留魂録 / 第一条
然ルニ五月十一日、關東ノ行ヲ聞シヨリハ、又一誠字ニ工夫ヲ付タリ、時ニ子遠死字ヲ贈ル、余是ヲ用ヒズ、一白綿布ヲ求テ、孟子、至誠而不動者未之有也ノ一句ヲ書シ、手巾ヘ縫付、携テ江戶ニ來リ是ヲ評諚所ニ畄メ置シモ吾志ヲ表スル也、去年來ノ事、恐多クモ 天朝幕府ノ間、誠意相孚セサル所アリ、天苟モ吾カ區々ノ悃誠ヲ諒シ給ハヽ、幕吏必吾說ヲ是トセント志ヲ立タレトモ、蚊蝱負山ノ喩、終ニ事ヲナスコト不能、今日ニ至ル、亦吾德ノ菲薄ナルニヨレハ、今將誰ヲカ尤メ且怨ンヤ、
新字:然ルニ五月十一日、関東ノ行ヲ聞シヨリハ、又一誠字ニ工夫ヲ付タリ、時ニ子遠死字ヲ贈ル、余是ヲ用ヒズ、一白綿布ヲ求テ、孟子、至誠而不動者未之有也ノ一句ヲ書シ、手巾ヘ縫付、携テ江戸ニ来リ是ヲ評諚所ニ畄メ置シモ吾志ヲ表スル也、去年来ノ事、恐多クモ 天朝幕府ノ間、誠意相孚セサル所アリ、天苟モ吾カ区々ノ悃誠ヲ諒シ給ハヽ、幕吏必吾説ヲ是トセント志ヲ立タレトモ、蚊蝱負山ノ喩、終ニ事ヲナスコト不能、今日ニ至ル、亦吾徳ノ菲薄ナルニヨレハ、今将誰ヲカ尤メ且怨ンヤ、
書き下し
然るに五月十一日、関東の行を聞きしよりは、又一つの誠の字に工夫を付けたり。時に子遠死の字を贈る。余是れを用ひず、一白綿布を求めて、孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」の一句を書し、手巾へ縫ひ付け、携へて江戸に来り、是れを評定所に留め置きしも吾が志を表するなり。去年来の事、恐れ多くも天朝・幕府の間、誠意相孚せざる所あり。天苟も吾が区々の悃誠を諒し給はば、幕吏必ず吾が説を是とせんと志を立てたれども、蚊蝱山を負ふの喩、終に事をなすこと能はず、今日に至る。亦吾が徳の菲薄なるによれば、今将た誰をか尤め且つ怨みんや。
現代語訳
ところが五月十一日に江戸へ送られると聞いてからは、また「誠」の一字について考えを深めた。そのとき子遠は「死」の字を贈ってくれたが、私はそれを用いず、白い木綿の布を求めて、孟子の「誠を尽くして人が動かなかった例はいまだかつてない」という一句を書き、手ぬぐいに縫い付けて江戸へ携えて来た。それを評定所に置いてきたのも、自分の志を示すためである。去年来、恐れ多くも朝廷と幕府の間には誠意が通じ合わないところがある。天がもし私のささやかな真心を汲んでくださるなら、幕府の役人もきっと私の説を正しいと認めるだろうと志を立てたが、蚊や虻が山を背負うようなもので、ついに事を成すことはできず、今日に至った。これも私の徳が薄いためであるから、いまさら誰を責め、誰を恨もうか。
解説
この章句が説くこと
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一師の教を受け、学問する法は、善を好み行ふを以て、常に志とすべし。学問するは、善を行はんが為なり。人の善を見ては、我が身に取りて行ひ、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思ひ感じて行ふべし。善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取用ひて行はずば、むげに志なく力なしといふべし。我が学問と才力と勝たりとも、人にほこりて自満すべからず。言にあらはしてほこるは、云ふに及ばず、心にもきざすべからず。志は偽り邪なく、誠ありて正しかるべし。心の内は、おほひ曇なく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も心の内に邪悪をして、裏表あるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行ふ事は正直にして、道にまげず、邪にゆがめる事を行ふべからず。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十九條小程子曰く、学者は以て誠ならざるべからず。誠ならざれば以て善を為す無く、誠ならざれば以て君子と為る無し。学を脩むるに誠を以てせざれば則ち学雑なり、事を為すに誠を以てせざれば則ち事敗る。自ら謀るに誠を以てせざれば、則ち是れ心を欺きて自ら其の志を棄つるなり。人と与にするに誠を以てせざれば、則ち是れ其の徳を喪ひて、人の怨みを増すなり。今小道異端も、亦た必ず誠にして後に得。而るを況んや君子と為らんと欲する者をや、と。是に由りて之を観れば、則ち学問の道は、一誠のみ。
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『五常訓』巻之五・信一道を信ずる志は、専一にして厚かるべし。厚からざれば、彼方此方に志うつりて、道を守ること堅固ならず。得る事あれども、必失ふ。然れば、信なければ、初道を好むといへども、終をたもちがたく、巧言にまよひて、邪道におち入りやすし。之を誠にする者は、人の道なり。之を誠にするの道は、道を信ずること篤きにあり。道を信ずること篤ければ、行之果す。果すとは行ひとぐるなり。行之果せば、守之固しとは、道を守ること堅固にして、失はざるなり。道を信ずること篤からざれは、道行はれず。利欲にひかれ、外物にうつりて、道を守ること堅固ならず。道を信ぜずして、守ること堅固ならずば、万の才能ありとも、見るに足らず。是学者の、重んずべき所なり。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段曰、貴人を軽ずるに似たり。何とて左様のことのいわるべきや。答、貴人に云れざる不義を以て、清浄の神明に祈を為、願ひの通に成下されなば、鳥居や社の脩覆致し奉らんと云時、鳥居や脩覆に迷ひ玉ふあさましき神有べきや。然るを非礼の物を推て捧げ、神明を穢奉り、終には神罰を受べし。恐るべきことなり。「心だにまことの道にかなひなばいのらずとても神やまもらん」との御神詠もあるぞかし。子路、孔子の病を祷ことを請。子曰、丘之祷久と。祷るとのたまふは、誠の道に合へることなり。誠に合はゞ、何ぞ祈ことあらんや。然るを我朝の神道に違ふとは如何なることぞ。凡て聖人の書は、箇様の迷ひを解べき為の書なり。書に依て迷はゞ、
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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