「優秀な人ほど辞めていく」。
経営者や管理職から、よく聞く言葉です。しかも、たいていこう続きます。「待遇は悪くないはずなのに」「かわいがっていたのに」「急に言われた」。
ただ、この言葉にも、少し注意が要ります。「辞める」は結果であって、原因ではないということです。
退職届が出てくるのは、最後の一日です。その前に、何か月も、場合によっては何年も、小さな出来事が積み重なっています。呼び方、任せ方、評価の返し方、疑いの向け方。本人の中では、辞める理由はとっくにそろっていて、届けはその清算にすぎません。
そして厄介なことに、優秀な人ほど、その積み重ねを口にしません。 他に行くところがあるからです。不満を言って職場を変えるより、黙って職場を変えるほうが早い。だから「急に言われた」ように見える。
この記事では、「優秀な人が辞めていく」という状態を七つの原因に切り分け、それぞれについて東洋古典が何を書いているかを読んでいきます。原文(白文)・書き下し文・現代語訳と解説つきです。
先に一つだけ断っておきます。七つとも、辞める人ではなく、辞められる側——経営者や上司——の行動についての話です。 辞めた人の忍耐が足りなかった、という話は一つも出てきません。古典は、この問題をいつも上の側から書いています。
そして、部下が育たないの記事と同じく、提案を一つ。七つを全部やろうとしないでください。 心当たりのある一つか二つだけで十分です。
まず、土台 ― 扱い方は、そのまま返ってくる
七つに入る前に、全体の土台になる一句を置きます。『孟子』です。
【白文】孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。
【書き下し】孟子、齊の宣王に告げて曰く、「君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、則ち臣の君を視ること國人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなれば、則ち臣の君を視ること寇讎の如し。」
孟子が斉の宣王に言います。
君主が臣下を自分の手足のように見れば、臣下は君主を自分の腹や心臓のように見る。
君主が臣下を犬や馬のように見れば、臣下は君主を道ですれ違う他人のように見る。
君主が臣下を土くれやごみのように見れば、臣下は君主を仇のように見る。
三段になっています。そして真ん中の段が、いちばん現実的です。「国人」は、朱子の注によれば「路人」、つまり恨みもなければ恩もない、関心のない通りすがりのことです。
犬や馬のように扱う——餌は与える、仕事はさせる、しかし一人の人間としては見ていない。そういう職場で起きるのは、反乱ではありません。無関心です。社員は会社を恨んでもいないし、愛してもいない。だから、条件のよい話が来れば、あっさり移ります。
「急に辞めた」と感じるとき、たいてい起きているのはこの二段目です。恨まれていたわけではない。ただ、つなぎとめるものが何もなかった。
孟子の言い方は、対等です。上がどう見るかで、下の見方が決まる。忠誠は、扱われ方への応答だということです。では、どんな扱い方が人を離すのか。ここから七つに切り分けます。
出典:孟子 離婁章句下
切り分ける ― 七つの原因
先に、七つを並べておきます。
一、呼びつけている。 大事な人を、ぞんざいな手続きで扱っている。
二、優しいが、報いない。 気づかいはあるのに、成果に見合う処遇を惜しんでいる。
三、手柄の大きさだけで見ている。 何をしたかは見ても、どういう人かを見ていない。
四、疑っている。 優秀な人ほど、上の疑いに敏感だ。
五、小さな不満を「欲深い」で片づけている。 言ってくれたうちに、聞いていない。
六、自分の振る舞いが、集まる人を決めている。 優秀な人が残らないのは、優秀な人が来ない職場と同じ理由かもしれない。
七、辞めた人の送り出し方を、残った人が見ている。 次の退職は、前の退職の扱いから始まっている。
では、一つずつ見ていきます。
一、呼びつけている ― 韓信は、劉邦のもとからも一度逃げた
【白文】信度何等已數言上、上不我用、即亡。何聞信亡、自追之。上大怒、如失左右手。何來謁上、上罵何曰、若亡、何也。何曰、臣不敢亡也、臣追亡者。曰、韓信也。上復罵曰、諸將亡者以十數、公無所追、追信、詐也。何曰、諸將易得耳、至如信者、國士無雙。王必欲爭天下、非信無所與計事者。於是王欲召信拜之。何曰、王素慢無禮、今拜大將如呼小兒耳、此乃信所以去也。
【書き下し】信、何等の已に数々上に言ふも、上我を用ゐざるを度り、即ち亡ぐ。何、信の亡ぐるを聞き、自ら之を追ふ。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。何来たりて上に謁す。上、何を罵りて曰く、「若亡ぐ、何ぞや」と。何曰く、「臣敢て亡げざるなり、臣亡ぐる者を追ふ」と。曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者十を以て数ふ、公追ふ所無し、信を追ふは、詐なり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ、信の如きに至りては、国士無双なり。王必ず天下を争はんと欲せば、信に非ざれば与に事を計る所の者無し」と。是に於いて王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し、今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ、此れ乃ち信の去る所以なり。
漢の天下統一を支えた名将・韓信(かんしん)は、もともと項羽の配下でした。用いられずに見切りをつけ、劉邦のもとへ移ります。ところが、劉邦のもとからも一度、逃げ出しているのです。
推薦してくれた蕭何(しょうか)が何度も劉邦に話したのに、用いられない。そう見た韓信は、逃げ出します。蕭何はそれを聞くと、自分で追いかけました。
劉邦は激怒します。「諸将が十人も逃げたのに、お前は誰も追わなかった。韓信を追ったとは嘘だろう」。蕭何は答えます。「諸将なら代わりはいくらでもいます。しかし韓信は国士無双です」。
劉邦は「では呼んで大将にしよう」と言います。ここで蕭何が言ったことが、この段の核心です。
「王はもともと横柄で礼がない。いま大将を任命するのに、子どもを呼びつけるようになさろうとしている。これこそ、韓信が去った理由です」。
蕭何は続けます。任命するなら、吉日を選び、身を清め、壇を設け、礼を尽くしてください。劉邦はそのとおりにし、全軍が驚くなかで韓信を大将に任じました。
注目したいのは、韓信が去った理由が、待遇ではなかったことです。蕭何ははっきり「礼がない」と言っています。用いないこと、そして用いるときの扱いの軽さ。
これを受けて、『貞観政要』には魏徴の上奏がこう書いています。
【白文】昔周文王遊於鳳皇之墟,襪系解,顧左右莫可使者,乃自結之。豈周文之朝盡為俊乂,聖明之代獨無君子者哉?但知與不知,禮與不禮耳!
【書き下し】昔、周の文王、鳳皇の墟に遊ぶ。襪(べつ)の系(お)解く。左右を顧みるに使うべき者莫し。乃ち自ら之を結ぶ。豈に周文の朝、尽く俊乂と為り、聖明の代、独り君子無からんや。但だ知ると知らざると、礼すると礼せざるとのみ。
周の文王が歩いていて足袋の紐がほどけた。周りを見回しても、頼める者がいない。そこで自分で結び直した——。文王の朝廷が優れた人ばかりで、使い走りに向く者がいなかったのではない。ただ、知っているか知らないか、礼をもって遇するか遇しないか、それだけの違いだ。
魏徴はこのあと、韓信を名指しして、「項羽が韓信に恩を垂れていれば、滅びはしなかった」と書いています。
現代の職場に置き換えると、「呼びつける」は、たとえばこういう形をとります。昇進や異動を廊下で伝える。重要な役を、会議の最後に「じゃあ、よろしく」で決める。本人より先に周りが知っている。どれも、悪気はありません。忙しいだけです。 しかし、優秀な人ほどそこを見ています。自分がこの組織でどう扱われる人間なのかは、任命の中身より、任命のされ方に出るからです。
二、優しいが、報いない ― 項羽の「婦人の仁」
【白文】項王見人恭敬慈愛、言語嘔嘔、人有疾病、涕泣分食飲、至使人有功當封爵者、印刓敝、忍不能予、此所謂婦人之仁也。
【書き下し】項王人を見るに恭敬慈愛、言語嘔嘔、人に疾病有れば、涕泣して食飲を分かつも、人に功有りて爵に封ずるに当たる者をば、印刓敝するまで、忍びて予ふる能はず、此れ所謂婦人の仁なり。
大将に任じられた韓信は、劉邦に、元の主君である項羽の人物評を述べます。その一節です。
項羽は、人に会えば恭しく慈しみ深く、言葉づかいも優しい。部下が病気になれば、涙を流して自分の食事を分け与える。
ここまで聞くと、理想の上司です。ところが、続きがあります。
ところが、手柄を立てた者に爵位を与える段になると、印を手の中でいじりまわし、角がすり減るまで、惜しんで渡すことができない。
「印」は、領地や官職を与えるときに渡す印章です。渡すべき印を握ったまま、角が丸くなるまでいじっている——手放せないのです。韓信はこれを「婦人の仁」と呼びました。いまの言葉なら、気づかいはあるが、筋の通った報い方ができない優しさです。
これは、辞めていく人がよく口にする言葉と重なります。「社長はいい人なんです。でも……」。
気にかけてもらっている。声もかけてもらえる。困ったときは助けてもらえる。それでも、成果に見合った昇進や報酬は、いつも「来期に」「もう少し様子を見て」と先送りになる。 優しさは本物でも、それは報酬の代わりにはなりません。むしろ、優しくされるほど「なのに、なぜ」が強くなる。
兵法書『司馬法』には、報い方の時間についての一句があります。
【書き下し】賞は時を踰(こ)えず、民をして速やかに善を為すの利を得しめんと欲すればなり。
賞は時を越えさせない。 良いことをした利益を、すぐに受け取らせたいからだ。
報いるなら、早く。惜しむ時間そのものが、相手には「評価されていない」という情報として届きます。
三、手柄の大きさだけで見ている ― 楽羊と秦西巴
【書き下し】魏の將 樂羊 中山を攻む。其の子 執えられて城中に在り。城中 其の子を縣けて以て樂羊に示す。樂羊曰く「君臣の義、子を以て私と爲すを得ず」と。之を攻むること愈々急なり。中山 因りて其の子を烹て、之に鼎羹と其の首とを遺る。樂羊 循でて之に泣きて曰く「是れ吾が子なり」と。已みて、使者の爲に跪きて三杯を啜る。使者 歸りて報ずるに、中山曰く「是れ約に伏し節に死する者なり。忍ぶ可からざるなり」と。遂に之に降る。魏の文侯の爲に大いに地を開き、功有り。此れより後、日々に以て信ぜられず。此れ所謂 功有りて疑わるる者なり。
『淮南子』人間訓には、評価について、対になった二つの話があります。
一つ目は、魏の将軍・楽羊(がくよう)。中山国を攻めているとき、城内に捕らえられていた我が子を煮られ、その羹(あつもの)を送りつけられます。楽羊はそれを三杯すすって見せ、戦意をくじかれた中山は降伏しました。功は誰よりも大きい。ところが主君の文侯は、その日から楽羊を信じられなくなった。
【書き下し】孟孫 獵して麑を得たり。秦西巴をして持ち歸りて之を烹しめんとす。麑の母 之に隨いて嗁く。秦西巴 忍びずして、縱ちて之に予う。孟孫 歸りて、麑の安くにか在るを求む。秦西巴 對えて曰く「其の母 隨いて啼く。臣 誠に忍びず、竊かに縱ちて之に予えたり」と。孟孫 怒りて、秦西巴を逐う。居ること一年、取りて以て子の傅と爲す。左右曰く「秦西巴は君に罪有り。今 以て子の傅と爲すは、何ぞや」と。孟孫曰く「夫れ一麑にして忍びず。又た何ぞ況んや人に於いてをや」と。
二つ目は、秦西巴(しんせいは)。主君の孟孫が狩りで子鹿を捕らえ、持ち帰って煮るよう命じた。母鹿が鳴きながらついてくるので、秦西巴は忍びず、子鹿を放してしまいます。孟孫は怒って彼を追放しました。ところが一年後、呼び戻して、我が子の守り役に任じた。「子鹿一頭にさえ忍びなかった男だ。まして人の子に対してなら、なおさらだろう」。
淮南子は、これを「功有りて疑わる」「罪有りて益々信ぜらる」と呼んで並べています。
この二つの話が示しているのは、手柄の大きさと、その人を信頼できるかどうかは、別の軸だということです。孟孫は、命令違反という「今期の失点」の奥に、人柄を見た。文侯は、手柄の奥に見えたものを恐れた。
評価制度が数字だけでできている職場では、この二つの軸が一本にたたまれます。大きな数字を出す人がいちばん評価され、数字に出ないところで職場を支えている人は、評価の外に置かれる。 後者のタイプの優秀な人は、ある日、自分の仕事がこの組織では見えていないのだと気づきます。そして、見てくれる場所へ移ります。
秦西巴が戻ってきたのは、孟孫が見ていたからです。見られていないと感じた人は、戻ってきません。
四、疑っている ― 范増は「骸骨を賜え」と言って去った
【白文】使者歸報項王,項王乃疑范增與漢有私,稍奪之權。范增大怒,曰:「天下事大定矣,君王自為之。願賜骸骨歸卒伍。」
【書き下し】使者帰りて項王に報ず、項王乃ち范増の漢と私する有るを疑ひ、稍く之が権を奪ふ。范増大いに怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を賜ひて卒伍に帰らん」と。
項羽のもう一人の重臣、范増(はんぞう)の話です。項羽が「亜父(父に次ぐ人)」と呼んだ参謀でした。
劉邦の側の陳平は、項羽と范増の仲を裂く計略を立てます。項羽の使者が来たとき、豪華な料理を出しかけてから、「なんだ、范増の使者かと思ったら項羽の使者か」と言って、粗末な料理に取り替えた。それだけです。
使者の報告を聞いた項羽は、范増が敵と通じているのではないかと疑い、少しずつ権限を取り上げていきました。 范増は激怒して言います。「天下の大勢はもう決まった。あとはご自分でおやりなさい。この老いた骨を返していただき、一兵卒に戻りたい」。項羽はそれを許し、范増は帰る途中、背中の腫れ物で死にました。
この話で見落としやすいのは、項羽が范増を正面から問い詰めてはいないことです。「稍く之が権を奪ふ」——少しずつ権限を奪った。会議に呼ばない。決裁を回さない。相談しない。
疑いは、たいていこの形で表に出ます。そして優秀な人ほど、それにすぐ気づきます。
『貞観政要』には、この構造をそのまま言い当てた一段があります。
【書き下し】夫れ上の下を信ぜざるは、必ず以為えらく、下に信ずべき無しと。若し必ず下に信ずべき無くんば、則ち上も亦た疑うべき有るなり。『礼』に曰く、「上人疑わば、則ち百姓惑う。下知り難くんば、則ち君長労す」と。上下相い疑わば、則ち以て至治を言うべからず。当今、群臣の内、遠く一方に在り、流言三たび至るも杼(ひ)を投ぜざる者、臣窃かに思度するに、未だ其の人を見ず。夫れ四海の広き、士庶の衆きを以て、豈に一二の信ずべきの人無からんや。蓋し之を信ずれば則ち不可なる無く、之を疑えば則ち信ずべき者無し。
上が下を信じないのは、「下に信じられる者がいない」と思うからだ。しかし本当に信じられる者が一人もいないのなら、上のほうにも疑うべき点がある。……信じれば、できないことはない。疑えば、信じられる者はいなくなる。
疑いは、相手を変えます。疑われていると感じた人は、自分を守る行動をとり始めます。記録を残す、報告を絞る、責任の範囲を狭める。その行動が、さらに疑いを深める。 そしてこの循環の最後に、「辞めます」が来ます。范増の「骸骨を賜え」は、その最後の一言でした。
五、小さな不満を「欲深い」で片づけている ― 馮諼の三つの歌
【白文】居有頃,倚柱彈其劍,歌曰:「長鋏歸來乎!食無魚。」左右以告。孟嘗君曰:「食之,比門下之客。」居有頃,復彈其鋏,歌曰:「長鋏歸來乎!出無車。」左右皆笑之,以告。孟嘗君曰:「為之駕,比門下之車客。」於是乘其車,揭其劍,過其友曰:「孟嘗君客我。」後有頃,復彈其劍鋏,歌曰:「長鋏歸來乎!無以為家。」左右皆惡之,以為貪而不知足。孟嘗君問:「馮公有親乎?」對曰:「有老母。」孟嘗君使人給其食用,無使乏。於是馮諼不復歌。
【書き下し】居ること頃有り、柱に倚りて其の劍を彈じ、歌ひて曰く、「長鋏歸り來たれ、食に魚無し。」左右以て告ぐ。孟嘗君曰く、「之に食せしめよ、門下の客に比せしめよ。」居ること頃有り、復た其の鋏を彈じ、歌ひて曰く、「長鋏歸り來たれ、出づるに車無し。」左右皆之を笑ひ、以て告ぐ。孟嘗君曰く、「之が爲に駕せしめよ、門下の車客に比せしめよ。」是に於て其の車に乘り、其の劍を揭げ、其の友を過ぎりて曰く、「孟嘗君我を客とす。」後頃有りて、復た其の劍鋏を彈じ、歌ひて曰く、「長鋏歸り來たれ、以て家を爲す無し。」左右皆之を惡み、以爲へらく貪りて足るを知らざるなりと。孟嘗君問ふ、「馮公親有りや。」對へて曰く、「老母有り。」孟嘗君人をして其の食用を給せしめ、乏しからしむること無からしむ。是に於て馮諼復た歌はず。
『戦国策』から、斉の孟嘗君(もうしょうくん)と、その食客・馮諼(ふうけん)の話です。
馮諼は、特に好みも能力もないと言って孟嘗君の食客になりました。周りの者は主君が彼を軽んじていると見て、粗末な食事を出します。
しばらくして、馮諼は柱にもたれて剣を叩きながら歌います。「長剣よ、帰ろうか。食事に魚がない」。 孟嘗君は「魚を出してやれ」と言う。
また歌います。「長剣よ、帰ろうか。出かけるのに車がない」。 周りは笑いますが、孟嘗君は車を用意させる。
さらに歌います。「長剣よ、帰ろうか。家を養うすべがない」。 周りの者はみな彼を嫌い、「欲深くて足るを知らない男だ」と思いました。孟嘗君は「馮公には身寄りがあるのか」と尋ね、老いた母がいると聞くと、その生活費を送らせた。それ以来、馮諼は二度と歌わなかった。
この話には続きがあります。のちに馮諼は、孟嘗君の領地・薛で借金の証文を焼き捨て、領民の心をつかみます。孟嘗君が失脚して薛に戻ったとき、領民は老人の手を引き子どもを連れて、百里手前まで出迎えました。「狡兎三窟」の故事で知られる、あの馮諼です。
注目したいのは、「帰ろうか」という歌詞です。馮諼は三度、辞めることをほのめかしています。周りの者は、それを「欲深い」と受け取った。孟嘗君は、それを言ってくれたうちの情報として受け取った。
職場の小さな不満も、たいていこの形で出てきます。席が不便、道具が古い、家庭の事情で時間の融通が欲しい。周りから見れば些細で、ときにわがままに見える。しかし、口に出しているうちは、まだ残るつもりがあるということです。 黙った人が次に出してくるのは、不満ではなく退職届です。
三度目の歌で孟嘗君が尋ねたのは、「何が欲しいのか」ではなく、「身寄りはあるのか」でした。要求の奥にある事情を聞いた。それで歌は止みました。
出典:戦国策 齊人有馮諼者
六、自分の振る舞いが、集まる人を決めている ― 郭隗の五段階
【白文】帝者與師處,王者與友處,霸者與臣處,亡國與役處。詘指而事之,北面而受學,則百己者至。先趨而後息,先問而後嘿,則什己者至。人趨己趨,則若己者至。馮几據杖,眄視指使,則廝役之人至。若恣睢奮擊,呴籍叱咄,則徒隸之人至矣。
【書き下し】帝者は師と處り、王者は友と處り、霸者は臣と處り、亡國は役と處る。指を詘して之に事え、北面して學を受くれば、則ち己に百する者至らん。先んじて趨り後れて息い、先んじて問い後れて嘿せば、則ち己に什する者至らん。人趨れば己趨れば、則ち己が若き者至らん。几に馮り杖に據り、眄視して指使すれば、則ち廝役の人至らん。若し恣睢奮擊し、呴籍叱咄すれば、則ち徒隸の人至らん。
「隗より始めよ」の出典として知られる一段です。斉に国を破られた燕の昭王が、賢者を集めたいと郭隗(かくかい)に相談します。郭隗は、上に立つ者の振る舞いと、集まってくる人の質を、五段階で答えました。
へりくだって教えを受ける姿勢で仕えれば、自分より百倍優れた人が来る。
人より先に動いて後で休み、先に尋ねて後で黙るなら、自分より十倍優れた人が来る。
人が動けば自分も動く、という程度なら、自分と同じくらいの人が来る。
肘掛けにもたれ、横目で指図するなら、こき使われるだけの人が来る。
勝手気ままに怒鳴り散らせば、囚人のような人しか来ない。
有名な「死馬の骨を五百金で買う」話と「先ず隗より始めよ」は、このあとに続きます。まず手近な私を厚く遇しなさい、そうすれば私より優れた者が遠くからでもやってくる——。昭王がそのとおりにすると、楽毅(がっき)をはじめ各国から人材が集まりました。
この五段階は、採用の話であると同時に、定着の話でもあります。
自分より優れた人は、自分より優れた人が遇されている場所に来ます。そして同じ理由で、自分がその遇され方をされなくなった場所から去ります。 横目で指図するようになった上司のもとに残るのは、指図されることに慣れた人だけです。「優秀な人が辞めて、残るのは言われたことをやる人ばかりだ」という嘆きは、郭隗の四段目の説明そのものです。
郭隗の言い方の鋭さは、集まってくる人の質を、上の振る舞いの結果として書いているところにあります。人材の質は、採用市場のせいでも、世代のせいでもない。自分がどの段にいるかで決まる。
七、辞めた人の送り出し方を、残った人が見ている ― 三有礼
【書き下し】諫行われ言聽かれ、膏澤、民に下る。故有りて去れば、則ち君、人をして之を導きて疆を出でしめ、又其の往く所に先んず。去りて三年反らず。然る後に其の田里を収む。此を之れ三有禮と謂う。此くの如くなれば、則ち之が為に服す。今や臣と為りて、諫は則ち行われず、言は則ち聽かれず、膏澤は民に下らず。故有りて去らば、則ち君之を搏執し、又之を其の往く所に極む。去るの日、遂に其の田里を収む。此を之れ寇讎と謂う。寇讎には何の服か之れ有らん。」
最後は、冒頭の『孟子』の続きです。
宣王は孟子に尋ねます。礼には「元の主君のためにも喪に服する」とあるが、どうすれば、去った臣下にそこまでしてもらえるのか。
孟子の答えは、去っていく人の扱い方でした。
臣下の諫めが用いられ、言葉が聴かれ、恩恵が民に届いている。やむを得ない事情で去るときは、君主は人をつけて国境まで送り出し、行き先には先回りして推薦しておく。去って三年たっても戻らないときに、はじめてその土地を収める。 これを「三有礼(三つの礼がある)」という。そうであれば、去った臣も元の主君のために喪に服する。
ところが今はどうか。諫めは用いられず、言葉は聴かれない。去ろうとすれば捕らえ、行き先では妨害し、去ったその日に土地を取り上げる。 これを仇という。仇のために喪に服する者がいるだろうか。
『貞観政要』の魏徴も、同じ上奏のなかで子思(孔子の孫)の言葉を引いています。
【書き下し】古の君子は、人を進むるに礼を以てし、人を退くるに礼を以てす。故に旧君の為に反服するの礼有り。今の君子は、人を進むるに将に諸(これ)を膝に加えんとするが若く、人を退くるに将に諸を淵に隊(お)とさんとするが若し。
昔の君子は、人を進めるときも礼をもってし、退けるときも礼をもってした。 いまの君子は、進めるときは膝に抱き上げんばかりにかわいがり、退けるときは淵に突き落とさんばかりにする。
辞める人への態度は、辞める人のためだけのものではありません。残った人全員が、それを見ています。 退職を告げた途端に仕事を外す。送別会もなく、翌日から名前が出なくなる。辞めた人の悪口を言う。——残った優秀な人は、そこで学びます。「自分も、辞めるときはこう扱われるのだ」と。 そして、辞めるときには、何も告げずに、できるだけ早く、準備を整えてから出ていくようになります。
「急に辞められた」の出発点は、しばしば前の誰かの辞め方にあります。
七つのうち、どれを選ぶか
改めて並べます。
一、呼びつけている ——任命の中身より、任命のされ方を見られている。
二、優しいが、報いない ——印の角がすり減るまで、握っていないか。
三、手柄の大きさだけで見ている ——数字に出ない秦西巴を、見ているか。
四、疑っている ——少しずつ権限を削っていないか。
五、小さな不満を「欲深い」で片づけている ——歌っているうちに、聞いているか。
六、自分の振る舞いが、集まる人を決めている ——いま自分は、郭隗の何段目にいるか。
七、辞めた人の送り出し方を、残った人が見ている ——前の退職を、どう扱ったか。
繰り返しますが、全部やろうとしないでください。 読みながら、一つか二つ、思い当たる場面があったはずです。そこだけで十分です。
そして、もう一度確認しておきます。七つとも、辞めた人ではなく、辞められた側の行動です。 辞めた人を変えることは、もうできません。変えられるのは、次の人をどう扱うかだけです。
最後に ― 「人の衣を衣る者は、人の憂いを懐く」
【書き下し】漢王我を遇すること甚だ厚し、我を載するに其の車を以てし、我に衣するに其の衣を以てし、我に食せしむるに其の食を以てす。吾之を聞く、人の車に乗る者は人の患ひを載せ、人の衣を衣る者は人の憂ひを懐き、人の食を食む者は人の事に死す、と。吾豈に利に郷ひて義に倍く可けんや」と。
最後に、韓信の話に戻ります。
大将に任じられた韓信は連戦連勝し、斉の地を平定するころには、天下の帰趨を左右する立場になっていました。斉の弁士・蒯通(かいつう)が、劉邦から独立して天下を三分せよと説きます。韓信は断りました。
「漢王は私を厚く遇してくださった。ご自分の車に私を乗せ、ご自分の衣を私に着せ、ご自分の食事を私に食べさせてくださった。人の車に乗る者はその人の患いを載せ、人の衣を着る者はその人の憂いを抱き、人の食を食む者はその人のために死ぬ、と聞いている。どうして利に向かって義に背けようか」。
かつて劉邦のもとから逃げた男が、今度は天下を取れる誘いを断って残った。変わったのは、扱われ方でした。
ただし、この話には苦い結末があります。天下が定まったあと、韓信は謀反の疑いをかけられ、一族もろとも処刑されます。唐の趙蕤(ちょうずい)は『長短経』で、この一件をこう評しました。
【書き下し】韓信は漢王の遇すること厚きを以て其の徳に背かず。誠に憐れむに足るのみ。
韓信は、漢王の厚い遇し方に応えて、その徳に背かなかった。まことに哀れむべきである。
趙蕤は、この前に孟子の「手足と腹心」の一句を引いています。臣が君に報いる度合いは、君から受けた恩に応じて差がつく。それは昔からそうだ。 韓信は、その原則を最後まで守った。守らなかったのは、劉邦のほうでした。
優秀な人は、扱われ方で残ります。そして、残ってくれた人を最後までどう扱うかまでが、上に立つ側の仕事です。韓信の話は、その両方を一人の人生で見せています。
まとめ
「優秀な人が辞めていく」を七つに切り分けてきました。一つにまとめると、こうなります。
辞める理由は、辞める日にできたのではありません。
呼びつけた日、報いるのを先送りした日、疑って会議から外した日、小さな不満を聞き流した日、前の人を冷たく送り出した日。その一日一日に、少しずつできています。
古典が人の去就について書くとき、去っていく人を責める言葉は、ほとんど出てきません。 韓信が劉邦のもとから逃げたとき、蕭何が責めたのは韓信ではなく劉邦の礼のなさでした。范増が去ったとき、司馬遷が書いたのは項羽の疑いでした。孟子は、去った臣が喪に服さないのを、君主の扱いの結果として説明しています。
人が去るのは、たいてい、去る側の問題ではなく、去られる側の問題として書かれている。
厳しい見方です。ですが、これは希望でもあります。原因が自分の側にあるなら、直せるのも自分の側だけだからです。
この記事で引いた古典は、いずれも師導に全文を収録しています。
→ 史記の名句一覧 孟子の名句一覧 貞観政要の名句一覧 戦国策の名句一覧 淮南子の名句一覧
同じ「人」の悩みを扱った記事があります。
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