呻吟語 / 内篇・存心・九思のうち、其れ惟だ本思か
一念孳孳,惟善是圖,曰正思;一念孳孳,惟欲是願,曰邪思;非分之福,期望太高,曰越思;先事徘徊,後事懊恨,曰縈思;遊心千里,岐慮百端,曰浮思;事無可疑,當斷不斷,曰惑思;事不涉己,為他人憂,曰狂思;無可奈何,當罷不罷,曰徒思;日用職業,本分工夫,朝惟暮圖,期無曠廢,曰本思。此九思者,日用之間,不在此則在彼。善攝心者,其惟本思乎?身有定業,日有定務,暮則省白晝之所行,朝則計今日之所事,念茲在茲,不肯一事苟且,不肯一時放過,庶心有著落,不得他適,而德業日有長進矣。
新字:一念孳孳,惟善是図,曰正思;一念孳孳,惟欲是願,曰邪思;非分之福,期望太高,曰越思;先事徘徊,後事懊恨,曰縈思;遊心千里,岐慮百端,曰浮思;事無可疑,当断不断,曰惑思;事不渉己,為他人憂,曰狂思;無可奈何,当罷不罷,曰徒思;日用職業,本分工夫,朝惟暮図,期無曠廃,曰本思。此九思者,日用之間,不在此則在彼。善摂心者,其惟本思乎?身有定業,日有定務,暮則省白昼之所行,朝則計今日之所事,念茲在茲,不肯一事苟且,不肯一時放過,庶心有著落,不得他適,而徳業日有長進矣。
書き下し
一念孳孳として、惟だ善のみ是れ圖るを、正思と曰ふ。一念孳孳として、惟だ欲のみ是れ願ふを、邪思と曰ふ。非分の福、期望太だ高きを、越思と曰ふ。事に先だちて徘徊し、事の後に懊恨するを、縈思と曰ふ。心を千里に遊ばせ、慮りを百端に岐かるるを、浮思と曰ふ。事に疑ふ可き無きに、斷ずべきに斷ぜざるを、惑思と曰ふ。事己に涉らざるに、他人の為に憂ふるを、狂思と曰ふ。奈何ともす可き無きに、罷む可きに罷めざるを、徒思と曰ふ。日用の職業、本分の工夫、朝に惟ひ暮に圖り、曠廢無きを期するを、本思と曰ふ。此の九思なる者、日用の間、此に在らざれば則ち彼に在り。善く心を攝むる者は、其れ惟だ本思か。身に定業有り、日に定務有り、暮には則ち白晝の行ふ所を省み、朝には則ち今日の事とする所を計り、茲に念ひ茲に在り、一事も苟且なるを肯んぜず、一時も放過するを肯んぜざれば、庶くは心に著落有りて、他に適くを得ず、而して德業日に長進有らん。
現代語訳
一つの思いがせっせと善だけを図る、これを正思と言います。一つの思いがせっせと欲だけを願う、これを邪思と言います。分不相応の幸いを望みすぎる、これを越思と言います。事の前にためらい、事の後に悔やむ、これを縈思と言います。心を千里に遊ばせ、思案が百通りに分かれる、これを浮思と言います。疑うところがないのに、決断すべきを決断しない、これを惑思と言います。自分に関わらないことで他人のために憂える、これを狂思と言います。どうしようもないのに、やめるべきをやめない、これを徒思と言います。日々の職務、本分の工夫を、朝に思い暮れに図り、怠りのないよう期する、これを本思と言います。この九つの思いは、日々のあいだ、こちらになければあちらにあります。よく心を収める者は、ただ本思だけでしょう。身に定まった業があり、日に定まった務めがあり、暮れには昼の行いを省み、朝には今日なすべきことを計り、そこに思いを置き続け、一事もいい加減にせず、一時も見過ごさなければ、心に落ち着き先ができて他へ行かず、徳と仕事は日ごとに伸びていくでしょう。
解説
この章句が説くこと
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