史記 / 淮陰侯列伝
韓信曰:『漢王遇我甚厚,載我以其車,衣我以其衣,食我以其食。吾聞之,乘人之車者載人之患,衣人之衣者懷人之憂,食人之食者死人之事,吾豈可以鄉利倍義乎!』蒯生曰:『足下自以爲善漢王,欲建萬世之業,臣竊以爲誤矣。始常山王、成安君爲布衣時,相與爲刎頸之交,後爭張黶、陳澤之事,二人相怨。常山王背項王,奉項嬰頭而竄,逃歸於漢王。漢王借兵而東下,殺成安君泜水之南,頭足異處,卒爲天下笑。此二人相與,天下至驩也。然而卒相禽者,何也?患生於多欲而人心難測也。今足下欲行忠信以交於漢王,必不能固於二君之相與也,而事多大於張黶、陳澤。故臣以爲足下必漢王之不危己,亦誤矣。大夫種、范蠡存亡越,霸句踐,立功成名而身死亡。野獸已盡而獵狗亨。夫以交友言之,則不如張耳之與成安君者也;以忠信言之,則不過大夫種、范蠡之於句踐也。此二人者,足以觀矣。願足下深慮之。且臣聞勇略震主者身危,而功蓋天下者不賞。
新字:韓信曰:『漢王遇我甚厚,載我以其車,衣我以其衣,食我以其食。吾聞之,乗人之車者載人之患,衣人之衣者懐人之憂,食人之食者死人之事,吾豈可以郷利倍義乎!』蒯生曰:『足下自以為善漢王,欲建万世之業,臣窃以為誤矣。始常山王、成安君為布衣時,相与為刎頸之交,後争張黶、陳沢之事,二人相怨。常山王背項王,奉項嬰頭而竄,逃帰於漢王。漢王借兵而東下,殺成安君泜水之南,頭足異処,卒為天下笑。此二人相与,天下至驩也。然而卒相禽者,何也?患生於多欲而人心難測也。今足下欲行忠信以交於漢王,必不能固於二君之相与也,而事多大於張黶、陳沢。故臣以為足下必漢王之不危己,亦誤矣。大夫種、范蠡存亡越,覇句践,立功成名而身死亡。野獣已尽而猟狗亨。夫以交友言之,則不如張耳之与成安君者也;以忠信言之,則不過大夫種、范蠡之於句践也。此二人者,足以観矣。願足下深慮之。且臣聞勇略震主者身危,而功蓋天下者不賞。
書き下し
韓信曰く、「漢王我を遇すること甚だ厚し。我を載するに其の車を以てし、我に衣するに其の衣を以てし、我に食はしむるに其の食を以てす。吾之を聞く、人の車に乗る者は人の患ひを載せ、人の衣を衣る者は人の憂ひを懐き、人の食を食ふ者は人の事に死すと。吾豈に以て利に郷ひて義に倍くべけんや」と。蒯生曰く、「足下自ら以て漢王に善しと為し、万世の業を建てんと欲す。臣窃かに以て誤れりと為す。始め常山王・成安君布衣たりし時、相与に刎頸の交はりを為す。後に張黶・陳沢の事を争ひ、二人相怨む。常山王項王に背き、項嬰の頭を奉じて竄れ、逃れて漢王に帰す。漢王兵を借して東に下り、成安君を泜水の南に殺し、頭足処を異にし、卒に天下の笑ひと為る。此の二人の相与するは、天下の至驩なり。然り而して卒に相禽にする者は、何ぞや。患ひは多欲に生じて人心測り難ければなり。今足下忠信を行ひて以て漢王に交はらんと欲するも、必ず二君の相与するより固きこと能はざるなり。而して事は張黶・陳沢より大なるもの多し。故に臣以為へらく、足下漢王の己を危ふくせざるを必とするも、亦誤れりと。大夫種・范蠡亡越を存し、句践を覇たらしめ、功を立て名を成して身死亡す。野獣已に尽きて猟狗亨らる。夫れ交友を以て之を言へば、則ち張耳の成安君に与するに如かざるなり。忠信を以て之を言へば、則ち大夫種・范蠡の句践に於けるに過ぎざるなり。此の二人の者は、以て観るに足る。願はくは足下深く之を慮れ。且つ臣聞く、勇略主を震はす者は身危ふく、而して功天下を蓋ふ者は賞せられずと。
現代語訳
韓信は言った。「漢王は私をこのうえなく厚く遇してくれた。自分の車に私を乗せ、自分の衣を私に着せ、自分の食べ物を私に食べさせてくれた。私はこう聞いている。人の車に乗る者はその人の患いを共に載せ、人の衣を着る者はその人の憂いを胸に抱き、人の食を食べる者はその人のために命を捨てる、と。どうして利に目がくらんで義に背けようか」。蒯生(蒯通)は言った。「あなたは自分では漢王と親しいと思い、万世に残る功業を立てようとしているが、私はひそかにそれは誤りだと思う。かつて常山王(張耳)と成安君(陳余)は、無位無官だったころ、互いに首をはねられても悔いない刎頸の交わりを結んだ。ところがのちに張黶・陳沢の一件で争い、二人は互いに恨むようになった。常山王は項王に背き、項嬰の首を持って逃げ隠れ、漢王のもとに身を寄せた。漢王は兵を貸して東へ下らせ、成安君を泜水の南で殺させ、首と足が別々になって、ついに天下の笑いものとなった。この二人の交わりは、天下で最も親密なものだった。それなのに最後には互いに相手を捕らえるに至ったのは、なぜか。禍いは欲の多さから生まれ、人の心は測りがたいからだ。いまあなたは忠と信を尽くして漢王と交わろうとしているが、この二人の交わりほど固くはなりえない。しかも両者のあいだの事柄は、張黶・陳沢の一件よりずっと大きなものが多い。だから、漢王が決して自分を危うくしないと信じているのも、また誤りだと思う。大夫種と范蠡は、滅びかけた越を存続させ、句践を覇者にし、功を立て名を成したが、その身は死に、あるいは逃亡した。獣を狩り尽くせば猟犬は煮られるのだ。交友で言えば、あなたと漢王は張耳と成安君の仲には及ばない。忠と信で言えば、大夫種・范蠡が句践に尽くした以上ではない。この二組の例は、十分に見るべき手本だ。どうか深く考えてほしい。しかも私はこう聞いている。勇気と知略が主君を震え上がらせる者はその身が危うく、功績が天下を覆う者は賞されない、と。
解説

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『長短経』懼戒韓信曰く「漢王の我を遇すること厚し。我を載するに其の車を以てし、我に衣するに其の衣を以てし、我に食わしむるに其の食を以てす。吾之を聞く、人の車に乗る者は人の患いを載せ、人の衣を衣る者は人の憂いを懐き、人の食を食う者は人の事に死す、と。吾豈に利に嚮かいて義に背くべけんや」と。蒯生曰く「足下自ら以為えらく漢王に善くして、万世の業を建てんと欲すと。臣竊かに以為えらく誤れり、と。始め常山王・成安君の布衣たりし時、相与に刎頸の交わりを為す。後に張黶・陳沢の事を争いて、二人相怨む。常山王は項嬰の頭を奉じて、鼠のごとく竄れて漢王に帰す。漢王兵を借りて東に下り、成安君を泜水の南に殺し、頭足処を異にし、卒に天下の笑いと為る。此の二人の相与するは、天下の至歓なり。然り而して卒に相擒にするは、何ぞや。患いは多欲に生じて、人心は測り難ければなり。
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『長短経』懼戒今、足下忠信を行いて以て漢王に交わらんと欲するも、必ず二君の相与するより固きこと能わず。而して事は張黶・陳沢より大なるもの多し。故に臣以為えらく、足下の漢王の己を危うくせざるを必とするも、亦た誤れり、と。大夫種・范蠡は、亡越を存し、勾践を伯たらしめ、功を立て名を成して身死亡す。諺に曰く『野獣尽きて猟狗烹られ、敵国破れて謀臣亡ぶ』と。夫れ交友を以て之を言えば、則ち張耳の成安君に与するに如かず。忠信を以て之を言えば、則ち大夫種の句践に於けるに過ぎず。此の二人の者は、以て観るに足る。願わくは足下深く之を慮れ。
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