留魂録 / 第二条
一、七月九日、初テ評諚所呼出アリ、三奉行出座、尋鞠ノ件両條アリ、一曰、梅田源次郞長門下向ノ節面會シタル由、何ノ密議ヲナセシヤ、二曰、御所内ニ落文アリ、其手跡汝ニ似タリト源次郞其外申立ル者アリ、覚アリヤ、此二條ノミ、夫梅田ハ素ヨリ奸骨アレハ余與ニ志ヲ語ルコトヲ欲セサル所ナリ、何ノ密議ヲナサンヤ、吾性光明正大ナルコトヲ好ム、豈落文ナントノ隱昧ノ事ヲナサンヤ、余是ニ於テ六年間幽囚中ノ苦心スル所ヲ陳シ、終ニ大原公ノ西下ヲ請ヒ、鯖江矦ヲ要スル等ノ事ヲ自首ス、鯖江矦ノ事ニ因テ終ニ下獄トハナレリ、
新字:一、七月九日、初テ評諚所呼出アリ、三奉行出座、尋鞠ノ件両条アリ、一曰、梅田源次郎長門下向ノ節面会シタル由、何ノ密議ヲナセシヤ、二曰、御所内ニ落文アリ、其手跡汝ニ似タリト源次郎其外申立ル者アリ、覚アリヤ、此二条ノミ、夫梅田ハ素ヨリ奸骨アレハ余与ニ志ヲ語ルコトヲ欲セサル所ナリ、何ノ密議ヲナサンヤ、吾性光明正大ナルコトヲ好ム、豈落文ナントノ隠昧ノ事ヲナサンヤ、余是ニ於テ六年間幽囚中ノ苦心スル所ヲ陳シ、終ニ大原公ノ西下ヲ請ヒ、鯖江矦ヲ要スル等ノ事ヲ自首ス、鯖江矦ノ事ニ因テ終ニ下獄トハナレリ、
書き下し
一、七月九日、初めて評定所呼び出しあり、三奉行出座、尋鞠の件両条あり。一に曰く、梅田源次郎長門下向の節面会したる由、何の密議をなせしや。二に曰く、御所内に落文あり、其の手跡汝に似たりと源次郎其の外申し立つる者あり、覚えありや。此の二条のみ。夫れ梅田は素より奸骨あれば、余与に志を語ることを欲せざる所なり、何の密議をなさんや。吾が性光明正大なることを好む、豈に落文なんどの隠昧の事をなさんや。余是に於て六年間幽囚中の苦心する所を陳じ、終に大原公の西下を請ひ、鯖江侯を要する等の事を自首す。鯖江侯の事に因りて終に下獄とはなれり。
現代語訳
七月九日、初めて評定所に呼び出された。三奉行が出座し、取り調べの件は二つであった。一つは、梅田源次郎(雲浜)が長門に下ったとき面会したそうだが、何の密議をしたのか。二つは、御所の内に投げ文があり、その筆跡がお前に似ていると源次郎ほかが申し立てているが、覚えはあるか。この二つだけであった。そもそも梅田はもとから腹黒いところがあるので、私は共に志を語りたいとは思わない相手であり、何の密議をするものか。私の性分は公明正大を好む。どうして投げ文などという陰でこそこそする事をしようか。そこで私は、六年間の幽囚中に心を砕いてきたことを述べ、ついに大原卿に西下を請うたこと、鯖江侯(老中間部詮勝)を途中で迎え撃とうとしたことなどを自分から申し出た。この鯖江侯の件によって、ついに投獄となったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『留魂録』第六条一、要諫一条に付き、「事遂げざる時は鯖侯と刺し違へて死し、警衛の者要蔽する時は切り払ふべき」との事、実に吾が云はざる所なり。然るに三奉行強ひて書載して誣服せしめんと欲す。誣服は吾肯へて受けんや。是れを以て十六日書判の席に臨みて、石谷・池田の両奉行と大いに争弁す。吾肯へて一死を惜しまんや、両奉行の権詐に伏せざるなり。是れより先、九月五日・十月五日両度の吟味に、吟味役まで具に申し立て、死を決して要諫す、必ずしも刺し違へ・切り払ひ等の策あるに非ず。吟味役具に是れを諾して、而も且つ口書に書載するは権詐に非ずや。
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『留魂録』第五条一、七月九日、一通り大原公の事、鯖江要駕の事等申し立てたり。初め意らく、是等の事幕にも已に諜知すべければ、明白に申し立てたる方却つて宜しきなりと。已にして逐一口を開きしに、幕にて一円知らざるに似たり。因りて意らく、幕にて知らぬ所を強ひて申し立て、多人数に株連蔓延せば、善類を傷ふこと少なからず、毛を吹いて瘡を求むるに斉しと。是に於て鯖江要撃の事も要諫とは云ひ替へたり。又京師往来諸友の姓名、連判諸士の姓名等、成るべき丈は隠して具白せず。是れ吾が後起の人の為めにする区々の婆心なり。而して幕裁果して吾一人を罰して、一人も他に連及なきは実に大慶と云ふべし。同友の諸友深く考思せよ。
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『留魂録』第三条一、吾が性激烈怒罵に短し。務めて時勢に従ひ、人情に適するを主とす。是れを以て吏に対して幕府違勅の已むを得ざるを陳じ、然る後当今的当の処置に及ぶ。其の説常に講究する所にして対策に載するが如し。是れを以て幕吏と雖も甚だ怒罵すること能はず、直ちに曰く、「汝陳白する所悉く的当とも思はれず、且つ卑賤の身にして国家の大事を議すること不届きなり」と。余亦深く抗せず、「是れを以て罪を獲るは万々辞せざる所なり」と云ひて已みぬ。幕府の三尺、布衣国を憂ふることを許さず。其の是非敢へて弁争せざるなり。
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『留魂録』第四条一、此の回の口書甚だ草々なり。七月九日一通り申し立てたる後、九月五日・十月五日、両度の呼び出しも差したる鞠問もなくして、十月十六日に至り、口書読み聞かせありて、直ちに書判せよとの事なり。余が苦心せし墨使応接・航海雄略等の論、一も書載せず。唯数ヶ所開港の事を程克く申し延べて、国力充実の後御打ち払ひ然るべしなど、吾が心にも非ざる迂腐の論を書き付けて口書とす。吾言うて益なきを知る、故に敢へて云はず。不満の甚しきなり。甲寅の歳航海一条の口書に比する時は雲泥の違ひと云ふべし。
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『留魂録』第七条此の心、吾が此の身を惜しむ為めに発するに非ず。抑々故あり。去臘大晦、朝議已に幕府に貸す。今春三月五日、吾が公の駕已に萩府を発す。吾が策是に於て尽き果てたれば、死を求むること極めて急なり。六月の末江戸に来るに及んで、夷人の情態を見聞し、七月九日獄に来り、天下の形勢を考察し、神国の事猶なすべきものあるを悟り、初めて生を幸とするの念勃々たり。吾若し死せずんば、勃々たるもの決して汨没せざるなり。然れども十六日の書、三奉行の権詐、吾を死地に措かんとするを知りてより、更に生を幸ふの心なし。是れ亦平生学問の得力然るなり。
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『留魂録』第七条一、吾此の回初めより素より生を謀らず、又死を必せず、唯だ誠の通塞を以て天命の自然に委したるなり。七月九日に至りては略ぼ一死を期す。故に其の詩に云ふ、「継盛唯だ当に市戮に甘んずべし、倉公寧ぞ復た生還を望まんや」と。其の後九月五日・十月五日、吟味の寛容なるに欺かれ、又必生を期す。亦頗る慶幸の心あり。
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