「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、小さな鳥に大きな鳥の志は分からない、という意味の言葉です。二千百年前、雇われ農夫だった一人の男が口にしました。出典は『史記』陳渉世家。原文と現代語訳を確かめたうえで、この言葉を口にした陳勝がその後どうなったのかまで見ていきます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味
読み方
「えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや」と読みます。「安んぞ」は「いずくんぞ」で、どうして〜だろうか、という反語です。「安くんぞ」と書かれることもあり、読みも意味も同じです。
白文(原文)は 燕雀安知鴻鵠之志哉。書き下すと「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」となります。
意味
小人物には大人物の志など分かるはずがない、という意味です。反語ですから、断定するとこうなります——お前たちに、私の志は分からない。
言われた側からすれば、かなり見下された言葉です。実際、この言葉はそういう場面で発せられました。
「燕雀」と「鴻鵠」はどんな鳥か
燕雀(えんじゃく)は、燕(つばめ)と雀(すずめ)。どちらも人里で見かける小さな鳥です。転じて、小人物のたとえに使われます。
鴻鵠(こうこく)は、鴻(おおとり/ひしくい)と鵠(くぐい=白鳥)。大型の水鳥で、高く飛び、遠くへ渡ります。転じて、大人物のたとえです。
「鴻鵠の志(こうこくのこころざし)」だけを取り出して、大きな志、という意味で使うこともあります。
小さな鳥は低いところを飛び、大きな鳥は高いところを飛ぶ。見えている景色が違う——この一句は、その差を鳥に託しています。
出典は『史記』陳渉世家
出典は司馬遷の『史記』、巻四十八の陳渉世家です。秦末の農民反乱を起こした陳勝(字は渉)の伝記にあたります。
原文(白文)
陳勝者,陽城人也,字涉。吳廣者,陽夏人也,字叔。陳涉少時,嘗與人傭耕。輟耕之壟上,悵恨久之,曰:「苟富貴,無相忘。」傭者笑而應曰:「若為傭耕,何富貴也?」陳涉太息曰:「嗟乎,燕雀安知鴻鵠之志哉!」
書き下し文
陳勝は、陽城の人なり、字は渉。呉広は、陽夏の人なり、字は叔。陳渉少(わか)き時、嘗(かつ)て人と傭耕(ようこう)す。耕すを輟(や)めて壟上(ろうじょう)に之(ゆ)き、悵恨(ちょうこん)すること之を久しくして曰く、「苟(いやし)くも富貴ならば、相い忘るる無かれ」と。傭者笑いて応えて曰く、「若(なんじ)傭耕を為す、何ぞ富貴ならんや」と。陳渉太息して曰く、「嗟乎(ああ)、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と。
現代語訳
陳勝は陽城の人で、字を渉といった。呉広は陽夏の人で、字を叔といった。陳渉は若いころ、人に雇われて畑を耕していた。ある日、耕す手を止めて畦(あぜ)に上がり、しばらく物思いに沈んでから言った。「もし出世したら、お互い忘れずにいような」。仲間の雇われ農夫は笑って答えた。「お前は雇われて耕している身だ。どうして出世などできるものか」。陳渉は深くため息をついて言った。「ああ、燕や雀に、鴻や鵠の志が分かるものか」。
なお、この故事は『十八史略』にも採られており、そちらの簡略な形で引かれることも少なくありません。原典は上の『史記』です。
誰が言ったのか — 陳勝という人物
雇われ農夫から、王へ
陳勝は名家の出ではありません。人に雇われて畑を耕す身分でした。当時は秦の二世皇帝の時代。始皇帝の統一からまもなく、厳しい法と重い労役に各地で不満がたまっていました。
やがて陳勝は呉広とともに徴発され、辺境の守備へ向かう途中で大雨に遭い、期日に間に合わなくなります。秦の法では遅参は死罪でした。
王侯将相、寧んぞ種有らんや
そこで陳勝が部下に言った言葉が、もう一つの有名な一句です。
王侯將相、寧有種乎。
王侯将相、寧んぞ種有らんや。——王も諸侯も将軍も宰相も、生まれつきの血統で決まっているわけではないだろう。
どうせ死ぬなら名を挙げよう、と彼は言いました。これが中国史上初とされる大規模な農民反乱の始まりです。陳勝は自ら王を名乗り、国号を「張楚」としました。
そして、六か月
しかし『史記』は、この人物の最期まで書いています。陳勝王たること凡そ六月——王でいられたのは六か月でした。秦の討伐軍に敗れ、逃げる途中で自分の御者に殺されています。
志は残りました。陳勝の蜂起が引き金となって各地で反乱が起き、やがて項羽と劉邦が現れ、秦は三代で滅びます。ただし、その果実を手にしたのは陳勝ではありませんでした。
『史記』が書いたもう一つの場面
この言葉を志の話としてだけ読むと、『史記』が同じ伝の中に書いたもう一つの場面を落としてしまいます。
訪ねてきた旧友
王となった陳勝のもとに、かつて一緒に雇われ農夫をしていた男が訪ねてきます。門番に取り次いでもらえず、道で待ち構えて名を呼び、ようやく宮殿に招き入れられました。
御殿の造りと帳(とばり)を見た男は、思わず口にします。「夥頤(かい)、渉の王たる沈沈たるや」——すごい、渉の王ぶりの立派なことよ。
その男は、宮中で陳勝の昔話を吹聴しました。陳王之を斬る。『史記』は、そのあとをこう続けます。
諸陳王故人皆自引去、由是無親陳王者。
陳王の旧友たちはみな自分から去っていき、これによって陳王に親しむ者はいなくなった。
「燕雀」と呼んだ相手は、味方になり得た人たちだった
畑で笑った仲間と、宮殿を訪ねてきた男は、同じ側の人間です。かつて「燕雀に鴻鵠の志は分かるまい」と言った相手が、王になったあとに残っていた数少ない縁でした。それを切って、誰もいなくなった。
半年で滅んだ理由を、この一場面だけに帰することはできません。ただ、『史記』が志の一句とこの場面を同じ伝に並べて置いていることは、読む側として受け止めておいてよいでしょう。
似た言葉 — 荘子の鵬と、沼地の小雀
小知は大知に及ばず
大きな鳥と小さな鳥を対比する話は、陳勝より前の『荘子』逍遥遊にあります。
有鳥焉,其名為鵬,背若泰山,翼若垂天之雲,摶扶搖羊角而上者九萬里……斥鴳笑之曰:「彼且奚適也?我騰躍而上,不過數仞而下,翱翔蓬蒿之間,此亦飛之至也。而彼且奚適也?」此小大之辯也。
鳥有り、其の名を鵬と為す。背は泰山の若く、翼は垂天の雲の若し。……斥鴳(せきあん)之を笑いて曰く、「彼は且た奚(いず)くにか適かんとするや。我は騰躍して上るも、数仞に過ぎずして下り、蓬蒿の間に翱翔す。此も亦た飛ぶの至りなり」と。此れ小大の辯なり。
背が泰山ほどもある鵬が九万里の高さへ舞い上がる。それを沼地の小雀が笑って、あいつはどこへ行く気だ、私だってこれで飛ぶことの極みだ、と言う。荘子はこれを「小大の辯(べん)」——小さいものと大きいものの区別だ、と締めます。
この寓話が陳勝の言葉のもとになったとする説もありますが、確かなことは分かりません。
なお、荘子の書き方は陳勝とは少し違います。荘子は小雀を笑いものにしているようでいて、鵬の側にも「九万里の風が下になければ飛べない」と条件をつけている(/soshi/3088)。どちらが偉いかではなく、それぞれの飛び方がある、という含みが残されています。
その他の類義語
- 鷽鳩、大鵬を笑う(がくきゅう、たいほうをわらう)……上の荘子の寓話から
- 猫は虎の心を知らず
- 小人の心を以て君子を量る
いずれも、小さな側からは大きな側が見えない、という構図です。
この言葉から何を学ぶか
他人の評価で志をたたまない
まず素直に読めば、これは他人の評価に左右されるな、という話です。畑で笑われた男が、その後に王になった。志の中身をまだ形にできていない段階では、たいてい誰にも理解されません。理解されないことは、その志が間違っている証拠にはなりません。
論語にも近い一句があります。
子曰わく、三軍の帥(すい)を奪うべくも、匹夫の志を奪うべからず。
大軍の総大将は奪えても、一人の人間の志は奪えない。外から手を出せないものがある、という言い方です。
ただし、「燕雀」と呼ぶ側には回らない
一方で、この言葉を自分が使うときには気をつけたいところがあります。「燕雀安んぞ」は、相手を見下す言葉として発せられているからです。
志が理解されないとき、理解しない相手を小さいと決めつけるのは、いちばん簡単な処理です。しかしその処理を続けた先に何が起きたかを、『史記』は書き残しました。旧友を斬り、誰もいなくなった。
自分に向けて「志は奪われない」と使うのはよい。人に向けて「お前には分からない」と使い始めたら、それは危険信号だと考えたほうがよさそうです。
志は、いずれ共有されなければ動かない
もう一点。志は一人では実現しません。陳勝も呉広と組み、部下を動かして初めて蜂起できました。
つまり志には二つの段階があります。誰にも理解されない段階と、人に伝えて一緒に動いてもらう段階です。前者で必要なのは「燕雀安んぞ」と踏みとどまる強さで、後者で必要なのはその逆——分かるように語り直す手間のほうです。
曾子はこう言いました。
士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。
志を持つとは、重い荷を長く運ぶことだ、と。畦道で見えた景色を、王になるまで、そして王になってからも保てるかどうか。陳勝の六か月は、その難しさのほうを教えています。