史記 / 淮陰侯列伝
信數與蕭何語、何奇之。至南鄭、諸將行道亡者數十人。信度何等已數言上、上不我用、即亡。何聞信亡、自追之。上大怒、如失左右手。何來謁上、上罵何曰、若亡、何也。何曰、臣不敢亡也、臣追亡者。曰、韓信也。上復罵曰、諸將亡者以十數、公無所追、追信、詐也。何曰、諸將易得耳、至如信者、國士無雙。王必欲爭天下、非信無所與計事者。於是王欲召信拜之。何曰、王素慢無禮、今拜大將如呼小兒耳、此乃信所以去也。王必欲拜之、擇良日、齋戒、設壇場、具禮、乃可耳。至拜大將、乃韓信也、一軍皆驚。
新字:信数与蕭何語、何奇之。至南鄭、諸将行道亡者数十人。信度何等已数言上、上不我用、即亡。何聞信亡、自追之。上大怒、如失左右手。何来謁上、上罵何曰、若亡、何也。何曰、臣不敢亡也、臣追亡者。曰、韓信也。上復罵曰、諸将亡者以十数、公無所追、追信、詐也。何曰、諸将易得耳、至如信者、国士無双。王必欲争天下、非信無所与計事者。於是王欲召信拝之。何曰、王素慢無礼、今拝大将如呼小児耳、此乃信所以去也。王必欲拝之、択良日、斎戒、設壇場、具礼、乃可耳。至拝大将、乃韓信也、一軍皆驚。
書き下し
信数々蕭何と語り、何之を奇とす。南鄭に至り、諸将の道を行きて亡ぐる者数十人あり。信、何等の已に数々上に言ふも、上我を用ゐざるを度り、即ち亡ぐ。何、信の亡ぐるを聞き、自ら之を追ふ。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。何来たりて上に謁す。上、何を罵りて曰く、「若亡ぐ、何ぞや」と。何曰く、「臣敢て亡げざるなり、臣亡ぐる者を追ふ」と。曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者十を以て数ふ、公追ふ所無し、信を追ふは、詐なり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ、信の如きに至りては、国士無双なり。王必ず天下を争はんと欲せば、信に非ざれば与に事を計る所の者無し」と。是に於いて王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し、今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ、此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拝せんと欲せば、良日を択び、斎戒し、壇場を設け、礼を具へて、乃ち可なるのみ」と。大将を拝するに至り、乃ち韓信なり、一軍皆驚く。
現代語訳
「傑出した人材を見抜く目と、その人材にふさわしい礼をもって遇すること」の重要性を描いた、名高い「蕭何、月下に韓信を追う」と「国士無双」の一段です。韓信は、漢の陣営でも当初は認められず、失望して立ち去ろうとしました。多くの将が逃げ出す中、宰相・蕭何だけは、韓信の非凡さを見抜いており、韓信が去ったと聞くや、王に報告する間も惜しんで、自ら追いかけて連れ戻します。王(劉邦)は、蕭何まで逃げたと思って動揺し、戻ってきた蕭何を「なぜ逃げた」と罵りますが、蕭何は「逃げた韓信を追ったのです」と答える。王が「大勢の将が逃げても追わなかったのに、韓信一人を追うとは嘘だろう」と疑うと、蕭何は言い切ります。『諸将は代わりがいくらでもいます。しかし韓信ほどの人物は、国士無双(国に並ぶ者のない傑物)です。もし王が天下を狙うなら、韓信なしには、共に大計を練れる者はいません』と。この言葉で、王は韓信を大将軍に任命することを決めます。ここで蕭何は、さらに重要な助言をします。「王は普段から態度が横柄で礼を欠いておられる。大将軍の任命を、子供を呼びつけるように軽々しく行えば、韓信はまた去ってしまいます。任命するなら、吉日を選び、身を清め、壇を設け、正式な礼を尽くしてこそです」と。王はこれに従い、盛大な儀式で大将を任命しました。それが無名の韓信だと知って、全軍が驚いたのです。ここに、人材登用についての二つの深い教訓があります。第一に、傑出した人材を見抜く「目」の価値。多くの人が韓信を無名の一兵卒としか見なかった中で、蕭何だけがその「国士無双」の器を見抜いた。優れた人材は、その真価が周囲に見えにくいことが多く、それを見抜ける目利きの存在が、組織の運命を左右する。第二に、そして見抜くだけでなく、その人材にふさわしい「礼」をもって遇することの重要性。蕭何は、韓信を任命するなら、軽々しくではなく、最大限の礼を尽くすべきだと進言した。優れた人材は、地位や報酬だけでなく、「自分が真に重んじられている」という敬意によって、心をつかまれる。ぞんざいな扱いは、どんなに高い地位を与えても、人材を失う原因になる。組織で、傑出した人材を見抜く目を持つこと、そしてその人材を、地位だけでなく、ふさわしい敬意と礼をもって遇すること——「国士無双」の逸話は、人材登用の要諦を教えます。