孫子 / 始計篇
夫未戰而廟算勝者,得算多也;未戰而廟算不勝者,得算少也。多算勝,少算不勝,而況於無算乎?吾以此觀之,勝負見矣。
新字:夫未戦而廟算勝者,得算多也;未戦而廟算不勝者,得算少也。多算勝,少算不勝,而況於無算乎?吾以此観之,勝負見矣。
書き下し
夫れ未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず、而るを況んや算無きに於いてをや。吾れ此を以て之を観るに、勝負見わる。
現代語訳
戦う前の作戦会議で勝てると出るのは、有利な条件を多く数えられたからである。勝てないと出るのは、数えられた条件が少ないからだ。数が多ければ勝ち、少なければ勝てない。まして何も数えていない者はどうなるか。私はこうして見るだけで、勝敗が分かるのである。
解説
始計篇を締めくくる有名な一段で、「廟算」とは開戦前に祖廟で行う作戦会議を指す。孫子はここで、勝敗を決めるのは戦場での働きではなく、その前に積み上げた条件の数だと言い切った。注目すべきは「まして算無きにおいてをや」という念押しである。少ないより悪いのは、そもそも数えていない状態だ。勢いだけで踏み出した事業が崩れるのは、能力の不足ではなく、比較を省いたことによる。準備とは、気持ちを高めることではなく、数を並べることである。
この章句が説くこと
廟算多算勝事前準備勝算意思決定
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