史記 / 平原君虞卿列伝
毛遂比至楚,與十九人論議,十九人皆服。平原君與楚合從,言其利害,日出而言之,日中不決。十九人謂毛遂曰:「先生上。」毛遂按劍歷階而上,謂平原君曰:「從之利害,兩言而決耳。今日出而言從,日中不決,何也?」楚王謂平原君曰:「客何爲者也?」平原君曰:「是勝之舍人也。」楚王叱曰:「胡不下!吾乃與而君言,汝何爲者也!」毛遂按劍而前曰:「王之所以叱遂者,以楚國之眾也。今十步之內,王不得恃楚國之眾也,王之命縣於遂手。吾君在前,叱者何也?且遂聞湯以七十里之地王天下,文王以百里之壤而臣諸侯,豈其士卒眾多哉,誠能據其勢而奮其威。今楚地方五千里,持戟百萬,此霸王之資也。以楚之彊,天下弗能當。白起,小豎子耳,率數萬之眾,興師以與楚戰,一戰而舉鄢郢,再戰而燒夷陵,三戰而辱王之先人。此百世之怨而趙之所羞,而王弗知惡焉。合從者爲楚,非爲趙也。吾君在前,叱者何也?」楚王曰:「唯唯,誠若先生之言,謹奉社稷而以從。」毛遂曰:「從定乎?」楚王曰:「定矣。」毛遂謂楚王之左右曰:「取雞狗馬之血來。」毛遂奉銅槃而跪進之楚王曰:「王當歃血而定從,次者吾君,次者遂。」遂定從於殿上。
新字:毛遂比至楚,与十九人論議,十九人皆服。平原君与楚合従,言其利害,日出而言之,日中不決。十九人謂毛遂曰:「先生上。」毛遂按剣歴階而上,謂平原君曰:「従之利害,両言而決耳。今日出而言従,日中不決,何也?」楚王謂平原君曰:「客何為者也?」平原君曰:「是勝之舎人也。」楚王叱曰:「胡不下!吾乃与而君言,汝何為者也!」毛遂按剣而前曰:「王之所以叱遂者,以楚国之衆也。今十歩之内,王不得恃楚国之衆也,王之命県於遂手。吾君在前,叱者何也?且遂聞湯以七十里之地王天下,文王以百里之壤而臣諸侯,豈其士卒衆多哉,誠能拠其勢而奮其威。今楚地方五千里,持戟百万,此覇王之資也。以楚之彊,天下弗能当。白起,小豎子耳,率数万之衆,興師以与楚戦,一戦而舉鄢郢,再戦而焼夷陵,三戦而辱王之先人。此百世之怨而趙之所羞,而王弗知悪焉。合従者為楚,非為趙也。吾君在前,叱者何也?」楚王曰:「唯唯,誠若先生之言,謹奉社稷而以従。」毛遂曰:「従定乎?」楚王曰:「定矣。」毛遂謂楚王之左右曰:「取鶏狗馬之血来。」毛遂奉銅槃而跪進之楚王曰:「王当歃血而定従,次者吾君,次者遂。」遂定従於殿上。
書き下し
毛遂、楚に至る比、十九人と論議し、十九人皆服す。平原君、楚と合従し、その利害を言ふ、日出でてこれを言ひ、日中まで決せず。十九人、毛遂に謂ひて曰く、「先生上れ」と。毛遂、剣を按じ階を歴て上り、平原君に謂ひて曰く、「従の利害は、両言にして決するのみ。今、日出でて従を言ひ、日中まで決せず、何ぞや」と。楚王、平原君に謂ひて曰く、「客は何為る者ぞ」と。平原君曰く、「是れ勝の舎人なり」と。楚王叱して曰く、「胡ぞ下らざる。吾は乃ち而の君と言ふ、汝は何為る者ぞ」と。毛遂、剣を按じて前みて曰く、「王の遂を叱する所以の者は、楚国の衆きを以てなり。今、十歩の内、王は楚国の衆きを恃むを得ざるなり、王の命は遂の手に県る。吾が君前に在り、叱するは何ぞや。且つ遂聞く、湯は七十里の地を以て天下に王たり、文王は百里の壌を以て諸侯を臣とす、豈にその士卒衆多ならんや、誠に能くその勢ひに拠りてその威を奮へばなり。今、楚の地は方五千里、戟を持つもの百万、此れ霸王の資なり。楚の彊きを以てせば、天下能く当たる弗し。白起は小豎子のみ、数万の衆を率ゐ、師を興して以て楚と戦ひ、一戦して鄢郢を挙げ、再戦して夷陵を焼き、三戦して王の先人を辱む。此れ百世の怨みにして趙の羞づる所なり、而るに王は悪むことを知らず。合従は楚の為にして、趙の為に非ざるなり。吾が君前に在り、叱するは何ぞや」と。楚王曰く、「唯唯、誠に先生の言の若し、謹んで社稷を奉じて以て従はん」と。毛遂曰く、「従定まるか」と。楚王曰く、「定まれり」と。毛遂、楚王の左右に謂ひて曰く、「鶏狗馬の血を取り来たれ」と。毛遂、銅槃を奉じて跪きてこれを楚王に進めて曰く、「王当に歃血して従を定むべし、次は吾が君、次は遂」と。遂に従を殿上に定む。
現代語訳
毛遂は楚に着くまでの間に十九人と議論を重ね、十九人はみな彼に心服した。平原君は楚と合従を結ぼうとして、その利害を説いたが、日の出から説き始めて昼になっても決まらなかった。十九人は毛遂に言った。「先生、上がってください。」毛遂は剣の柄に手をかけて階段を上り、平原君に言った。「合従の利害は、二言で決まることだ。いま日の出から合従を説いて昼になっても決まらないのは、どういうわけか。」楚王は平原君に言った。「この客は何者か。」平原君は言った。「私の家臣だ。」楚王は叱りつけた。「なぜ下がらぬ。わしはおまえの主君と話しているのだ。おまえは何者か。」毛遂は剣の柄に手をかけたまま進み出て言った。「王が私を叱りつけるのは、楚の国の兵が多いのを頼んでのことだ。しかしいま十歩の内では、王は楚の国の兵の多さを頼むことはできない。王の命は私の手に懸かっている。我が主君が目の前にいるのに叱りつけるのは、どういうことか。それに私はこう聞いている。殷の湯王はわずか七十里四方の地で天下の王となり、周の文王は百里四方の土地で諸侯を臣下とした。それは兵が多かったからではない。まことにその勢いに乗り、その威光を奮ったからだ。いま楚の地は五千里四方、戟を持つ兵は百万、これこそ覇者・王者となる元手だ。楚の強さをもってすれば、天下に敵う者はない。ところが白起というたかが小僧が、数万の兵を率いて楚と戦い、一戦で鄢郢を落とし、再戦で夷陵を焼き、三戦で王の先祖を辱めた。これは百代にわたる恨みで、趙でさえ恥じているのに、王はそれを憎むことも知らない。合従は楚のためであって、趙のためではない。我が主君が目の前にいるのに叱りつけるのは、どういうことか。」楚王は言った。「わかった、わかった。まことに先生の言うとおりだ。謹んで国を挙げて合従に加わろう。」毛遂は言った。「合従は決まったか。」楚王は言った。「決まった。」毛遂は楚王の側近に言った。「鶏と犬と馬の血を持ってこい。」毛遂は銅の盆を捧げ持ち、ひざまずいて楚王に差し出して言った。「王がまず血をすすって合従を定めてほしい。次は我が主君、その次は私だ。」こうしてついに宮殿の上で合従が決まった。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略趙王曰く「善し」と。即ち虞卿を遣わして東のかた斉王に見え、之と秦を謀らしむ。虞卿、未だ発するに及ばずして、秦の使者、已に趙に在り。楼緩、之を聞き、亡げ去る。秦、趙を囲む。王、平原君をして楚に入りて従親して其の救いを請わしむ。平原君の楚に之くや、楚王に見え、説くに利害を以てす。日出でて言い、日中にして決せず。毛遂、乃ち剣を按じ階を歴て上り、平原君に謂いて曰く「縦の利害は、両言にして決するのみ。今、日出でて言い、日中にして決せざるは、何ぞや」と。楚王叱して曰く「胡ぞ下らざる。吾、汝の君と言う。汝、何を為す者ぞ」と。毛遂、剣を按じて前みて曰く「王の遂に遇う所以の者は、楚国の衆を以てなり。今、十歩の内、王は楚国の衆を恃むを得ず。王の命は遂の手に懸かれり。吾が君、前に在り。叱する者は何ぞや。且つ遂聞く、湯は七十里の地を以て立ちて天子と為り、文王は百里の壌を以て諸侯を臣とす、と。今、楚の地は方五千里、戟を持つこと百万、此れ覇王の資なり。楚の強きを以てすれば、天下、能く比する莫くして当たる能わざるなり。白起は小竪子のみ。数万の衆を率い、師を興して以て楚と戦い、一戦して鄢・郢を挙げ、再戦して夷陵を焼き、三戦して王の先人を辱む。此れ百代の怨みにして、趙の羞ずる所なるに、王は恥を知らず。今、縦を合するは楚の為にして趙の為に非ざるなり」と。楚王曰く「苟くも先生の言の如くんば、謹みて社稷を奉じて以て従わん」と。楚、是に於て遂に兵を出して趙を救う。
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史記 平原君虞卿列伝毛遂、左手に槃血を持して右手に十九人を招きて曰く、「公相与にこの血を堂下に歃れ。公等は録録たり、所謂人に因りて事を成す者なり」と。平原君已に従を定めて帰り、帰りて趙に至りて曰く、「勝は敢へてまた士を相せず。勝の士を相すること多き者は千人、寡き者は百数、自ら以為へらく天下の士を失はずと。今乃ち毛先生に於いてこれを失へり。毛先生一たび楚に至りて、趙をして九鼎大呂より重からしむ。毛先生は三寸の舌を以て、百万の師より彊し。勝は敢へてまた士を相せず」と。遂に以て上客と為す。平原君既に趙に返る、楚は春申君をして兵を将ゐて赴きて趙を救はしめ、魏の信陵君もまた矯りて晋鄙の軍を奪ひて往きて趙を救ふも、皆未だ至らず。秦急に邯鄲を囲む、邯鄲急にして、且に降らんとす、平原君甚だこれを患ふ。邯鄲の伝舎の吏の子李同、平原君に説きて曰く、「君は趙の亡ぶるを憂へざるか」と。平原君曰く、「趙亡ぶれば則ち勝は虜と為る、何為れぞ憂へざらん」と。李同曰く、「邯鄲の民は、骨を炊き子を易へて食らふ、急と謂ふべし。而るに君の後宮は百を以て数へ、婢妾は綺縠を被り、粱肉を余す。而して民は褐衣完からず、糟糠に厭かず。民困しみ兵尽き、或いは木を剡りて矛矢と為す、而るに君の器物鐘磬は自若たり。秦をして趙を破らしめば、君安んぞ此れ有るを得ん。趙をして全きを得しめば、君何ぞ有ること無きを患へん。今、君誠に能く夫人以下をして士卒の閒に編せしめ、功を分けて作さしめ、家の有る所を尽く散じて以て士に饗せば、士は其の危苦の時に方たりて、徳とし易きのみ」と。是に於いて平原君これに従ひ、敢死の士三千人を得たり。李同遂に三千人と秦の軍に赴く、秦の軍これが為に卻くこと三十里。また会々楚・魏の救ひ至り、秦の兵遂に罷め、邯鄲また存す。李同戦死す、その父を封じて李侯と為す。虞卿、信陵君の邯鄲を存するを以て平原君の為に封を請はんと欲す。
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史記 平原君虞卿列伝秦の邯鄲を囲むや、趙、平原君をして救ひを求めしめ、楚に合従せんとし、食客門下の勇力有りて文武備はり具はる者二十人と偕にせんことを約す。平原君曰く、「文をして能く勝ちを取らしめば、則ち善し。文能く勝ちを取らずんば、則ち華屋の下に歃血して、必ず従を定むるを得て還らん。士は外に索めず、食客門下より取りて足れり」と。十九人を得、余は取るべき者無く、以て二十人を満たすこと無し。門下に毛遂なる者有り、前み、自ら平原君に賛して曰く、「遂聞く、君将に楚に合従せんとし、食客門下二十人と偕にせんことを約し、外に索めずと。今一人を少く、願はくは君即ち遂を以て員に備へて行け」と。平原君曰く、「先生、勝の門下に処ること幾年ここに於いてぞ」と。毛遂曰く、「三年ここに於いてす」と。平原君曰く、「夫れ賢士の世に処るや、譬へば錐の囊中に処るが若く、その末立ちどころに見る。今、先生勝の門下に処ること三年ここに於いてす、左右未だ称誦する所有らず、勝未だ聞く所有らず、是れ先生に有る所無きなり。先生能はず、先生留まれ」と。毛遂曰く、「臣乃ち今日囊中に処らんことを請ふのみ。遂をして蚤く囊中に処るを得しめば、乃ち穎脱して出でん、特にその末の見るるのみに非ず」と。平原君竟に毛遂と偕にす。
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