『言志四録』は、幕末の儒学者・佐藤一斎が四十年かけて書き綴った語録集です。西郷隆盛が終生手放さなかった書として知られます。二百年前に書かれたリーダー論が、なぜいまも読まれるのか。その核心にある「天」の思想から、器・仕組み・育成・信頼まで、章句を引きながら読んでいきます。

言志四録とは

四部作・1133条・四十年

言志四録(げんししろく)』は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録(げんしてつろく)」の四部作からなる語録集です。佐藤一斎が四十三歳から八十二歳までの約四十年にわたって書き綴った、1133条の箴言で構成されています。

内容は学問と自己修養に始まり、人間関係、組織の動かし方、国家観にまで及びます。リーダーが向き合うべきテーマがほぼ網羅されている。それでいて単なる処世術の書と一線を画すのは、根底に「人間としてどうあるべきか」という問いが流れているからです。

佐藤一斎が生きた時代

一斎が生きた江戸後期は、泰平の世が爛熟して社会の仕組みが硬直しはじめる一方、海外から異国船が迫り、内憂外患の兆しが見えはじめた時代でした。既存のやり方が通用しなくなり、外からの波が押し寄せる——現代とどこか重なります。

こうした不確実な時代に、一斎が説いたのは小手先の技術ではありません。物事の本質を見抜く「学問」と、己を律する「修養」でした。

西郷隆盛が終生手元に置いた

西郷隆盛は、西南戦争で自決するまで『言志四録』を手放さなかったと言われます。佐久間象山や渡辺崋山など、明治維新を導いた多くの指導者もこの書から学びました。

西郷はこの書から百一条を抜き書きしています。それが『南洲手抄言志録』で、師導に収録している言志四録は、この百一条にあたります(/sho/genshishiroku)。

思想の核心にある「天」

太上は天を師とす

一斎の思想は「天」という概念に集約されます。

太上(たいじょう)は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経(けい)を師とす。(言志録 第2条)

最も優れた者は天地自然の法則を師とする。その次が優れた人物を師とし、その次が書物を師とする——という順序です。

リーダーは目先の利益や世間の評価に惑わされず、常にこの「天の理」に立ち返って自らの言動を省みなければならない。この揺るぎない軸を持つことが、あらゆる判断の基礎になります。

私欲は有る可からず、公欲は無かる可からず

西郷がこの書から学び取ったのは、「私」を滅して「公」に尽くすというリーダーの覚悟でした。

私欲は有る可からず。公欲は無かる可からず。(言志録 第221条)

個人的な欲望はあってはならない。しかし、公のための欲はなければならない。

欲そのものを否定していないところが重要です。西郷はこの言葉を胸に私利私欲を排し、「天下国家のため」という一点に身を捧げました。

現代の経営者にとっての「公」とは、顧客であり、従業員であり、社会全体です。自社の利益だけを追うのではなく、この「公」に対してどんな価値を提供できるか。そこに向き合うことが、企業の存在意義を確立します。

リーダーの器を磨く

才よりも量を取る

現代のビジネスでは、専門的なスキルや知識——つまり「才」が重視されがちです。一斎は、才より「」、すなわち人間的な器の大きさが重要だと説きます。

才有りて量無ければ、物を容るる能わず。量ありて才無ければ、亦事を済さず。両者を兼ね得ざれば、寧ろ才を棄てて量を取らん。(言志後録 第98条)

才があっても量がなければ人を容れられない。量があっても才がなければ事を成せない。両方を兼ねられないなら、むしろ才を捨てて量を取る

事業は一人では成し遂げられないからです。多様な価値観と能力を持つ人を受け入れ、その力を引き出す度量がなければ、組織は機能しません。

非常に優秀で仕事はできるのに、部下がついてこない、同僚から敬遠されている——そういう人が周りにいないでしょうか。まさに「才あれども量なし」の状態です。自分と違う意見や、耳の痛い諫言を受け入れる。部下の失敗を許して再挑戦の機会を与える。異質な才能を認めて活かす。その懐の深さが信頼を集めます。

志は、古今第一等の人物をもって自ら期す

志有る者は要は当に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。(言志録 第118条)

志を持つ者は、古今東西で第一等の人物になることを自らの目標とすべきだ。

尊大になれという話ではありません。目標を高く置くことで視座が上がり、日々の些細な困難に揺らがなくなる、という実務的な効き目の話です。

己に在る者を恃む

士は当に己に在る者を恃むべし。天地を驚く極大の事業も、亦すべて一己より興す。(言志録 第119条)

リーダーたる者は、自分に備わっているものを頼りとせよ。天地を驚かす偉大な事業も、すべては自分一人から始まる。

外部環境や他人の評価に依存しない。師導に収録された百一条にも、同じ構えの一句があります。

士は独立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念、起す可らず。

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勢いのある者にすり寄ろうという心を起こしてはならない、と。

リーダーは「大事」を為せ

大臣の職は、大綱を統ぶるのみ

「リーダーは常に多忙であるべきだ」というのは、一つの呪縛かもしれません。現場の誰よりも働き、すべての業務を把握していなければならない——そう信じているリーダーは少なくないでしょう。一斎は、二百年前にそこを喝破しています。

大臣の職は、大綱を統ぶるのみ。日間の瑣事は、旧套に遵依するも可なり。但だ人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、年間率ね数次に過ぎず。(言志録 第51条)

リーダーの仕事は、組織の大きな方針を統べることだけである。日々の細かな業務は、これまでのやり方に従っておけばよい。リーダーが本当に動くべき場面——誰もが言いにくいことを言い、誰にも解決できない問題を処理する場面——は、一年を通しても数えるほどしかない

ここでいう「旧套」は、まさに仕組みや業務プロセス、マニュアルにあたります。優れたリーダーは、自分がすべての細かな業務をこなすのではなく、誰がやっても一定の品質と成果が出る仕組みを作ることに力を注ぎます。日常業務が仕組みになっていれば、オペレーションに忙殺されることも、細かく口を出しすぎることもなくなります。

そうして空いた時間とエネルギーを、リーダーにしかできない「大事」に投じる。

  • 会社の十年後、二十年後を見据えたビジョンを描き、語ること
  • 業界の常識や既存の成功体験を壊す挑戦をすること
  • 組織の根幹に関わる、痛みを伴う改革を断行すること
  • 短期の利益を度外視してでも、長期の信頼を守る決断を下すこと

いずれも不確実で、創造的で、大きな責任を伴う仕事です。日常の瑣事を仕組みに任せ、自らは未来を創る大事に集中する。この役割分担が、組織を前へ進める原動力になります。

禁不禁の間に置く

組織にルールは不可欠です。しかし縛りすぎれば活力と創造性が失われ、放任すればまとまりを欠く。この普遍的なジレンマに、一斎はこう答えます。

政を為す者但だ当に人情を斟酌して、之れが操縦を為し、之を禁不禁の間に置き、其れをして過甚に至らざらしむべし。(言志録 第74条)

人々の感情や心情をよく汲み取って導くこと。その際、厳しく禁じるのでも、野放しにするのでもない、その中間の絶妙なところで管理し、何事もやりすぎにならないようにする。

「禁不禁の間」という言い方が的確です。些細なことまで禁じて管理を徹底すれば、従業員は自ら考えて動く意欲を失います。失敗を恐れ、挑戦を避ける文化が広がって組織は硬直する。かといってルールを一切設けなければ、烏合の衆になります。

リーダーの役割は、この両極端を避けて中間の領域を作ることです。理念やビジョンという揺るぎない大綱を示し、守るべき最低限のルールを置いたうえで、その枠の中では最大限の裁量を与える。「何を」「なぜ」は共有し、「どうやって」は現場に委ねる。このバランスが当事者意識を育てます。

人が育つ組織を作る

教育は、天に事うる職分である

能く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。是れ君に事うるの公事なり。君に事うるの公事に非ず、是れ天に事うるの職分なり。(言志晩録 第233条)

子弟を立派に教育することは、一家の私事ではない。主君に仕える公の仕事である。いや、公事ですらなく、天に仕えるという人間としての職分である。

現代に置き換えれば、部下や後進の育成は自社の利益のための私事ではなく、顧客や社会に貢献する公の務めであり、さらには人の可能性を開かせるという天から与えられた職分だ、ということになります。

この視点に立てば、人材育成はコストではなく未来への投資であり、リーダーが果たすべき最も重い責務になります。

心教・躬教・言教

では、具体的にどう育てるのか。一斎は教育に三つの段階があると言います。

教えに三等有り。心教は化なり。躬教は跡なり。言教は則ち言に資す。(言志後録)

  • 言教……言葉によって教える
  • 躬教……自らの行動、背中を見せることで手本を示す
  • 心教……リーダーの人格そのものによって相手を感化させる

最も効果が低いのが言教です。「ああしろ、こうしろ」と言うだけでは人は動きません。次が躬教。率先してやってみせる姿は、言葉より雄弁です。

そして最も本質的なのが心教。リーダーのあり方、その人間性や志や価値観そのものが、知らず知らずのうちに部下に伝わり、彼らを善い方向へ「化せしめる」ことを指します。

結局、人は「何を言われたか」ではなく「誰に言われたか」で動きます。言葉による指導も行動による模範も、この心教という土台があってはじめて効きます。

己を修める — 終わりのない学び

学を為す、故に書を読む

ビジネス書を読み漁り、セミナーに出て知識を詰め込む。そんな学び方に、一斎は警鐘を鳴らします。

学を為す。故に書を読む。(言志録 第13条)

人間として成長するという目的がある。その手段として書を読むのだ、と。

書を読むこと、知識を得ること自体が目的になってはいけない。すべては自らの人格を磨くための手段にすぎません。師導に収録された百一条には、もっと踏み込んだ一句もあります。

凡そ学を為すの初め、必ず大人たらんと欲するの志を立て、然る後書読む可し。然らずして、徒に聞見を貪るのみならば、則ち或は傲を長じ非を飾らんことを恐る。謂はゆる寇に兵を仮し、盗に糧を資するなり、虞る可し。

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志を立てずに知識だけ貪れば、傲慢さを助長し、自分の過ちを言い繕う口実を与える。それは敵に武器を貸し、盗人に食糧を渡すようなものだ、と。学びが人を悪くすることがある、という警告です。

少壮の時に、惜陰を知らず

人は、少壮の時に方りては、惜陰を知らず。……四十を過ぎて已後、始めて惜陰を知る。既に知るの時は、精力漸く耗せり。(言志録 第123条)

若く元気なうちは時間を惜しむことを知らない。四十を過ぎてようやく時間の貴重さが分かる。しかし気づいたときには、すでに精力が衰えはじめている。

多くの人が実感として頷けるところでしょう。だからこそ一斎は、若いうちに志を立てて学ぶことを説きます。リーダー自身が時間を惜しんで研鑽する姿を見せることが、若い人への最良の教えにもなります。

艱難は、才を練り上げる砥石

凡そ遭う所の艱難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の吾才を老せしめる所以にして砥砺切磋の地に非ざるは莫し。(言志録 第59条)

人生で出会うあらゆる困難、災難、屈辱、中傷、思いどおりにならない出来事は、すべて天が自分の才を練り上げ、成熟させるために与えた試練である。それらは自分を磨く砥石であり、修行の場にほかならない。

逆境は、平時には気づかない自分の弱さや未熟さを教えます。それを越える過程で、人間的な深みが培われる。問題が起きたときに他責にしたり見て見ぬふりをするリーダーに、人はついてきません。

信頼という、最強の資本

人は、心を信ずる

「信頼を得るには言行一致が大切だ」とよく言われます。一斎はもう一段深いところを見ています。

取信於人難也。人不信於口、而信於躬。不信於躬、而信於心。是以難。

書き下し: 信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。

現代語訳: 人から信頼を得ることは難しい。人は言葉(口)を信じるのではなく、行い(躬)を信じる。いや、行いを信じるというより、その奥の心を信じる。だから信頼を得ることは難しいのだ。

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口先で立派なことを言っても、行動が伴わなければ信頼されません。そして、行動が立派に見えても、その動機が自己保身や私利私欲であれば、いずれ見透かされて人は離れます。

求められるのは単なる言行一致ではなく、心・言・行の一致です。自分の心に一点の曇りもないかを問い続ける。その姿勢が、見返りを求めずとも人の心を打ちます。

利は天下公共の物

利益を追わずに企業活動は成り立ちません。しかし利益ばかりを追えば道義を見失う。この「義」と「利」のバランスについて、一斎はこう言います。

利は天下公共の物なれば、何ぞ曾て悪有らん。但だ自ら之を専にすれば、則ち怨を取るの道たるのみ。(言志録 第67条)

利益というものは、本来、天下の公共物である。それ自体が悪であるはずがない。ただし、それを自分一人が独占しようとすれば、恨みを買うだけだ

利益そのものは否定しない。独占が問題だ、という切り分けです。企業が生んだ利益は自社だけのものではありません。従業員の待遇改善や教育投資に回す。適正な価格で取引先に発注する。より良い製品を顧客に提供する。納税や社会貢献を通じて社会に還す。そうして初めて価値を発揮します。

目先の利益を独占しようとする経営は、短期的には成功して見えても、必ずどこかで歪みが出ます。

一灯を提げて、暗夜を行く

最後に、西郷が書き写した百一条のなかから、最もよく知られた一句を挙げておきます。

一灯を提げて、暗夜を行く。暗夜を憂ふる勿れ、只だ一灯を頼め。

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暗い夜道を、手元の灯り一つで行く。暗さを憂えるな、その一灯だけを頼りにせよ。

先が見えないことを嘆いても、道は明るくなりません。見えている範囲を照らすものを一つ持ち、そこを頼りに歩く。志を高く掲げ、才より量を重んじ、日常を仕組みに任せて大事に向かい、人を育て、学びを止めず、心・言・行を一致させる——本記事で見てきたことはすべて、その「一灯」を確かなものにする営みです。

二百年前に書かれた1133条は、いまも同じことを問い続けています。

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