留魂録 / 題辞
留魂錄 身ハたとひ武藏の野辺に朽ぬとも畄置まし大和魂 十月念五日 二十一回猛士
新字:留魂録 身ハたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも畄置まし大和魂 十月念五日 二十一回猛士
書き下し
留魂録 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 十月念五日 二十一回猛士
現代語訳
留魂録。この身はたとえ武蔵野の野辺に朽ち果てようとも、日本を思う魂だけはこの世に留めておきたいものだ。十月二十五日、二十一回猛士(松陰の号)しるす。
解説
安政六年(一八五九)十月、江戸伝馬町の獄で死罪を覚悟した松陰が、門人たちに宛てた遺書の冒頭に置いた辞世です。書き始めたのは処刑の二日前の二十五日で、書名の「留魂」はこの歌の「留め置かまし」から来ています。肉体は武蔵野の土に還っても、志は門人の中に生き続けてほしいという願いが、全編を貫く主題になります。二十一回猛士は、吉田と杉の字を分けて「二十一回」と読み、生涯に二十一回の猛を振るうと誓った松陰の号です。死を前にした恐れではなく、託す相手がいることの静かな確信が、この一首にはあります。
この章句が説くこと
辞世志大和魂死生観遺言
関連する章句
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葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一師の教を受け、学問する法は、善を好み行ふを以て、常に志とすべし。学問するは、善を行はんが為なり。人の善を見ては、我が身に取りて行ひ、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思ひ感じて行ふべし。善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取用ひて行はずば、むげに志なく力なしといふべし。我が学問と才力と勝たりとも、人にほこりて自満すべからず。言にあらはしてほこるは、云ふに及ばず、心にもきざすべからず。志は偽り邪なく、誠ありて正しかるべし。心の内は、おほひ曇なく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も心の内に邪悪をして、裏表あるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行ふ事は正直にして、道にまげず、邪にゆがめる事を行ふべからず。
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説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。
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『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
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