留魂録 / 第十四条
一、越前ノ橋本左内、二十六歲ニシテ誅セラル、実ニ十月七日ナリ、左内東奧ニ坐スル五六日ノミ、勝保同居セリ、後勝保西奥ニ來リ予ト同居ス、予勝保ノ談ヲ聞テ益々左内ト半面ナキヲ嘆ス、左内幽囚邸居中、資治通鑑ヲ読ミ、註ヲ作リ漢紀ヲ終ル、又獄中教学工作等ノ事ヲ論セシ由、勝保予カ為メニ是ヲ語ル、獄ノ論大ニ吾意ヲ得タリ、予益々左内ヲ起シテ一議ヲ発センコトヲ思フ、嗟夫、
新字:一、越前ノ橋本左内、二十六歳ニシテ誅セラル、実ニ十月七日ナリ、左内東奥ニ坐スル五六日ノミ、勝保同居セリ、後勝保西奥ニ来リ予ト同居ス、予勝保ノ談ヲ聞テ益々左内ト半面ナキヲ嘆ス、左内幽囚邸居中、資治通鑑ヲ読ミ、註ヲ作リ漢紀ヲ終ル、又獄中教学工作等ノ事ヲ論セシ由、勝保予カ為メニ是ヲ語ル、獄ノ論大ニ吾意ヲ得タリ、予益々左内ヲ起シテ一議ヲ発センコトヲ思フ、嗟夫、
書き下し
一、越前の橋本左内、二十六歳にして誅せらる、実に十月七日なり。左内東奥に坐する五六日のみ、勝保同居せり。後勝保西奥に来り予と同居す。予勝保の談を聞きて、益々左内と半面なきを嘆ず。左内幽囚邸居中、資治通鑑を読み、註を作り漢紀を終ふ。又獄中教学工作等の事を論ぜし由、勝保予が為めに是れを語る。獄の論大いに吾が意を得たり。予益々左内を起して一議を発せんことを思ふ。嗟夫。
現代語訳
越前の橋本左内は、二十六歳で処刑された。まさに十月七日のことである。左内が東奥の牢にいたのは五、六日だけで、勝野保三郎が同じ牢にいた。のちに勝野は西奥に来て私と同じ牢になった。私は勝野の話を聞いて、いよいよ左内と一度も顔を合わせられなかったことを嘆いた。左内は屋敷に幽閉されていた間に『資治通鑑』を読み、注をつけて漢紀を読み終えたという。また獄中での教育や学問、作業などについて論じていたことも、勝野が私のために語ってくれた。その獄についての論は、大いに私の考えにかなうものであった。私はいよいよ、左内をよみがえらせて共に一つの議論を起こしたいと思う。ああ。
解説
この章句が説くこと
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