呻吟語 / 内篇・談道・謀りて後斷じ、行ひて後斷ず
斷則心無累。或曰:「斷用在何處?」曰:「謀後當斷,行後當斷。」
新字:断則心無累。或曰:「断用在何処?」曰:「謀後当断,行後当断。」
書き下し
斷ずれば則ち心に累無し。或るひと曰く、「斷は何の處にか用ふる」と。曰く、「謀りて後當に斷ずべし、行ひて後當に斷ずべし」と。
現代語訳
決断してしまえば心に引っかかりが残りません。ある人が尋ねました。決断はどこで使うのですか。答えて言う。相談し尽くしたら決断する。やり終えたら決断する。
解説
決断の使いどころを二つに限定したのが面白いところです。ひとつは考え抜いた後、いつまでも検討を続けずに切ること。もうひとつは、やり終えた後です。済んだことを蒸し返さず、そこで断ち切る。入口の決断は誰もが思いつきますが、出口の決断まで言うのが呂坤らしい。心に引っかかりを残さないとは、始める前と終えた後の両方を断つことなのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
決断断つ後悔実行心
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