留魂録 / 第一条
一、余去年已來心蹟百変、擧て数へ難し、就中趙ノ貫高ヲ希ヒ、楚ノ屈平ヲ仰く、諸知友ノ知ル所ナリ、故ニ子遠カ送別ノ句ニ、燕趙多士一貫高、荊楚深憂只屈平ト云モ此事也、
新字:一、余去年已来心跡百変、挙て数へ難し、就中趙ノ貫高ヲ希ヒ、楚ノ屈平ヲ仰く、諸知友ノ知ル所ナリ、故ニ子遠カ送別ノ句ニ、燕趙多士一貫高、荊楚深憂只屈平ト云モ此事也、
書き下し
一、余去年已来心蹟百変、挙げて数へ難し。就中趙の貫高を希ひ、楚の屈平を仰ぐ、諸知友の知る所なり。故に子遠が送別の句に、「燕趙多士一貫高、荊楚深憂只屈平」と云ふも此の事なり。
現代語訳
私の心の跡は去年からさまざまに変わり、数え上げることもできない。中でも、趙の貫高のように主のために身を捨てることを願い、楚の屈原のように国を憂えて死ぬことを仰いできたのは、友人たちの知るところである。だから入江子遠(杉蔵)が送別の句に「燕趙の多くの士の中でただ一人の貫高、荊楚の深い憂いを負ったのはただ屈平」と詠んだのも、このことを言っているのである。
解説
貫高は、漢の高祖に辱められた趙王のために高祖を除こうとし、捕らえられても王の無実を言い通して自ら命を絶った人、屈平(屈原)は楚の懐王を諫めて容れられず汨羅に身を投げた人です。松陰は前年、老中間部詮勝の要撃を企てて藩に再び投獄され、この一年は死をもって主君と国に尽くす覚悟の間を揺れ動いていました。門人の入江杉蔵(子遠)が送別に贈った句は、その師の心の向きを二人の古人に託して言い当てたものです。遺書の書き出しで、松陰はまず自分の心が何を目指してきたかを正直に振り返っています。
この章句が説くこと
志殉死屈原貫高手本
関連する章句
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『和俗童子訓』巻之二・総論下一師の教を受け、学問する法は、善を好み行ふを以て、常に志とすべし。学問するは、善を行はんが為なり。人の善を見ては、我が身に取りて行ひ、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思ひ感じて行ふべし。善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取用ひて行はずば、むげに志なく力なしといふべし。我が学問と才力と勝たりとも、人にほこりて自満すべからず。言にあらはしてほこるは、云ふに及ばず、心にもきざすべからず。志は偽り邪なく、誠ありて正しかるべし。心の内は、おほひ曇なく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も心の内に邪悪をして、裏表あるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行ふ事は正直にして、道にまげず、邪にゆがめる事を行ふべからず。
-
説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る