留魂録 / 第十一条
小林ハ鷹司家ノ諸大夫ニテ此度遠島ノ罪科ニ處セラル、京師諸人中罪責極テ重シ、其人多材多藝唯文学ニ深カラズ、處事ノ才アル人ト見ユ、西奥揚屋ニテ余ト同居ス、後東口ニ移ル、京師ニテ吉田ノ鈴鹿石州、同筑州別テ知己ノ由、亦山口三輶モ小林ノ為メニ大ニ周旋シタレハ、鈴鹿カ山口カノ手ヲ以テ海外マテモ吾同志ノ士通信ヲナスヘシ、京師ノ事ニ就テハ後來必ス力ヲ得ル所アラン、
新字:小林ハ鷹司家ノ諸大夫ニテ此度遠島ノ罪科ニ処セラル、京師諸人中罪責極テ重シ、其人多材多芸唯文学ニ深カラズ、処事ノ才アル人ト見ユ、西奥揚屋ニテ余ト同居ス、後東口ニ移ル、京師ニテ吉田ノ鈴鹿石州、同筑州別テ知己ノ由、亦山口三輶モ小林ノ為メニ大ニ周旋シタレハ、鈴鹿カ山口カノ手ヲ以テ海外マテモ吾同志ノ士通信ヲナスヘシ、京師ノ事ニ就テハ後来必ス力ヲ得ル所アラン、
書き下し
小林は鷹司家の諸大夫にて、此の度遠島の罪科に処せらる。京師諸人中罪責極めて重し。其の人多材多芸、唯文学に深からず、処事の才ある人と見ゆ。西奥揚屋にて余と同居す、後東口に移る。京師にて吉田の鈴鹿石州・同筑州別けて知己の由。亦山口三輶も小林の為めに大いに周旋したれば、鈴鹿か山口かの手を以て、海外までも吾が同志の士通信をなすべし。京師の事に就きては後来必ず力を得る所あらん。
現代語訳
小林は鷹司家の諸大夫で、このたび遠島の罪に処せられた。京都の人々の中では罪が極めて重い。その人柄は多才多芸で、ただ学問は深くないが、事を処理する才のある人とみえる。西奥の揚屋で私と同じ牢にいたが、のちに東口に移った。京都では吉田神社の鈴鹿石見守・同筑前守と特に親しいという。また山口三輶も小林のために大いに奔走したので、鈴鹿か山口かの手づるで、遠島先にまで我が同志は便りを通じるとよい。京都のことについては、後々きっと力を得るところがあるだろう。
解説
この章句が説くこと
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