『貞観政要(じょうがんせいよう)』は、「帝王学の教科書」と呼ばれてきた本です。

唐の二代皇帝・太宗(李世民)と、彼を支えた家臣たちとの問答を集めたもの。鎌倉時代には北条政子が和訳させたと伝わり、徳川家康は関ヶ原の七か月前にこの本を刊行しています。千年以上、日本の為政者と経営者の机の上にあった本です。

ただ、読んでみると、よくある「名君の成功物語」とは手触りが違います。

主役の太宗が、しょっちゅう叱られているのです。 贅沢をたしなめられ、人事を批判され、狩りに行くなと止められ、怒って家臣を斬ろうとして、皇后や皇太子に諫められる。家臣の魏徴(ぎちょう)にいたっては、在位十三年目の太宗に「即位したころと比べて、あなたはこの十の点で崩れてきている」という意見書を突きつけています。そしてその意見書が、本の最後の篇に、そのまま収められています。

つまり『貞観政要』は、名君がいかに優れていたかの記録ではありません。優れた人間が、放っておけば崩れていくことを知っていて、崩れないために何をしたか——そして、それでも少しずつ崩れていったこと——の記録です。

経営者に読まれてきた理由は、たぶんそこにあります。

この記事では、『貞観政要』の名言を十二句、白文(原文)・書き下し文・現代語訳と解説つきで読んでいきます。並べる順番は本そのものの順で、巻頭の君道篇から、巻末の慎終篇までです。

『貞観政要』とは何か ― 名君と、名君を叱る家臣の記録

先に、本の輪郭を押さえておきます。

太宗(たいそう)は唐の二代皇帝で、本名は李世民(りせいみん)。父の李淵とともに隋末の乱世を戦い抜き、唐を建てた実質的な創業者です。在位は六二六年から六四九年。この間の年号が「貞観(じょうがん)」で、後世「貞観の治」と呼ばれる安定した治世を築きました。

ただし、即位の経緯は穏やかではありません。六二六年、玄武門の変で皇太子だった兄・李建成と弟・李元吉を討ち、父から位を譲られています。家臣の魏徴は、もともとその兄・建成の側近でした。太宗は、かつての政敵の懐刀を、自分を叱る役に据えたわけです。

『貞観政要』をまとめたのは、太宗の死から半世紀あまり後の史官・呉兢(ごきょう)です。全十巻四十篇。君主の道、人の選び方、諫言の聞き方、倹約、刑罰、後継者の教育などを、テーマごとに問答として並べています。「政要」とは、政治の要点という意味です。

日本での読まれ方も長い歴史があります。鎌倉時代、北条政子が学者の菅原為長に和訳させたと伝わり、江戸時代には徳川家康が慶長五年(一六〇〇)、伏見版として刊行しました。関ヶ原の戦いの七か月前です(家康と『貞観政要』の関係は徳川家康の愛読書で詳しく書いています)。

では、中身に入ります。

一、「股を割きて腹に啖わす」 ― 巻頭の一句

【白文】為君之道,必須先存百姓,若損百姓以奉其身,猶割股以啖腹,腹飽而身斃。若安天下,必須先正其身,未有身正而影曲,上治而下亂者。
【書き下し】君為(た)るの道は、必ず須(すべか)らく先ず百姓を存すべし。若し百姓を損じて以て其の身に奉ぜば、猶お股を割きて以て腹に啖(くら)わすがごとし。腹飽きて身斃(たお)る。若し天下を安んぜんとせば、必ず須らく先ず其の身を正すべし。未だ身正しくして影曲がり、上治まりて下乱るる者は有らず。

『貞観政要』の、いちばん最初の段です。

太宗は言います。君主の道は、まず民を生かすことだ。民を損なって自分の身を養うのは、自分の股の肉を切り取って、自分の腹に食わせるようなものだ。腹はふくれるが、体は倒れる。

たとえが強烈です。股の肉も腹も、同じ一つの体です。取る側と取られる側が別人ではない。民から搾り取ることは、他人から奪うことではなく、自分の体を食べることだ、と言っています。

会社に置き換えると、分かりやすくなります。現場の人員を削って利益を出す。取引先を叩いて原価を下げる。決算の数字は良くなります。腹はふくれる。 ですが、削った現場も、叩いた取引先も、同じ事業という一つの体の一部です。数年後に、立てなくなる。

そして太宗は、話を自分の側に戻します。身が正しいのに影が曲がることはない。上が治まっているのに下が乱れることはない。

組織が乱れているとき、原因を探す目は、たいてい下に向きます。太宗は、最初の段で、その目の向きを逆にしました。影が曲がっているなら、見るべきは影ではなく体だ。

さらにこの段で、太宗は自分を損なうものは外にはなく、すべて自分の欲から来ると言っています。『貞観政要』全体を貫く主題——敵は外ではなく自分の内側にいる——が、巻頭で先に宣言されているわけです。

出典:貞観政要 君道

二、「兼ね聴けば明、偏り信ずれば暗」 ― 名君と暗君を分けるもの

【白文】君之所以明者,兼聽也;其所以暗者,偏信也。……是故人君兼聽納下,則貴臣不得壅蔽,而下情必得上通也。
【書き下し】君の明なる所以の者は、兼ね聴けばなり。其の暗なる所以の者は、偏り信ずればなり。……是の故に人君は兼ね聴き下を納るれば、則ち貴臣も壅蔽(ようへい)するを得ずして、下情は必ず上に通ずるを得るなり

『貞観政要』で、おそらくいちばん有名な一句です。

太宗が魏徴に尋ねます。明君と暗君は、何が違うのか。

魏徴の答えは、驚くほど短い。明君は、兼ね聴く。暗君は、偏り信じる。

頭の良し悪しでも、人格の優劣でもありません。情報の取り方の違いだ、と言っています。

そして魏徴は、暗君の例を三つ挙げます。秦の二世皇帝は宦官の趙高だけを信じ、天下が崩れても知らなかった。梁の武帝は朱異だけを信じ、反乱軍が宮門に迫っても知らなかった。隋の煬帝は虞世基だけを信じ、賊が城を攻めても知らなかった。

三人とも、国が滅びかけているその最中に、それを知らなかった。 愚かだったからではありません。一人の側近を経由してしか、情報が入ってこなかったからです。

結論の一文が鋭い。兼ね聴けば、重臣でさえ耳目を塞ぐことはできない。

裏返せば、君主の耳目を塞ぐのは、たいていいちばん信頼されている重臣だということです。敵は情報を遮断できません。遮断できるのは、君主のすぐそばにいて、すべての報告を取りまとめている人だけです。

社長に上がる情報が、すべて一人の役員を通っている会社があります。その役員が有能で、忠実であるほど、その経路は太くなり、ほかの経路は細くなる。悪意は要りません。 良かれと思って「社長に上げるまでもない話」を整理しているうちに、社長は現場を知らなくなります。

処方は魏徴が言っています。下を納れる。 取りまとめ役を通さない経路を、意図して持つことです。

出典:貞観政要 君道

三、「草創と守成と孰れか難き」 ― 創業と守成

【白文】帝王之業,草創與守成孰難?……以斯而言,守成則難。……今草創之難,既已往矣,守成之難者,當思與公等慎之。
【書き下し】帝王の業、草創と守成と孰(いず)れか難き……斯(これ)を以て言えば、守成は則ち難し……今、草創の難きは、既已に往けり。守成の難き者は、当に公等と与に之を慎むことを思うべし

「創業は易く守成は難し」という言葉の出典です。

もっとも、原文はそう単純な話ではありません。太宗が家臣に尋ねます。事業を興すのと、守るのと、どちらが難しいか。

房玄齢(ぼうげんれい)は、創業が難しいと答えました。群雄が争う中、攻め、戦い、勝たねば何も始まらない。

魏徴は、守成が難しいと答えました。興すときは、前の王朝が腐っているから民が喜んで推してくれる。難しくない。ところが手に入れたあとは、志が驕り、民が休みたいのに労役をやめず、民が疲れても贅沢をやめない。国が衰えるのは、いつもここからだ。

面白いのは、太宗の裁き方です。どちらが正しいとは言いません。房玄齢は私と天下を取った。だから創業の難しさを見ている。魏徴は私と天下を治めている。だから守成の難しさを見ている。

答えが分かれた理由を、答えた人の経験で説明しています。どちらも、自分が立っていた場所から正しく見ている。

そのうえで太宗は、こう締めます。創業の難しさは、もう過ぎた。これからは守成の難しさを、諸君とともに慎もう。

問いの答えを出したのではなく、いま自分たちがどちらの局面にいるかを確認したわけです。

事業には、局面があります。立ち上げの時期に必要な人と、軌道に乗ってから必要な人は違う。創業期の功労者の目で守成期を見ると、「最近の連中は苦労を知らない」になり、守成期の目で創業期を見ると、「あの人たちは乱暴だ」になります。 太宗は、その両方を自分の左右に置いていました。

この問いは、事業を次の代に渡す場面で、いちばん切実になります。その話は後継者をどう決めるかで、太宗自身の失敗と合わせて書きました。

出典:貞観政要 君道

四、「十思」 ― 欲しくなったときに、思い出すべき十のこと

【白文】君人者,誠能見可欲,則思知足以自戒;將有作,則思知止以安人;……憂懈怠,則思慎始而敬終;慮壅蔽,則思虛心以納下;……恩所加,則思無因喜以謬賞;罰所及,則思無因怒而濫刑。
【書き下し】君人(くんじん)たる者、誠に能く可欲を見れば、則ち足るを知りて以て自ら戒むるを思う。将に作すこと有らんとせば、則ち止まるを知りて以て人を安んずるを思う。……懈怠を憂うれば、則ち始めを慎みて終わりを敬するを思う。壅蔽を慮れば、則ち心を虚しくして以て下を納るるを思う。……恩の加うる所には、則ち喜びに因りて謬(あやま)り賞する無きを思う。罰の及ぶ所には、則ち怒りに因りて濫りに刑する無きを思う。

魏徴が太宗に奉った意見書の核心部分で、「十思(じっし)」と呼ばれます。

構造を見てください。十項目すべてが、「〜のときには、〜を思え」という形をしています。

欲しいものを見たら、足るを知ることを思え。
何かを始めようとしたら、止まることを知ることを思え。
怠けそうになったら、始めを慎み終わりを敬うことを思え。
耳目が塞がれそうだと感じたら、心を虚しくして下の意見を納れることを思え。
賞を与えるときは、喜びに任せて誤っていないかを思え。
罰を下すときは、怒りに任せていないかを思え。

「足るを知れ」「謙虚であれ」と、徳目を並べているのではありません。徳目が崩れる瞬間を特定して、その瞬間に思い出すべきことを対にしている。引き金と対処の組み合わせです。

これは、とても実務的な書き方です。「謙虚であれ」と言われても、人はいつ謙虚でなくなったか自分では気づけません。ですが「賞を出すとき」「罰を出すとき」は、はっきり分かる。そこに確認を一つ挟めばいい。

最後の二つ、賞罰の項目は、特に今の職場でそのまま使えます。機嫌のいい日の評価は甘く、機嫌の悪い日の叱責は重くなる。 魏徴はそれを「喜びに因りて」「怒りに因りて」と、感情の名前で名指ししています。

そして魏徴は、十思を守れば、有能な者に任せて、君主は手を組んで座っていても天下は治まると続けます。その後に置かれた一文が痛烈です。どうして、精神をすり減らし、下の者に代わって職務を執り、聡明な耳目を酷使する必要があるのか。

部下の仕事を巻き取って疲れ果てている上司に、千四百年前に書かれた一文です。なお、一つ目の「足るを知る」は『老子』に由来する言葉です(足るを知るとは)。

出典:貞観政要 君道

五、「国を治むるは病を養うが如し」 ― 良くなりかけたときがいちばん危ない

【白文】治國與養病無異也。病人覺愈,彌須將護,若有觸犯,必至殞命。治國亦然,天下稍安,尤須兢慎,若便驕逸,必至喪敗。
【書き下し】国を治むるは病を養うと異なる無きなり。病人癒ゆるを覚ゆれば、弥(いよい)よ須らく将護すべし。若し触犯する有らば、必ず殞命(いんめい)に至る。国を治むるも亦た然り。天下稍(やや)安ければ、尤も須らく兢慎(きょうしん)すべし。若し便ち驕逸せば、必ず喪敗に至らん。

太宗自身の言葉です。

国を治めるのは、病気を養生するのと同じだ。病人は、治ってきたと感じたときこそ、いっそう用心しなければならない。そこで無理をすれば、命を落とす。

誰にでも覚えのある話です。熱が下がった翌日に出社して、ぶり返す。怪我が治りかけたところで走って、もっと悪くする。いちばん危ないのは、いちばん悪いときではなく、良くなったと感じたときです。

太宗は、それを国に当てはめます。天下がやや安らかになったときこそ、いっそう慎め。

「やや(稍)」という一字が効いています。完全に治ったときではない。少し良くなった、と感じた段階を、いちばん警戒すべき時期として指定しています。

事業でも同じことが起きます。赤字を脱した翌期。大口の契約が取れた直後。資金調達が済んだ月。ほっとした瞬間に、固定費が増え、採用が緩み、新規事業に手が伸びる。 病人が「もう大丈夫だろう」と外に出るのと、構造がまったく同じです。

この段にはもう一つ、見落とされやすい言葉があります。太宗は、自分は日に日に慎むと言ったあとで、「しかし耳目と手足は諸君に託している。事に不安があれば、隠さずに言え。君臣が互いに疑えば、腹を割って話せない。それこそ国の大害だ」と続けています。

病人は、自分の顔色が見えません。 だから周りの人に言ってもらうしかない。太宗は、慎むための仕組みを、自分の意志ではなく家臣の口に置いていました。

出典:貞観政要 政体

六、「君は舟なり、人は水なり」 ― 載せる水が、覆す

【白文】自古失國之主,皆為居安忘危,處理忘亂,所以不能長久。……臣又聞古語云:『君,舟也;人,水也。水能載舟,亦能覆舟。』
【書き下し】古より国を失うの主は、皆な安きに居りて危うきを忘れ、理に処りて乱を忘るるが為なり。所以に長久なる能わず。……臣又た聞く、古語に云く、『君は、舟なり。人は、水なり。水は能く舟を載せ、亦た能く舟を覆す』と。

君主は舟であり、民は水である。水は舟を浮かべることもできるが、舟をひっくり返すこともできる。

これも『貞観政要』を代表する一句です。そして、先ほどの「病を養う」と同じことを、別の角度から言っています。魏徴は前置きとして、国を失った君主はみな、安らかなときに危うさを忘れ、治まっているときに乱れを忘れた、と言っています。

この比喩の優れているところは、水が一種類しかないことです。

舟を浮かべる水と、舟を沈める水は、別の水ではありません。同じ水です。支えてくれている力と、自分を倒す力が、同じものだと言っています。

経営で言えば、会社を支えている社員と顧客こそが、会社を潰す力を持っているということです。反乱を起こすのは敵ではなく、昨日まで舟を浮かべていた水です。

ところで、魏徴はこの言葉を「古語に云く」と紹介しています。つまり、魏徴のオリジナルではありません。

出どころを遡ると、『荀子』王制篇に行き着きます。

【書き下し】伝に曰く、君は舟なり、庶人は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆すと。

しかも荀子自身も「伝に曰く」と書いています。荀子の時点で、すでに古くから伝わる言葉だったのです。荀子はこの句の直前に、馬が驚いて暴れれば君子は車の上で安心できない。民が政治に驚けば君子は位に安んじられない、と書き、処方として、賢者を選び、孤児や寡婦を養い、貧しい者を補え、と続けています。

戦国時代の言葉が、唐の宮廷で引かれ、さらに太宗は同じ言葉を自分の皇太子に教えています(その場面は後継者をどう決めるかで)。千年かけて受け渡された比喩です。

出典:貞観政要 政体荀子 王制篇

七、「人自ら照らさんと欲せば、必ず明鏡を須う」 ― 怖い上司がしたこと

【白文】太宗威容儼肅,百僚進見者,皆失其舉措。太宗知其若此,每見人奏事,必假顏色,冀聞諫諍,知政教得失。……人欲自照,必須明鏡;主欲知過,必藉忠臣。主若自賢,臣不匡正,欲不危敗,豈可得乎?
【書き下し】太宗の威容は儼粛(げんしゅく)なり。百僚の進見する者、皆な其の挙措を失う。太宗其の此くの若きを知り、人の事を奏するを見る毎に、必ず顔色を假(か)し、諫諍を聞き、政教の得失を知らんことを冀(こいねが)う。……人自ら照らさんと欲せば、必ず明鏡を須(もち)う。主過ちを知らんと欲せば、必ず忠臣に藉(よ)る。主若し自ら賢とし、臣匡正せずんば、危敗せざらんと欲するも、豈に得べけんや。

人が自分の姿を映そうとすれば、澄んだ鏡が要る。君主が自分の過ちを知ろうとすれば、忠臣が要る。

名言そのものより、実はその前に置かれた一文のほうが大事です。

太宗は、見た目が怖かった。 威厳があって厳めしく、参上する官僚たちはみな、緊張して挙動がおかしくなった。

太宗は、それに気づいていました。そして、人が報告に来るたびに、必ず表情を和らげた。 諫言を聞きたかったからです。

これは、上に立つ人がいちばん見落とすことかもしれません。自分が怖がられていることは、自分からは見えません。 本人は普通に話を聞いているつもりでいる。ですが部下の側は、言葉を選び、悪い報告を後回しにし、結論を丸めて持ってくる。

太宗は、その構造を自覚していました。自分の顔そのものが、情報を止める壁になっている。だから、意図して顔を緩めた。性格を変えたのではなく、振る舞いを変えた。

なお、鏡の名言としては、魏徴が亡くなったときの太宗の言葉——「銅を鏡にすれば衣冠を正せる。古を鏡にすれば興亡が分かる。人を鏡にすれば得失が明らかになる。魏徴が死んで、私は鏡を一つ失った」——のほうがよく知られています。これは『貞観政要』任賢篇の、魏徴の伝記の最後に置かれた言葉です(任賢篇 魏徴)。太宗はこのあと、「魏徴が死んでから、私の過ちを指摘する者がいない。だが私が急に正しくなったはずはない」という詔を出しています。鏡を失ったあとの沈黙を、自分の正しさと取り違えなかったわけです。

出典:貞観政要 求諫

八、「相与に緘黙し、俯仰して日を過ごす」 ― 部下が黙る三つの理由

【白文】懦弱之人,懷忠直而不能言;疏遠之人,恐不信而不得言;懷祿之人,慮不便身而不敢言。所以相與緘默,俯仰過日。
【書き下し】懦弱(だじゃく)の人は、忠直を懐きて言う能わず。疎遠の人は、信ぜられざるを恐れて言うを得ず。禄を懐(おも)うの人は、身に不便なるを慮りて敢えて言わず。所以に相与に緘黙(かんもく)し、俯仰して日を過ごす

表情を和らげてまで諫言を求めた太宗ですが、在位十五年目、魏徴にこう尋ねています。「近ごろ、朝臣たちがまったく政事を論じない。なぜだ」。

言っていいと言っているのに、誰も言わない。 どの職場でも起きることです。

魏徴は、黙る人を三種類に分けました。

気の弱い人は、思いはあるが、口に出せない。
疎遠な人は、信用されていないのを恐れて、言えない。
禄を惜しむ人は、自分の身に不利になるのを恐れて、あえて言わない。

言えない(不能言)、言う立場にない(不得言)、あえて言わない(不敢言)。 動詞の使い分けが精密です。同じ「黙っている」でも、原因がまったく違う。

そして、原因が違えば、対処も違います。

気の弱い人には、言いやすい場を作る。一対一で聞く、文書で出させる。
疎遠な人には、信頼の手順を踏む。いきなり本音は出てこない。
禄を惜しむ人には、言っても損をしないという実績を見せる。これがいちばん時間がかかります。

魏徴はさらに、その前に古人の言葉を引いています。「まだ信頼されていないのに諫めれば、悪口だと思われる。信頼されているのに諫めなければ、給料泥棒だ」。 言う側から見れば、どちらに転んでも損をする。

太宗の答えも誠実です。臣下が諫めるのは、煮え立つ釜に飛び込み、白刃に向かっていくのと同じだ。 言わない家臣を責めるのではなく、言うことがどれほど怖いかを認めた。

「うちの社員は意見を言わない」と感じたら、まず三つのどれかを見分けることからです。三つ全部に「もっと発言してほしい」と呼びかけても、効くのはせいぜい一つ目だけです。

出典:貞観政要 求諫

九、「方円は器に在り、水に在らず」 ― 上が好むものに、下は染まる

【白文】君猶器也,人猶水也,方圓在於器,不在於水。……故堯、舜率天下以仁,而人從之;桀、紂率天下以暴,而人從之。下之所行,皆從上之所好。
【書き下し】君は猶お器のごときなり。人は猶お水のごときなり。方円は器に在り、水に在らず……故に堯・舜は天下を率いるに仁を以てす。而して人之に従う。桀・紂は天下を率いるに暴を以てす。而して人之に従う。下の行う所は、皆な上の好む所に従う。

こちらは水と器のたとえです。

君主は器、民は水。水が四角くなるか丸くなるかは、器で決まる。水で決まるのではない。

堯や舜が仁で率いれば、民は仁に従った。桀や紂が暴虐で率いれば、民は暴虐に従った。下の行うことは、すべて上の好むことに従う。

この段が収められているのは「慎所好(しんしょこう)」、つまり「好むところを慎む」という篇です。命令ではなく、好みです。上が何を命じたかではなく、上が何を好んでいるか。組織の形は、そちらで決まると言っています。

太宗が挙げた実例が、たいへん具体的です。梁の武帝は仏教を好み、寺に通っては自ら経典を講じた。百官も高い冠と靴で車に乗り、一日中「苦」や「空」を論じて、軍事や国政を気にかけなかった。反乱軍が攻めてきたとき、役人の多くは馬に乗れず、歩いて逃げて、道に死体が続いた。

仏教が悪いと言っているのではありません。上が一つのことを好むと、下はそれ一色になり、ほかの能力が抜け落ちる、という話です。

社長がゴルフを好めば、幹部はゴルフがうまくなります。社長が資料の体裁を好めば、社内の資料はきれいになります。その分、何かが削られている。 社長が数字を好めば数字の報告は速くなり、数字にならない話は上がってこなくなります。

「方円は器に在り」。水の形がおかしいと思ったら、器の形を見る。一の「身正しくして影曲がる者は有らず」と、同じ場所を指しています。

出典:貞観政要 慎所好

十、「一言を出さんと欲すれば」 ― トップの一言の重さ

【白文】朕每日坐朝,欲出一言,即思此一言於百姓有利益否,所以不敢多言。……君舉必書,言存左史。
【書き下し】朕は毎日、朝に坐す。一言を出さんと欲すれば、即ち此の一言、百姓に利益有るや否やを思う。多く言うを敢えてせざる所以なり……君の挙は必ず書せられ、言は左史に存す。

私は毎日朝廷に座る。一言を発しようとするたびに、この一言が民の利益になるかどうかを考える。だから多くを語らない。

太宗の言葉に対して、記録係を兼ねていた家臣・杜正倫(とせいりん)が応じます。「君主の行いは必ず書き記され、言葉は史官の記録に残ります」。

そしてこう続けました。陛下の一言が道理に外れれば、今の民を損なうだけでなく、千年にわたって陛下の徳を傷つけます。 太宗は大いに喜んで、褒美を与えています。

言葉を慎むことの理由を、二つの時間軸で言っているのが面白いところです。太宗は「今の民に利益があるか」を考えた。杜正倫は「千年後にどう読まれるか」を付け加えた。

千年後に読まれる——実際、私たちはいまこうして読んでいます。杜正倫の言ったことは、文字どおり実現しました。

トップの発言は、本人が思うより遠くまで届き、長く残ります。会議での思いつきの一言が、翌週には「社長の方針」として現場に降りている。 冗談のつもりの一言が、何年も語り継がれる。

太宗の処方は単純で、多くを語らないことでした。発言の数を減らせば、一つひとつを検討できる。しゃべる量と、検討できる量は反比例します。

出典:貞観政要 慎言語

十一、「明珠を以て雀を弾つ」 ― 不正は損な取引だ

【白文】人有明珠,莫不貴重。若以彈雀,豈非可惜?況人之性命甚於明珠,見金錢財帛不懼刑網,徑即受納,乃是不惜性命。
【書き下し】人に明珠有らば、貴重せざる莫し。若し以て雀を弾(う)たば、豈に惜しむべきに非ずや。況んや人の性命は明珠より甚だし。金銭財帛を見て刑網を懼れず、径(ただ)ちに即ち受納するは、乃ち是れ性命を惜しまざるなり。

立派な真珠を持っていれば、誰でも大切にする。その真珠を弾にして雀を撃ったら、もったいないではないか。人の命は真珠よりずっと重い。それなのに金銭を見て、罰を恐れずに賄賂を受け取る。命を惜しまないということだ。

家臣の汚職を戒める言葉ですが、説教の仕方に特徴があります。

太宗は「賄賂は悪だ」とは言っていません。「損だ」と言っています。 真珠で雀を撃つのは、悪いことではなく、割に合わないことです。

そして続けます。忠実に働いて国に益があれば、官職も爵位もすぐに来る。 それを待てずに目の前の財物に手を出し、発覚すれば身を滅ぼす。実に笑うべきことだ。

道徳ではなく、計算で説得しているわけです。正直に働いたほうが、結局は得をする。不正は、真珠で雀を撃つような、大きなものを小さなものと交換する取引だ、と。

これは、コンプライアンス研修の組み立てとして、今でもそのまま通用します。「不正はいけません」は、聞き流されます。「その数十万円のために、あなたは何を差し出しているのか」のほうが、届きます。

そして太宗は、最後に矛先を自分に向けます。「帝王もまた同じだ」。 欲に任せ、労役に節度がなく、小人を信じ、忠臣を遠ざける——一つでもあれば滅びる。家臣の汚職を叱る話で終わらせず、自分の贅沢も同じ計算に乗せているのが、『貞観政要』らしいところです。

出典:貞観政要 貪鄙

十二、「傲りは長ずべからず」 ― 名君が崩れていく記録

【白文】「傲不可長,欲不可縱,樂不可極,志不可滿。」四者,前王所以致福,通賢以為深誡。陛下貞觀之初,孜孜不怠,屈己從人,恒若不足。頃年以來,微有矜放,恃功業之大,意蔑前王,負聖智之明,心輕當代,此傲之長也。
【書き下し】「傲は長ずべからず。欲は縦にすべからず。楽は極むべからず。志は満たすべからず」と。四者は、前王の福を致す所以にして、通賢は以て深き誡と為す。陛下は貞観の初め、孜孜として怠らず、己を屈して人に従い、恒に足らざるが若し。頃年より以来、微しく矜放有り。功業の大なるを恃み、意は前王を蔑(なみ)す。聖智の明を負い、心は当代を軽んず。此れ傲の長ずるなり。

最後に、冒頭で触れた意見書の一節を置きます。

傲りは伸ばしてはならない。欲はほしいままにしてはならない。楽しみは極めてはならない。志は満たしてはならない。

この四つの戒めは、もとは『礼記』曲礼篇にある言葉です。魏徴はこれを掲げたうえで、太宗がいま、四つとも破りかけていると、一つずつ具体的に指摘しました。

傲り——貞観の初め、陛下は努めて怠らず、自分を曲げて人に従い、いつも足りないかのようだった。ところが近年、功業の大きさを恃み、昔の王を見下し、自分の聡明さを頼んで、今の人々を軽んじている。

——したいことは全部通す。諫めに従っても、結局は未練が残っている。

楽しみ——遊びに心が向き、飽きることがない。

——国中が安らかなのに、なお遠方に兵を出そうとしている。

そして、とどめの一文。親しい者は意に阿って言わず、疎遠な者は威を恐れて諫めない。

これは貞観十三年(六三九)、魏徴が奉った長大な意見書の一部で、太宗が即位のころから崩れてきた点を十か条にわたって列挙したものです。この段は、その九番目にあたります。

名君の記録の、最後の篇に、名君が崩れていく診断書が載っている。 私が『貞観政要』をいちばん信用できる本だと思うのは、この点です。成功した人の伝記は、たいてい晩年を美しく描きます。この本は、そうしませんでした。

太宗はこの意見書を読んで、魏徴にこう言っています。「繰り返し読んだ。言葉は強く、理はまっすぐだ。屏風に貼り連ねて、朝夕に仰ぎ見ている。史官にも渡した。千年の後に、君臣の義を知ってほしいからだ」慎終篇)。十の「一言を出さんと欲すれば」で杜正倫が言った「千年」を、太宗はここで自分から選んでいます。

それでも晩年、太宗は高句麗遠征に踏み切り、失敗しています。 魏徴が「志は満たすべからず」で止めようとしていたのは、まさにそれでした。

分かっていても、崩れる。 だからこそ、崩れていくことを指摘してくれる人を、そばに置いておくしかない。十二句を通して『貞観政要』が言っているのは、結局そのことだと思います。

出典:貞観政要 慎終

十二句を並べ直す

最後に、十二句を並べ直しておきます。

一、股を割きて腹に啖わす ——民から取ることは、自分の体を食べることだ。
二、兼ね聴けば明、偏り信ずれば暗 ——耳目を塞ぐのは、いちばん信頼する重臣だ。
三、草創と守成と孰れか難き ——いま自分たちがどちらの局面にいるか。
四、十思 ——徳目ではなく、徳目が崩れる瞬間を押さえる。
五、国を治むるは病を養うが如し ——少し良くなったときが、いちばん危ない。
六、君は舟、人は水 ——支える力と倒す力は、同じ水だ。
七、必ず明鏡を須う ——自分が怖がられていることは、自分からは見えない。
八、相与に緘黙す ——黙る理由は三つあり、対処も三つ違う。
九、方円は器に在り ——組織の形は、上の好みで決まる。
十、一言を出さんと欲すれば ——トップの言葉は、千年残る。
十一、明珠を以て雀を弾つ ——不正は、割に合わない取引だ。
十二、傲りは長ずべからず ——分かっていても、崩れる。

並べてみると、十二句のうち半分以上が、上に立つ人の目と耳の話だと気づきます。兼ね聴く、鏡を持つ、黙る理由を見分ける、自分の顔が壁になっていないか。

『貞観政要』は、太宗がいかに賢かったかを書いた本ではありません。賢い人間でも、上に立てば見えなくなる。だから見えるようにしておく仕組みが要る——その仕組みを、太宗と家臣たちが二十三年かけて試し続けた記録です。

そして、その仕組みは完全ではありませんでした。太宗は晩年に崩れ、後継者選びにも苦しみます。それを隠さずに書き残したところに、この本が千年以上読まれてきた理由があるのだと思います。


この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・書き下し文・現代語訳と解説つきで収録しています。『貞観政要』は四十篇を通して読めます。

貞観政要の名句一覧 荀子の名句一覧

関連する記事もあります。

後継者をどう決めるか ― 名君・唐の太宗が失敗した事業承継を、『貞観政要』で読む
徳川家康の愛読書 ― 名言「人の一生は重荷を負うて」の真偽と、家康が刷った本
部下が育たないと感じたら ― 原因を七つに切り分ける、東洋古典の処方箋
重職心得箇条(佐藤一斎)全十七条の原文・現代語訳と解説 — 幹部の心得