「決められない」。

経営者が、自分についていちばん口にしにくい悩みかもしれません。部下には「早く決めろ」と言っている。会議では決断を迫る側にいる。それなのに、自分の机の上には、何週間も置きっぱなしの案件がある。出店するか。撤退するか。あの人を外すか。値上げするか。

「決断力がない」と自分を責める人は多いのですが、この言葉にも問題があります。「決断力」という、生まれつきの性格の話にしてしまっていることです。

性格の話にすると、打つ手がなくなります。決断力のある人とない人がいるなら、ない人は諦めるしかない。けれど実際には、決められない状態の多くは、性格ではなく決め方の問題です。何を数えるかを決めていない。いつまでに決めるかを決めていない。誰の賛成を待つのかを決めていない。決める前に決めておくべきことが、決まっていない。

そして、東洋古典には「決め方」についての記述が驚くほど多く残っています。戦争も政治も、決められない君主や将軍が国を滅ぼしてきたからです。

この記事では、「決断できない」という状態を七つの原因に切り分け、それぞれについて東洋古典が何を書いているかを読んでいきます。原文(白文)・書き下し文・現代語訳と解説つきです。

先に一つ断っておきます。七つとも、決める人自身の行動についての話です。 状況が複雑だから、情報が足りないから、部下が頼りないから——そういう外の事情の話ではありません。外の事情は変えられなくても、決め方は今日から変えられます。

そして、読み方の提案が一つあります。七つを全部やろうとしないでください。 読みながら「これは自分だ」と思うところが、たぶん一つか二つあります。そこだけで十分です。

まず、切り分ける ― 七つの原因

先に、七つを並べておきます。

一、数えずに悩んでいる。 何がそろえば決まるのかを、書き出していない。
二、片側しか見ていない。 良い話のときは利だけ、悪い話のときは害だけを見ている。
三、考える回数に上限がない。 検討が、いつのまにか言い訳探しに変わっている。
四、先送りの損を数えていない。 決めたときの損は数えるのに、決めないときの損は数えない。
五、全員の賛成を待っている。 相談することと、決めることを混同している。
六、論点が絞れていない。 議論が長いのは、問いが多すぎるから。
七、決めたあとも、決め直している。 事前に迷い、事後に悔やむ。

この七つは、決断の流れの順に並んでいます。 材料を集める→比べる→考える→期限を切る→相談する→論点を絞る→決めたあと。どこで詰まっているかを探すつもりで読んでください。

では、一つずつ見ていきます。

一、数えずに悩んでいる

最初は『孫子』です。始計篇、つまり本の冒頭の締めくくりに置かれた一段です。

【白文】夫未戰而廟算勝者,得算多也;未戰而廟算不勝者,得算少也。多算勝,少算不勝,而況於無算乎?吾以此觀之,勝負見矣。
【書き下し】夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず、而るを況んや算無きに於いてをや。吾れ此を以て之を観るに、勝負見わる。

「廟算(びょうさん)」とは、開戦の前に祖先の廟で行う作戦会議のことです。孫子は、戦う前の会議で勝敗はもう見えている、と言います。勝てると出るのは、有利な条件を多く数えられたから。勝てないと出るのは、数えられた条件が少ないから。まして、何も数えていない者はどうなるか。

決められない人の多くは、「情報が足りない」と言います。けれど、よく聞いてみると、どの情報がそろえば決まるのかが決まっていないことがほとんどです。だから情報がいくら集まっても、決まらない。新しい情報が来るたびに、また別の不安が出てくる。

孫子の言う「算」は、気分でも直感でもなく、並べて数えられる条件です。出店なら、商圏の人口、家賃の上限、人が採れるか、既存店の稼ぎで何か月耐えられるか。紙に書き出して、一つずつ〇か×をつける。それをしないまま悩んでいる時間は、考えているのではなく、ただ不安と一緒にいる時間です。

処方は一つです。「これがそろったら、やる」「これが一つでも欠けたら、やめる」を、先に紙に書く。 決断はそのあとの作業になります。

出典:孫子 始計篇

二、片側しか見ていない

同じ『孫子』の九変篇に、決めるときの思考の型そのものが書かれています。

【白文】是故智者之慮,必雜於利害,雜於利而務可信也,雜於害而患可解也。
【書き下し】是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。

知者の思慮は、必ず利と害を混ぜて考える。利の中に害を混ぜて考えるから、事を確実に進められる。害の中に利を混ぜて考えるから、憂いを解くことができる。

大事なのは、両方向が書かれていることです。良い話が来たときには、そこに害を混ぜる。悪い知らせが来たときには、そこに利を混ぜる。

決められない人は、実はこの逆をしています。良い話を聞くと利ばかりが大きく見えて「でも何かあるのでは」と落ち着かなくなり、今度は害ばかりを探し始める。悪い話を聞くと害ばかりが見えて、動けなくなる。片側しか見ていないから、見ている側が入れ替わるたびに結論が揺れる。

師導の解説は、この一段をこう読んでいます。人の思考は放っておくと片側に偏る。孫子はその偏りを、性格ではなく手続きで直そうとしている、と。

実務に落とすなら、判断のたびに同じ紙に利と害を並べて書くことです。どちらか片方だけが書かれた紙で決めない。会議なら、良い案が出たら必ず害を挙げる役、悪い知らせが来たら必ず利を探す役を置く。揺れるのは意志が弱いからではなく、片側ずつ見ているからです。

出典:孫子 九変篇

三、考える回数に上限がない

慎重であることは美徳だと、たいていの人は教わってきました。ところが、『論語』にはそれに水を差す一章があります。

【白文】季文子三思而後行。子聞之曰:「再,斯可矣!」
【書き下し】季文子、三たび思いて後に行う。子之を聞きて曰く、「再びせば、斯れ可なり。」

魯の家老・季文子(きぶんし)は、三度考えてから行動する人でした。それを聞いた孔子の答えは、「二度でよい」

慎重な人をほめるかと思いきや、孔子は回数を減らせと言っています。師導の解説は、ここを「二度目までは検討で、三度目からは言い訳を探す作業に変わる」と読んでいます。懸念は探せばいくらでも出てくる。だから、考える回数に自分で上限を設けなければ、検討は終わらない。

明の呂坤(りょこん)の『呻吟語』は、同じことを目の錯覚で説明しています。

【白文】久視則熟字不識,注視則靜物若動,乃知蓄疑者,亂真知;過思者,迷正應。
【書き下し】久しく視れば則ち熟字も識らず、注視すれば則ち靜物も動くがごとし。乃ち知る、疑ひを蓄ふる者は真知を亂し、思ひ過ぐる者は正應に迷ふことを。

長く見つめていると、見慣れた字でも読めなくなる。じっと見つめていると、止まっている物まで動いて見える。疑いを溜め込む者は本当の知を乱し、考えすぎる者は正しい対応を見失う。

誰でも経験のある現象です。「決」という字を見つめ続けると、だんだんこれが本当に「決」だったのか分からなくなる。注意深さは、ある量を超えると精度を落とします。

処方は、検討の回数か期限を、検討を始める前に決めておくことです。「この件は二回の会議で決める」「金曜の夕方に決める」。三回目の会議で同じ論点が出てきたら、新しい情報が加わったのか、それとも先送りの理由を探しているだけなのかを、自分に問う。たいていは後者です。

出典:論語 公冶長篇呻吟語 存心

四、先送りの損を数えていない

決められない人は、決めたときの損はよく数えます。この投資が外れたらいくら失うか。この人事が裏目に出たら誰が離れるか。ところが、決めないでいることの損は、ほとんど数えていません。

司馬遷は『史記』の春申君列伝の最後に、こう書いています。

【白文】語曰、當斷不斷、反受其亂。春申君失朱英之謂邪。
【書き下し】語に曰く、断ずべくして断ぜざれば、反りて其の乱を受く、と。春申君は朱英を失ふの謂か」と。

「断ずべくして断ぜざれば、反りて其の乱を受く」——決めるべきときに決めなければ、かえってその乱れを自分が受けることになる。

春申君は、若いころは秦の王を説き伏せ、命がけで楚の太子を帰国させた切れ者でした。ところが晩年、李園という男の企みを朱英という食客に警告され、「先に李園を除くべきだ」と進言されながら、決めませんでした。李園はまだ弱い、自分に逆らうはずがない、と。その結果、李園に先手を打たれて殺されます。司馬遷はそれを「旄(おいぼれ)たり」と書き、このことわざで結びました。

先送りには、見えにくい損が三つあります。選べる選択肢が減っていくこと。相手が先に動くこと。そして、周りが「この人は決めない」と学習することです。三つ目がいちばん重い。決めない上司の下では、部下も決めなくなり、案件はすべて上に積み上がります。

唐の『長短経』は、将の条件を論じたところで、古い兵法書のこんな一句を引いています。

【白文】夫將雖以詳重為貴、而不可有不決之疑、雖以博訪為能、而不欲有多端之惑。」
【書き下し】夫れ将は詳重を以て貴しと為すと雖も、而も決せざるの疑い有る可からず。博く訪うを以て能と為すと雖も、而も多端の惑い有るを欲せず」と。

将は詳しく慎重であることを貴ぶ。けれど、決められない迷いを抱えてはならない。広く意見を聞くことは能力だ。けれど、あれこれ迷うようであってはならない。

慎重さと決められなさは、別のものです。 慎重な人は、怖がりながら決めます。決められない人は、怖がって決めません。違いは、先送りの損が見えているかどうかです。

処方は、判断の紙に「決めない場合」という三つ目の列を足すことです。やる場合の利と害、やらない場合の利と害に加えて、このまま一か月決めなかったら何が起きるかを書く。多くの場合、その列がいちばん長くなります。

出典:史記 春申君列伝長短経 量才

五、全員の賛成を待っている

大きな決断ほど、反対が出ます。反対が出ると、決められなくなる。全員が納得するまで待とうとする。

戦国時代の秦で、法の大改革を断行した商鞅(しょうおう)は、改革をためらう主君・孝公にこう言いました。『史記』商君列伝の一段です。

【白文】疑行無名、疑事無功。且夫有高人之行者、固見非於世。有獨知之慮者、必見敖於民。愚者闇於成事、知者見於未萌。民不可與慮始而可與樂成。論至德者不和於俗、成大功者不謀於眾。
【書き下し】疑行は名無く、疑事は功無し。且つ夫れ高人の行ひ有る者は、固より世に非とせられ、独知の慮り有る者は、必ず民に敖らる。愚者は成事に闇く、知者は未萌に見る。民は与に始めを慮る可からずして、与に成るを楽しむ可し。至徳を論ずる者は俗に和せず、大功を成す者は衆に謀らず。

ためらいながらの行いに名は立たず、ためらいながらの事業に功はない。 そして、民とは、事の始めを共に考えることはできないが、成った果実を共に楽しむことはできる。

厳しい言葉です。けれど、経営の現場で何度も確かめられてきたことでもあります。新しいことを始めるとき、全員が最初から賛成することはまずありません。反対するのは、たいてい、まだ結果を見ていない人です。 結果が出れば、同じ人が賛成に回る。始める前に全員の賛成を求めるのは、結果を見る前に結果を見せろと言っているのと同じです。

ただし、商鞅の言葉には危うさもあります。「衆に謀らず」を真に受けると、人の話を聞かない独裁になる。実際、商鞅は恨みを買って最後は車裂きにされました。

その危うさを、呂坤の『呻吟語』がきれいに整理しています。

【白文】所謂獨斷者,先集謀之謂也。謀非集眾不精,斷非一己不決。
【書き下し】所謂獨斷とは、先づ謀を集むるの謂ひなり。謀は眾を集むるに非ずんば精しからず、斷は一己に非ずんば決せず。

いわゆる独断とは、まず謀を集めることを言う。謀は多くの人を集めなければ精しくならず、断は自分一人でなければ決まらない。

相談と決断を、きれいに分けています。聞くのは全員から。決めるのは一人で。 決められない人は、この二つを混ぜています。相談の場で決めようとするから、全員の賛成が要るような気がしてくる。

処方は、会議の目的を先に宣言することです。「今日は意見を聞く会です。決めるのは私で、明日の朝までに決めます」。聞く場と決める場を、時間で分ける。 意見を言った人は、自分の意見が採られなくても、聞かれたことには納得します。

出典:史記 商君列伝呻吟語 治道

六、論点が絞れていない

会議が長いのに決まらない。そういうとき、多くの場合、論点が多すぎます。

『史記』には、朝から昼まで決まらなかった外交交渉を、一人の男が「二言」で決めた場面があります。趙の平原君(へいげんくん)が楚に同盟を求めに行ったとき、自ら売り込んで随行した食客・毛遂(もうすい)の話です。

【白文】平原君與楚合從、日出而言之、日中不決。十九人謂毛遂曰、先生上。毛遂按劍歷階而上、謂平原君曰、從之利害、兩言而決耳。
【書き下し】平原君楚と合従するに、日出でて之を言ひ、日中決せず。十九人毛遂に謂ひて曰く、「先生上れ」と。毛遂剣を按じ階を歴て上り、平原君に謂ひて曰く、「従の利害、両言にして決するのみ」と。

日の出から話し合って、正午になっても決まらない。見かねた毛遂は、剣に手をかけて階段を上がり、こう言います。「同盟の利害など、二言で決まることです」。

そして毛遂が楚王に示したのは、長い損得の比較ではなく、ただ一つの論点でした。秦の将軍・白起に都を焼かれ、先祖の墓を辱められた楚が、なぜ秦と戦わないのか。この同盟は趙のためではなく、楚のためだ。 楚王はその場で同盟を決めました。

半日かけて決まらなかったのは、条件の細部や、それぞれの国の事情や、あれこれの懸念が、同じ重さで並べられていたからでしょう。毛遂はそれを、決め手になる一つの問いに絞りました。

決められない案件の多くも、同じ形をしています。論点が十個あって、どれも大事に見える。けれど、そのうち九個は、一つ目の答えが出れば自然に決まるものです。

処方は、「この件は、結局何で決まるのか」を一行で書いてみることです。一行で書けなければ、まだ決める段階にありません。書けたら、残りの論点はその一行に従わせる。

出典:史記 平原君虞卿列伝

七、決めたあとも、決め直している

最後の原因は、決めたあとに起きます。決めたはずなのに、夜になると「本当にあれでよかったのか」と考え直す。翌週の会議で、自分から蒸し返す。決めたのに、決まっていない。

『呻吟語』は、決断の使いどころをこう言います。

【白文】斷則心無累。或曰:「斷用在何處?」曰:「謀後當斷,行後當斷。」
【書き下し】斷ずれば則ち心に累無し。或るひと曰く、「斷は何の處にか用ふる」と。曰く、「謀りて後當に斷ずべし、行ひて後當に斷ずべし」と。

断じてしまえば、心に引っかかりが残らない。 断はどこで使うのか。相談し尽くしたら断じる。やり終えたら断じる。

決断の場所を、入口と出口の二つに置いています。入口の決断は誰でも思いつきます。考え抜いたら、切る。けれど呂坤は、出口にも決断が要ると言う。やり終えたことを蒸し返さず、そこで断ち切る。そうしないと、心の引っかかりが次の決断を重くしていきます。

同じ『呻吟語』には、人の思いを九つに分類した一段があり、その中ほどに、決められない人の姿がそのまま並んでいます。

【白文】先事徘徊,後事懊恨,曰縈思;遊心千里,岐慮百端,曰浮思;事無可疑,當斷不斷,曰惑思;事不涉己,為他人憂,曰狂思;無可奈何,當罷不罷,曰徒思;
【書き下し】事に先だちて徘徊し、事の後に懊恨するを、縈思と曰ふ。心を千里に遊ばせ、慮りを百端に岐かるるを、浮思と曰ふ。事に疑ふ可き無きに、斷ずべきに斷ぜざるを、惑思と曰ふ。事己に涉らざるに、他人の為に憂ふるを、狂思と曰ふ。奈何ともす可き無きに、罷む可きに罷めざるを、徒思と曰ふ。

とくに三つを取り出します。事の前にためらい、事の後に悔やむ——縈思(えいし)。疑うところがないのに、決めるべきを決めない——惑思(わくし)。どうしようもないのに、やめるべきをやめない——徒思(とし)

呂坤はこの九つのうち、まともなのは最後の「本思」、つまり日々の本分に向かう思いだけだと言います。朝に今日なすべきことを計り、暮れに今日の行いを省みる。悩むべきことと、悩んでも仕方がないことを、毎日仕分けている人の姿です。

処方は、決めたら「次にこの件を見直すのはいつか」も一緒に決めることです。三か月後の数字で見直す、と決めておけば、それまでの三か月は蒸し返さずに済みます。見直さない決断より、見直す日が決まっている決断のほうが、心は軽くなります。

出典:呻吟語 談道呻吟語 存心

七つのうち、どれを選ぶか

最後に、七つを並べ直しておきます。

一、数えずに悩んでいる ——「これがそろったらやる」を先に書く(孫子)
二、片側しか見ていない ——利と害を、同じ紙に並べる(孫子)
三、考える回数に上限がない ——「二度でよい」。回数か期限を先に決める(論語・呻吟語)
四、先送りの損を数えていない ——「決めない場合」の列を足す(史記・長短経)
五、全員の賛成を待っている ——聞くのは全員から、決めるのは一人で(史記・呻吟語)
六、論点が絞れていない ——「結局何で決まるのか」を一行で書く(史記)
七、決めたあとも、決め直している ——見直す日を一緒に決める(呻吟語)

並べてみると、七つのうち五つまでが、決める前の準備の話です。数える、並べる、回数を決める、期限を切る、論点を絞る。決断力とは、決める瞬間の度胸のことだと思われがちですが、古典が書いているのは、ほとんどが決める前にしておく段取りのことでした。

全部やろうとしないでください。 自分がいちばん詰まっている場所を一つ選んで、次の案件で試してみる。それで十分です。

最後に ― 速く決めることと、決断することは違う

一つだけ、付け加えておきます。

「決断できない」の反対は、「すぐ決める」ではありません。『孫子』は、全十三篇の終わり近く、火攻篇にこう書いています。

【白文】主不可以怒而興師,將不可以慍而致戰。合於利而動,不合於利而止。怒可以復喜,慍可以復悅,亡國不可以復存,死者不可以復生。
【書き下し】主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍りを以て戦いを致すべからず。利に合いて動き、利に合わずして止まる。怒りは以て復た喜ぶべく、慍りは以て復た悦ぶべきも、亡国は以て復た存すべからず、死者は以て復た生くべからず。

君主は怒りにまかせて戦争を起こしてはならない。将軍は腹立ちにまかせて戦いを始めてはならない。 利にかなえば動き、かなわなければやめる。怒りはやがて喜びに戻るが、滅んだ国は二度と戻らず、死んだ者は二度と生き返らない。

決められない悩みを抱えた人が、反動で陥りやすいのがこれです。腹が立った勢いで、取引先を切る。部下を外す。撤退を決める。速いけれど、決断ではない。 感情が決めているだけです。

孫子は、同じ九変篇で、将軍が陥る五つの危うさを挙げています。

【白文】將有五危:必死,可殺也;必生,可虜也;忿速,可侮也;廉潔,可辱也;愛民,可煩也。
【書き下し】将に五危有り。必死は殺すべきなり。必生は虜にすべきなり。忿速は侮るべきなり。廉潔は辱むべきなり。愛民は煩わすべきなり。

そのうちの一つが「忿速(ふんそく)」——怒りっぽく、せっかちなことです。せっかちな将は、挑発されるとすぐに乗る。相手から見れば、これほど動かしやすい将はいません。

師導の解説が指摘するとおり、五つの危うさはどれも長所の行き過ぎです。決断の速さも、行き過ぎれば忿速になる。迷わないことと、考えないことは違います。

七つの処方は、どれも「決める前に、決め方を決めておく」という一点に集まります。決め方が決まっていれば、迷う時間は短くなり、怒りに任せて決めることも減る。決断力は、性格ではなく段取りです。 それなら、今日から変えられます。

出典:孫子 火攻篇孫子 九変篇


この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・書き下し文・現代語訳と解説つきで収録しています。書ごとに通して読むこともできます。

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