『史記(しき)』は、中国で最初の本格的な通史です。

伝説の黄帝から、書いた本人が生きていた前漢の武帝の時代まで、およそ二千数百年。全百三十篇、五十二万字あまり。「四面楚歌」「背水の陣」「鶏口牛後」「完璧」「刎頸の交わり」——いま日本語として使っている故事成語の、驚くほど多くがこの本から出ています。

書いたのは司馬遷(しばせん)。漢の朝廷で天文と記録をつかさどる太史令の家に生まれ、父・司馬談の遺言を受けて、この歴史書に取りかかりました。

ところが執筆の途中、司馬遷は大きな災難に遭います。匈奴に降伏した将軍・李陵をかばったことで武帝の怒りを買い、宮刑(去勢の刑)を受けたのです。当時の男子にとって、死刑よりも恥とされた刑でした。司馬遷は死を選ばず、生きて、この本を書き上げました。

『史記』の新しさは、人物を軸に歴史を書いたことにあります。「紀伝体(きでんたい)」と呼ばれる形式で、以後の中国の正史はすべてこれに倣いました。構成は大きく五つに分かれます。

  • 本紀(ほんぎ):帝王の記録。十二篇。
  • 表(ひょう):年表。十篇。
  • 書(しょ):制度や経済の記録。八篇。
  • 世家(せいか):諸侯の家の記録。三十篇。
  • 列伝(れつでん):さまざまな人物の伝記。七十篇。最後の一篇「太史公自序」は、司馬遷自身のあとがきです。

列伝には、名臣や将軍だけでなく、刺客、商人、占い師、道化まで登場します。勝った人だけでなく、負けた人、報われなかった人を、同じ熱量で書いている。 経営者に『史記』が読まれてきたのは、人がどこで伸び、どこでつまずくかが、二千年前の実例でそのまま並んでいるからでしょう。

この記事では、『史記』の名言を十二句、白文(原文)・書き下し文・現代語訳と解説つきで読んでいきます。並べる順番は本の順で、本紀から世家、列伝、そして太史公自序までです。

一、天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるなり ― 負けを天のせいにした英雄

最初は、項羽です。秦を倒した楚の覇王で、劉邦と天下を争って敗れました。垓下で包囲され、わずかな騎兵とともに逃れた最期の場面で、項羽はこう言います。

【白文】吾起兵至今八歲矣,身七十餘戰,所當者破,所擊者服,未嘗敗北,遂霸有天下。然今卒困於此,此天之亡我,非戰之罪也。
【書き下し】吾兵を起こして今に至るまで八歳、身七十餘戦、当たる所の者は破れ、撃つ所の者は服し、未だ嘗て敗北せず、遂に霸として天下を有つ。然れども今卒に此に困しむ、此れ天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるなり。

挙兵して八年、七十余戦して、一度も負けたことがない。それがいま、ここに追い詰められた。これは天が私を滅ぼすのであって、戦い方が悪かったのではない。

項羽はこのあと、「それを証明してみせる」と言って三度の突撃を成功させ、最後は自ら首をはねて死にます。壮絶な場面です。

しかし司馬遷は、項羽本紀の末尾に置いた自分の評で、この言葉をはっきり批判しています。

【書き下し】功伐を自矜し、其の私智を奮ひて古を師とせず、霸王の業と謂ひ、力征を以て天下を経営せんと欲す。五年卒に其の国を亡ぼし、身東城に死して、尚ほ覚寤せずして自ら責めず、過てり。乃ち「天我を亡ぼす、用兵の罪に非ざるなり」と引く、豈に謬らずや。

自分の功を誇り、自分の智恵を振るっていにしえに学ばず、力で天下を治めようとした。五年で国を滅ぼし、東城で死んでなお目が覚めず、自分を責めなかった。そのうえ「天が私を滅ぼすのであって、用兵の罪ではない」と言った。まちがっているではないか。

七十戦して一度も負けなかった人は、最後の一敗を、自分の責任として受け取れませんでした。連戦連勝の経営者ほど、初めての大きな失敗を「市場のせい」「運のせい」にしやすい。司馬遷は、それを英雄の最期の言葉で見せています。

出典:史記 項羽本紀史記 項羽本紀

二、吾、子房に如かず ― 自分より優れた三人を使う

項羽を破って漢を建てた劉邦(高祖)は、天下統一のあと、宴席で家臣たちに尋ねました。私が天下を取れたのはなぜか。項羽が失ったのはなぜか。

家臣の答えは、「陛下は功を立てた者に土地を与え、天下と利を分けた。項羽は賢者を妬み、功のある者を害した」というものでした。劉邦は、それは一面にすぎないと言って、こう続けます。

【白文】夫運籌策帷帳之中,決勝於千里之外,吾不如子房。鎮國家,撫百姓,給餽馕,不絕糧道,吾不如蕭何。連百萬之軍,戰必勝,攻必取,吾不如韓信。此三者,皆人傑也,吾能用之,此吾所以取天下也。項羽有一范增而不能用,此其所以為我擒也。
【書き下し】夫れ籌策を帷帳の中に運らし、勝を千里の外に決するは、吾子房に如かず。国家を鎮め百姓を撫し、餽馕を給し糧道を絶たざるは、吾蕭何に如かず。百萬の軍を連ね、戦へば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾韓信に如かず。此の三者は、皆人傑なり、吾能く之を用ゐる、此れ吾が天下を取る所以なり。項羽は一范増有れども而も用ゐる能はず、此れ其の我が擒と為る所以なり」

陣幕の中で策を練り、千里の外で勝ちを決めることでは、私は張良(子房)に及ばない。国を治め、民をいたわり、兵糧を絶やさないことでは、蕭何に及ばない。百万の軍を率いて必ず勝つことでは、韓信に及ばない。この三人はみな傑物だ。私は彼らを使うことができた。だから天下を取った。項羽には范増という参謀が一人いたのに、それさえ使えなかった。

「漢の三傑」の出典になった一段です。

劉邦は、三つの分野すべてで「自分は及ばない」と言い切っています。そのうえで「使うことができた」ことを勝因に挙げている。トップの仕事は、どの分野でも一番であることではなく、自分より優れた人を見つけて、疑わずに任せることだ、と。

前の項羽と並べると、対比がはっきりします。項羽は一人で七十戦勝ち、劉邦は三人に勝たせた。

出典:史記 高祖本紀史記 高祖本紀

三、女、会稽の恥を忘れたるか ― 胆を嘗める王

世家からは、越王・句践(こうせん)です。呉王・夫差に会稽山で敗れ、命乞いをしてようやく許された王です。

【白文】越王句踐反國,乃苦身焦思,置膽於坐,坐臥卽仰膽,飲食亦嘗膽也。曰:「女忘會稽之恥邪?」身自耕作,夫人自織,食不加肉,衣不重采,折節下賢人,厚遇賓客,振貧弔死,與百姓同其勞。
【書き下し】越王句踐国に反り、乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、膽を坐に置き、坐臥即ち膽を仰ぎ、飲食にも亦た膽を嘗む。曰く、「女会稽の恥を忘れたるか」と。身自ら耕作し、夫人自ら織り、食に肉を加へず、衣に采を重ねず、節を折りて賢人に下り、賓客を厚遇し、貧を振ひ死を弔ひ、百姓と其の労を同じくす。

帰国した句践は、身を苦しめ、心を焦がした。獣の胆(きも)を座席のそばに置き、座るときも寝るときもそれを見上げ、食事のたびに嘗めた。 そして自分に問うた。「お前は会稽の恥を忘れたのか」。自ら田を耕し、夫人は機を織り、食事に肉を添えず、賢者にへりくだり、民と労苦を共にした。

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の「嘗胆」は、ここが出典です。ただし、「臥薪(薪の上に寝る)」は『史記』には出てきません。 後世に付け加わった部分です。『史記』の句践がしたのは、苦い胆を嘗め続けることでした。

見落とされがちなのは、後半です。句践は恥を思い出すだけでなく、自分の暮らしを削り、賢者に頭を下げ、民と同じ労苦を引き受けた。復讐の執念が、そのまま組織の立て直しに向かっています。屈辱を燃料にするとき、燃やす先を間違えなかった王の記録です。

出典:史記 越王句践世家

四、所謂天道は、是か非か ― 善人が報われないことを、正面から書く

列伝の最初の篇、伯夷列伝です。司馬遷はここで、歴史書の冒頭とは思えない問いを立てます。

【白文】或曰、天道無親、常與善人。若伯夷・叔齊、可謂善人者非邪。積仁絜行如此而餓死。且七十子之徒、仲尼獨薦顏淵為好學。然回也屢空、糟糠不厭、而卒蚤夭。天之報施善人、其何如哉。盜蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戾恣睢、聚黨數千人橫行天下、竟以壽終。是遵何德哉。此其尤大彰明較著者也。若至近世、操行不軌、專犯忌諱、而終身逸樂、富厚累世不絕。或擇地而蹈之、時然後出言、行不由徑、非公正不發憤、而遇禍災者、不可勝數也。余甚惑焉、儻所謂天道、是邪非邪。
【書き下し】或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。

「天の道はえこひいきせず、いつも善人に味方する」と言われる。では伯夷・叔斉は善人ではなかったのか。仁を積み行いを潔くして、餓死した。孔子がただ一人「学を好む」と認めた顔回は、貧しさのなかで若死にした。一方、大盗賊の盗跖は、毎日罪のない人を殺しながら天寿を全うした。いわゆる天道は、正しいのか、間違っているのか。私は大いに惑う。

宮刑を受けた司馬遷自身の問いでもあったはずです。

この問いに、司馬遷は答えを出していません。ただ、答えの出ないこの問いを列伝の最初に置き、そのあとに七十篇の人生を並べました。報われた人も、報われなかった人も書く。報われたかどうかではなく、何をしたかで人を記録するという宣言として読めます。

「誠実にやっていれば必ず報われる」とは限らない。それでも誠実にやるかどうかは、自分で決めるしかない。経営の現場で、何度も突きつけられる問いです。

出典:史記 伯夷列伝

五、我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり ― 管鮑の交わり

「管鮑(かんぽう)の交わり」の出典です。斉の宰相として名を残した管仲が、若いころからの友人・鮑叔(ほうしゅく)について語った言葉です。

【白文】吾始困時、嘗與鮑叔賈、分財利多自與、鮑叔不以我為貪、知我貧也。吾嘗為鮑叔謀事而更窮困、鮑叔不以我為愚、知時有利不利也。吾嘗三仕三見逐於君、鮑叔不以我為不肖、知我不遭時也。吾嘗三戰三走、鮑叔不以我怯、知我有老母也。公子糾敗、召忽死之、吾幽囚受辱、鮑叔不以我為無恥、知我不羞小節而恥功名不顯于天下也。生我者父母、知我者鮑子也。
【書き下し】吾始め困みし時、嘗て鮑叔と賈し、財利を分かつに多く自らに与ふるも、鮑叔、我を以て貪と為さず、我が貧なるを知ればなり。吾嘗て鮑叔の為に事を謀りて更に窮困するも、鮑叔、我を以て愚と為さず、時に利不利有るを知ればなり。吾嘗て三たび仕へて三たび君に逐はるるも、鮑叔、我を以て不肖と為さず、我が時に遭はざるを知ればなり。吾嘗て三たび戦ひて三たび走るも、鮑叔、我を以て怯と為さず、我に老母有るを知ればなり。公子糾敗れ、召忽之に死し、吾幽囚せられて辱めを受くるも、鮑叔、我を以て無恥と為さず、我が小節を羞ぢずして功名の天下に顕はれざるを恥づるを知ればなり。我を生みし者は父母なるも、我を知る者は鮑子なり。」

一緒に商売をして、私は儲けを多く取った。鮑叔は私を欲深いと言わなかった。私が貧しいと知っていたからだ。私が事業を企てて失敗した。鮑叔は私を愚かと言わなかった。時に運不運があると知っていたからだ。三度仕えて三度追われた。無能と言わなかった。三度戦って三度逃げた。臆病と言わなかった。私に老母がいると知っていたからだ。——私を生んだのは父母だが、私を知ってくれたのは鮑叔だ。

五つとも、表から見れば「欲深い」「愚か」「無能」「臆病」「恥知らず」と言われても仕方のない行動です。鮑叔は、そのたびに行動の裏にある事情を見ていました。そして最後には、敵方にいた管仲を主君の桓公に推薦し、自分はその下についています。

人を評価するとき、行動の表面だけでラベルを貼ると、管仲のような人材を取り逃がします。

出典:史記 管晏列伝

六、錐の囊中に処るがごとし ― 毛遂、自ら薦む

「毛遂自薦(もうすいじせん)」「嚢中(のうちゅう)の錐(きり)」の出典です。趙の平原君が、楚への使節に連れていく二十人を食客から選んだとき、一人足りなかった。そこへ名乗り出たのが、無名の毛遂でした。

【白文】平原君曰、夫賢士之處世也、譬若錐之處囊中、其末立見。今先生處勝之門下三年於此矣、左右未有所稱誦、勝未有所聞、是先生無所有也。先生不能、先生留。毛遂曰、臣乃今日請處囊中耳。使遂蚤得處囊中、乃穎脫而出、非特其末見而已。
【書き下し】平原君曰く、「夫れ賢士の世に処るや、譬へば錐の囊中に処るがごとし、其の末立ちどころに見る。今先生勝の門下に処ること此に三年、左右未だ称誦する所有らず、勝未だ聞く所有らず、是れ先生の有する所無きなり。先生能はず、先生留まれ」と。毛遂曰く、「臣乃ち今日囊中に処らんことを請ふのみ。遂をして蚤く囊中に処るを得しめば、乃ち穎脱して出でん、其の末見るのみに非ざるなり」と。

平原君は言います。優れた人物は、袋の中の錐のように、すぐに先が突き出て見えるものだ。あなたは三年ここにいるのに、誰もあなたを褒めたことがない。何もないということだ。

毛遂の返答が見事です。私は、今日はじめて袋に入れてほしいとお願いしているのです。早く袋に入れてもらえていれば、先どころか柄まで突き抜けていたでしょう。

平原君の言い分は、組織の評価者がよく口にするものです。「本当に優秀なら、とっくに目立っているはずだ」。しかし毛遂の言うとおり、袋に入れてもらえない錐は、突き出ようがない。 毛遂はこのあと楚で交渉を決め、平原君に「もう天下の士を見立てたなどとは言わない」と言わせることになります。

目立たない社員は、無能なのか、まだ袋に入れていないだけなのか。評価する側が問われる一段です。

出典:史記 平原君虞卿列伝

七、国家の急を先にして私讐を後にす ― 刎頸の交わり

「刎頸(ふんけい)の交わり」の出典、廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)の話です。

秦との外交で手柄を立てた藺相如が、将軍・廉頗より上の位に就きました。廉頗は怒ります。自分は城を攻め野で戦ってきた。あいつは口先だけだ。会ったら必ず辱めてやる。藺相如は廉頗を避け続け、家臣たちに「臆病すぎる」と責められます。

【白文】相如曰、夫以秦王之威、而相如廷叱之。相如雖駑、獨畏廉將軍哉。顧吾念之、彊秦之所以不敢加兵於趙者、徒以吾兩人在也。今兩虎共鬬、其勢不俱生。吾所以為此者、以先國家之急而後私讎也。
【書き下し】相如曰く、「夫れ秦王の威を以てするに、相如之を廷叱す。相如駑と雖も、独り廉将軍を畏れんや。顧って吾之を念ふに、彊秦の敢て兵を趙に加へざる所以は、徒だ吾両人の在るを以てなり。今両虎共に鬬はば、其の勢俱には生きず。吾此を為す所以は、国家の急を先にして私讎を後にするを以てなり」と。

私は秦王さえ朝廷で叱りつけた。廉将軍を恐れるはずがない。ただ、強い秦が趙に攻めてこないのは、私たち二人がいるからだ。二頭の虎が争えば、両方は生き残れない。 私が避けているのは、国の急を先にして、私の怨みを後にしているからだ。

これを伝え聞いた廉頗は、上半身裸になって荊(いばら)の鞭を背負い、藺相如の門まで謝りに行きました(「負荊(ふけい)」)。二人は、首をはねられても悔いない友になります。

組織のなかで、実務で叩き上げた幹部と、外から来た抜擢組が衝突するのは、今も変わらない構図です。面子の争いに勝つことより、争わないことで組織を守る。 そして、間違いに気づいたほうが、地位にこだわらず頭を下げる。どちらか片方だけでは、刎頸の交わりにはなりませんでした。

出典:史記 廉頗藺相如列伝

八、士は己を知る者の為に死す ― 豫譲の忠義

刺客列伝から、豫譲(よじょう)の言葉です。主君の智伯を滅ぼされ、その頭蓋骨を酒器にされた豫譲は、山中に逃れてこう誓います。

【白文】嗟乎、士為知己者死、女為說己者容。今智伯知我、我必為報讎而死、以報智伯、則吾魂魄不愧矣。
【書き下し】嗟乎、士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる。今智伯我を知る、我必ず為に讎を報じて死し、以て智伯に報いば、則ち吾が魂魄愧ぢざらん」と。

士は自分を知ってくれた者のために死に、女は自分を喜んでくれる者のために装う。 智伯は私を知ってくれた。必ず仇を討って死のう。

見落とされやすいのは、この言葉の前段です。豫譲は、智伯の前に范氏・中行氏に仕えていましたが、そこでは名を知られることもなかった。同じ豫譲が、重んじてくれなかった主君のためには何もせず、重んじてくれた智伯のためには命を懸けました。

人が本気で力を尽くすのは、報酬の額よりも、自分をわかってくれているという実感があるときです。前の管鮑の交わりと、同じことを裏から言っています。

出典:史記 刺客列伝

九、陛下は兵に将たる能わず、而して善く将に将たり ― 多多益善

淮陰侯列伝から、韓信です。若いころ町のごろつきの股をくぐらされた屈辱に耐えた話(股くぐり)でも知られる、漢の大将軍です。天下が定まったあと、劉邦と韓信が、将軍たちの力量を論じ合う場面があります。

【白文】上問曰、如我能將幾何。信曰、陛下不過能將十萬。上曰、於君何如。曰、臣多多而益善耳。上笑曰、多多益善、何為為我禽。信曰、陛下不能將兵、而善將將、此乃信之所以為陛下禽也。
【書き下し】上問ひて曰く、「我の如きは能く幾何を将ゐん」と。信曰く、「陛下は十万を将ゐるに過ぎず」と。上曰く、「君に於いては何如」と。曰く、「臣は多々にして益々善きのみ」と。上笑ひて曰く、「多々益々善しとせば、何為れぞ我に禽にせらるる」と。信曰く、「陛下は兵を将ゐる能はず、而して善く将に将たり、此れ乃ち信の陛下に禽にせらるる所以なり。

私はどれほどの兵を率いられるか。——陛下は十万まででしょう。お前はどうだ。——多ければ多いほどよい(多多益善)。 では、なぜお前は私に捕らえられたのか。——陛下は兵を率いるのはお得意ではない。しかし、将を率いるのがお上手です。だから私は陛下に捕らえられたのです。

二の「吾、子房に如かず」を、使われる側から言い直した言葉です。兵を率いる力と、将を率いる力は、別の才能だと、当の名将が認めています。現場で最強のプレーヤーが、そのまま組織のトップに向くとは限らない。

ただし、韓信の物語はここで終わりません。この問答の前、韓信は謀反の疑いで捕らえられ、「狡兎死して良狗烹らる(すばしこい兎が死ねば、よい猟犬は煮て食われる)」と嘆いています。天下が定まれば、最強の将軍は用済みの脅威になる。多多益善の名将は、最後は処刑されました。

出典:史記 淮陰侯列伝史記 淮陰侯列伝史記 淮陰侯列伝

十、桃李言わざれども、下自ら蹊を成す ― 口下手な将軍

李将軍列伝の結び、司馬遷自身の評です。李広(りこう)は匈奴との戦いで名を上げた将軍でしたが、大きな恩賞に恵まれず、最後は自ら命を絶ちました。

【白文】余睹李將軍悛悛如鄙人,口不能道辭。及死之日,天下知與不知,皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也?諺曰「桃李不言,下自成蹊」。此言雖小,可以諭大也。
【書き下し】余李将軍を睹るに、悛悛として鄙人のごとく、口に辞を道ふ能はず。死するの日に及び、天下知ると知らざると、皆為に哀を尽くす。彼れ其の忠実の心誠に士大夫に信ぜられたるか。諺に曰く、「桃李言はざれども、下自ら蹊を成す」と。此の言小なりと雖も、以て大を諭す可きなり。

私が見た李将軍は、朴訥で田舎者のようで、うまく話すこともできなかった。それでも死んだ日には、天下の人が、知る者も知らない者も、みな心から悲しんだ。ことわざに言う。「桃や李(すもも)は何も言わないが、その下には自然と道ができる」。

実のなる木は、自分から呼び込まなくても、人が集まってきて、木の下に小道ができる。雄弁でなくても、誠実さは伝わる、という意味です。「成蹊(せいけい)大学」の校名もこの句から来ています。

司馬遷はこの評の冒頭に、論語の「其の身正しければ、令せずして行わる」を引いています。号令より先に、自分の在り方。話がうまくない経営者でも、人がついてくる会社がある理由を、この一句は言い当てています。

出典:史記 李将軍列伝

十一、倉廩実ちて礼節を知る ― 経済を正面から書いた篇

貨殖列伝は、商人と金儲けの列伝です。儒教の建前では卑しいとされた商売を、司馬遷は正面から一篇にしました。

【白文】故曰:「倉廩實而知禮節,衣食足而知榮辱。」禮生於有而廢於無。故君子富,好行其德;小人富,以適其力。淵深而魚生之,山深而獸往之,人富而仁義附焉。富者得埶益彰,失埶則客無所之,以而不樂。夷狄益甚。諺曰:「千金之子,不死於市。」此非空言也。故曰:「天下熙熙,皆為利來;天下壤壤,皆為利往。
【書き下し】故に曰く、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」と。礼は有に生じて無に廃る。故に君子富めば、好んで其の徳を行ひ、小人富めば、以て其の力に適す。淵深くして魚之に生じ、山深くして獣之に往き、人富みて仁義焉に附く。諺に曰く、「千金の子は、市に死せず」と。此れ空言に非ざるなり。故に曰く、「天下熙熙として、皆利の為に来たり、天下壤壤として、皆利の為に往く」と。

倉が満ちてはじめて礼節を知り、衣食が足りてはじめて栄誉と恥を知る。 礼は、ゆとりのあるところに生まれ、欠乏すれば廃れる。淵が深ければ魚が生まれ、山が深ければ獣が集まるように、人が富めば仁義がそこに寄り添う。天下の人がにぎやかに集まってくるのも、ざわめいて去っていくのも、みな利のためだ。

「衣食足りて礼節を知る」の出典として知られますが、この言葉自体は、もともと斉の管仲の言葉として伝わるものです。司馬遷はそれを引いたうえで、人が利を求めるのは自然なことだと言い切っています。道徳を説く前に、まず暮らしを立てる。

社員に理念や行動規範を求めるとき、その前提となる待遇や職場の安定が整っているか。二千年前の歴史家が、そこを先に見ていました。

出典:史記 貨殖列伝

十二、往事を述べて、来者を思う ― 発憤して書く

最後は、太史公自序です。李陵を弁護して宮刑を受けた司馬遷が、牢獄で自分に向けて書いた言葉です。

【書き下し】昔西伯羑里に拘せられて、周易を演べ、孔子陳蔡に戹しみて、春秋を作り、屈原放逐せられて、離騒を著し、左丘明を失ひて、厥に国語有り、孫子臏脚せられて、兵法を論じ、不韋蜀に遷されて、世に呂覧を伝へ、韓非秦に囚はれて、説難・孤憤あり。詩三百篇、大抵賢聖発憤の為に作る所なり。此の人皆意に鬱結する所有り、其の道を通ずるを得ず、故に往事を述べて、来者を思ふ」と。

周の文王は幽閉されて『周易』を推し広げ、孔子は陳・蔡で苦しんで『春秋』を作り、屈原は追放されて『離騒』を書き、左丘明は視力を失って『国語』を残し、孫子(孫臏)は足を斬られて兵法を論じ、呂不韋は蜀に流されて『呂氏春秋』を伝え、韓非は秦に囚われて『説難』『孤憤』を書いた。『詩経』の三百篇も、たいていは賢者や聖人が発憤して作ったものだ。この人々はみな、心に晴れないものを抱え、志を通すことができなかった。だから過ぎたことを書き記して、後に来る人に思いを託したのだ。

『史記』は、司馬遷が屈辱を受けたあとに書き継がれました。この一段に名の挙がった書のうち、『周易』『呂氏春秋』『韓非子』は、師導にも収録されています。二千年以上読まれている本の多くが、書いた人の最悪の時期に書かれている。司馬遷は、それを自分の支えにしました。

事業が行き詰まったとき、不本意な処遇を受けたとき。その時間に何を書き残すかで、後に来る人に渡せるものが変わります。

出典:史記 太史公自序

十二句を並べ直す

最後に、十二句を並べ直しておきます。

一、天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ず ——負けを天のせいにした瞬間、学べなくなる。
二、吾、子房に如かず ——トップの仕事は、自分より優れた人を使うこと。
三、会稽の恥を忘れたるか ——屈辱を燃やす先は、自分の暮らしと組織の立て直し。
四、所謂天道は是か非か ——報われるかどうかと、何をするかは別の問題。
五、我を知る者は鮑子なり ——行動の表面ではなく、事情を見る。
六、錐の囊中に処るがごとし ——袋に入れなければ、錐は突き出ない。
七、国家の急を先にして私讐を後にす ——面子の争いより、組織を守る。
八、士は己を知る者の為に死す ——人は、わかってくれる人のために力を尽くす。
九、善く将に将たり ——兵を率いる力と、将を率いる力は別の才能。
十、桃李言わざれども、下自ら蹊を成す ——号令より先に、自分の在り方。
十一、倉廩実ちて礼節を知る ——道徳を説く前に、暮らしを立てる。
十二、往事を述べて、来者を思う ——最悪の時期に、何を書き残すか。

並べてみると、十二句のうち半分以上が、人をどう見るか、どう使うかの話だと気づきます。鮑叔は管仲の事情を見抜き、平原君は毛遂を見落としかけ、劉邦は三人を使い、項羽は范増一人さえ使えなかった。

『史記』は、英雄の成功物語の本ではありません。同じ時代、同じ条件のもとで、人を活かした者と、活かせなかった者の記録です。そしてその記録を、自分自身が報われなかった人が書きました。天道は是か非か、と問いながら。


この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・書き下し文・現代語訳と解説つきで収録しています。『史記』は本紀から列伝、太史公自序まで、五百六十九の章句を読めます。

史記の名句一覧

『史記』から生まれた故事成語を、原典で読み直した記事もあります。

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荘子の名言12選 — 原文・現代語訳と、役に立つという物差しの外し方
易経の名言12選 — 原文・現代語訳と、占いの書が経営者に読まれてきた理由
五輪書の名言12選 — 原文・現代語訳と、剣術の本の形をした物の見方
徒然草の名言12選 — 原文・現代語訳と、兼好が見た「失敗はどこで起きるか」

韓信や范増が主君のもとを去った記録を、「優秀な人ほど辞めていく」という悩みから読み直した記事もあります。

優秀な人ほど辞めていく ― 原因を七つに切り分ける、東洋古典の処方箋