留魂録 / 第十二条
一、讃ノ高松ノ藩士長谷川宗右衛門、年來主君ヲ諫メ、宗藩水家ト親睦ノ事ニ付テ苦心セシ人ナリ、東奥揚屋ニアリ、其子速水、余ト西奥ニ同居ス、此父子ノ罪科何如未タ知ズヘカラス、同志ノ諸友切ニ記念セヨ、予初テ長谷川翁ヲ一見セシトキ、獄吏左右ニ林立ス、法隻語ヲ交ルコトヲ得ス、翁獨語スルモノヽ如シテ曰、寧為玉碎、勿為瓦全ト、吾甚タ其意ニ感ス、同志其之ヲ察セヨ、
新字:一、讃ノ高松ノ藩士長谷川宗右衛門、年来主君ヲ諫メ、宗藩水家ト親睦ノ事ニ付テ苦心セシ人ナリ、東奥揚屋ニアリ、其子速水、余ト西奥ニ同居ス、此父子ノ罪科何如未タ知ズヘカラス、同志ノ諸友切ニ記念セヨ、予初テ長谷川翁ヲ一見セシトキ、獄吏左右ニ林立ス、法隻語ヲ交ルコトヲ得ス、翁独語スルモノヽ如シテ曰、寧為玉砕、勿為瓦全ト、吾甚タ其意ニ感ス、同志其之ヲ察セヨ、
書き下し
一、讃の高松の藩士長谷川宗右衛門、年来主君を諫め、宗藩水家と親睦の事に付きて苦心せし人なり。東奥揚屋にあり、其の子速水、余と西奥に同居す。此の父子の罪科何如、未だ知るべからず。同志の諸友切に記念せよ。予初めて長谷川翁を一見せし時、獄吏左右に林立す、法隻語を交ふることを得ず。翁独語するものの如くして曰く、「寧ろ玉となりて砕くとも、瓦となりて全かること勿れ」と。吾甚だ其の意に感ず。同志其れ之れを察せよ。
現代語訳
讃岐の高松藩士、長谷川宗右衛門は、長年主君を諫め、本家にあたる水戸家との和睦のことで苦心してきた人である。東奥の揚屋にいて、その子の速水は私と西奥の牢で一緒であった。この父子の罪がどうなるかは、まだ分からない。同志の諸君はぜひ心に留めておいてほしい。私が初めて長谷川翁を見かけたとき、獄吏が左右にずらりと立ち並び、規則で一言も交わすことができなかった。翁は独り言のように「むしろ玉となって砕けよ、瓦となって無事に残ることなかれ」と言った。私はその心に深く感じ入った。同志よ、この意を汲んでほしい。
解説
この章句が説くこと
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