺れたことを恥じずに記すこの率直さが、留魂録を作り物の英雄譚ではなく、生身の人間の記録にしています。

この章句が説くこと

天命誠揺れ覚悟生死

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