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史記 / 貨殖列伝

故に曰く、倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知ると。礼は有に生じて無に廃る。故に君子富めば、好んで其の徳を行ひ、小人富めば、以て其の力に適す。淵深くして魚之に生じ、山深くして獣之に往き、人富みて仁義焉に附く。諺に曰く、千金の子は、市に死せずと。此れ空言に非ざるなり。故に曰く、天下熙熙として、皆利の為に来たり、天下壤壤として、皆利の為に往くと。

書き下し

故に曰く、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」と。礼は有に生じて無に廃る。故に君子富めば、好んで其の徳を行ひ、小人富めば、以て其の力に適す。淵深くして魚之に生じ、山深くして獣之に往き、人富みて仁義焉に附く。諺に曰く、「千金の子は、市に死せず」と。此れ空言に非ざるなり。故に曰く、「天下熙熙として、皆利の為に来たり、天下壤壤として、皆利の為に往く」と。

現代語訳

「暮らしの安定こそが、道徳や礼節の土台になる——豊かさは、徳を行う力になる」——司馬遷が、経済と道徳の関係を、現実的に見据えた一段です。司馬遷は、まず有名な格言を引きます。「倉に穀物が満ちてこそ、人は礼節をわきまえるようになり、衣食が足りてこそ、人は名誉と恥を気にかけるようになる(倉廩實而知禮節、衣食足而知榮辱)」と。道徳や礼儀といったものは、抽象的な精神論だけで成り立つのではなく、まず暮らしの安定という土台があってこそ育つ、という現実です。彼は続けます。「礼は、(暮らしに)ゆとりがあるところに生まれ、(暮らしが)欠乏すれば廃れてしまう(禮生於有而廢於無)」。そして、豊かさが徳につながることを述べます。「だから、君子は富めば、進んで善い行い(徳)をなし、庶民も富めば、その力を、(世のため人のため)ふさわしく用いる。淵が深ければ魚が棲みつき、山が深ければ獣が集まるように、人は富めば、そこに仁義が備わってくる(人富而仁義附焉)」と。豊かさは、けっして悪ではなく、むしろ徳を行うための力になる、というのです。そのうえで司馬遷は、人が利益を求めることを、ありのままに認めます。「諺に『千金を持つ家の子は、(分別があって罪を犯さず)市場で処刑されて死ぬことはない』とあるが、これは根拠のない話ではない。だからこう言われる。『天下の人々は、賑わい集まって、皆、利益のためにやって来て、ざわめき散って、皆、利益のために去っていく(天下熙熙、皆為利來、天下壤壤、皆為利往)』と」。人が利を求めるのは、自然な性であり、それを頭から否定しても仕方がない、という冷静な認識です。ここに、豊かさと徳についての教訓があります。第一に、道徳や礼節は、精神論だけでなく、まず暮らしの安定という物質的な土台があってこそ育つということ(衣食足而知榮辱)。人々に道徳を求める前に、まずその暮らしを豊かにすることが、土台となる。第二に、豊かさ・富は、それ自体が悪なのではなく、むしろ善い行い(徳)をなすための力になりうるということ(君子富、好行其德)。富を得ることを卑しむのではなく、それを正しく用いることを考えるべきである。第三に、人が利益を求めるのは自然な性であり、それを否定するのではなく、直視して踏まえること(皆為利來、皆為利往)。組織や社会で、道徳の土台として暮らしの安定を重んじること、豊かさを悪としてでなく徳を行う力として捉えること、そして人が利を求める自然な性を直視すること——司馬遷のこの経済観は、豊かさと徳の現実的な関係を教えます。

解説

あなたは、人々に道徳や規律を求める前に、まずその暮らしや処遇を安定させるという「土台」を、大切にできていますか?豊かさや富を、それ自体を卑しいものとしてでなく、むしろ善い行いをなすための力として、正しく用いる視点を持てていますか?人が利益を求めるのは自然な性であることを、頭から否定するのではなく、現実として直視したうえで、物事を考えられていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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