「鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるも ぎゅうごとなるなかれ)」。四字熟語では「鶏口牛後」。
大きな集団のしんがりにつくより、小さな集団でも頭(かしら)になれ。鶏の口(くちばし)になっても、牛の尻にはなるな、という意味です。大企業に入るか、小さな会社で責任ある立場に就くか。独立して起業するか。そんな場面でよく引かれます。
出典は、戦国時代の遊説家・蘇秦(そしん)が、韓(かん)の王を説得したときの言葉です。『戦国策』と『史記』の両方に記録があります。
この言葉を原文で読むと、いくつか意外なことに気づきます。蘇秦はこれを自分の言葉として言っていないこと。この一句の前に、もっと冷静な計算が置かれていること。この一句を聞いて奮い立った韓王が、のちに正反対の説得にもあっさり従ったこと。そして、そもそも「口」と「後」は写し間違いだ、という説が千四百年前からあること。
この記事では、鶏口牛後が出てくる四つの書を読み比べながら、この言葉の本当の使われ方を確かめます。
場面:秦に仕えるか、拒むか
戦国時代の後半、西の秦が抜きんでて強くなり、東の六国(韓・魏・趙・燕・斉・楚)は、秦に個別に従うか、手を組んで対抗するかの選択を迫られていました。
六国が縦に連合して秦に対抗する策を「合従(がっしょう)」、秦と横に結んで個別に従う策を「連衡(れんこう)」と言います。蘇秦は合従を説いて回った人物とされ、その一国が、秦のすぐ東にある小国・韓でした。
まず原文を読む
『戦国策』から、蘇秦が韓王を説く場面の後半を引きます。
【書き下し】大王秦に事うれば、秦必ず宜陽・成皋を求む。今茲之を効さば、明年又た益々地を割くを求む。之を与うれば、即ち以て之に給する地無し。与えざれば、則ち前功を棄てて後更に其の禍を受く。且つ夫れ大王の地に尽くる有り、而して秦の求めに已む無し。夫れ尽くる有るの地を以て、已む無きの求めに逆らう、此れ所謂怨みを市いて禍を買う者なり、戦わずして地已に削らる。臣鄙語を聞く、『寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ』と。今、大王西面して臂を交え臣として秦に事うれば、何を以て牛後に異ならんや。
秦に仕えれば、秦は必ず宜陽と成皋の土地を求めてくる。今年差し出せば、来年はもっと割けと言ってくる。与え続ければ与える土地がなくなり、途中で断れば、それまでの譲歩が無駄になったうえに攻められる。王の土地には限りがあるが、秦の要求には限りがない。 限りある土地で限りない要求に応じるのは、怨みを買って禍を招くようなものだ。戦わないうちに、国土は削られてしまう。
そして最後に、この一句が来ます。
【白文】臣聞鄙語曰:『寧為雞口,無為牛後。』
私は田舎のことわざでこう聞いております。「むしろ鶏の口になっても、牛の尻にはなるな」と。いま西を向き、腕を組んで秦に臣下として仕えるのは、牛の尻になるのと何が違いましょう。
蘇秦の言葉ではなく、「田舎のことわざ」
原文で目を引くのは、蘇秦がこの句を「鄙語(ひご)」として引いていることです。鄙は田舎、鄙語は田舎で言われていることわざ。『史記』でも同じく「鄙諺(ひげん)」です。
つまり「鶏口牛後」は、蘇秦が作った名言ではありません。当時すでに庶民のあいだで言われていた言い回しを、蘇秦が説得の最後に持ち出したものです。
これには意味があります。長い理屈のあとに、誰でも知っている短いことわざを置く。王は、理屈で納得したうえに、それが昔からの知恵とも一致していると感じる。説得の締めとして、よく計算された置き方です。
本論は、鶏口ではなく「尽くる有るの地」
もう一つ、原文を読むと分かるのは、蘇秦の説得の本体はことわざではないということです。
ことわざの前に置かれているのは、冷静な計算でした。土地には限りがある。要求には限りがない。だから譲歩を始めたら、どこかで必ず行き詰まる。 今年差し出せば来年また求められる。途中で断れば、それまでの譲歩が全部無駄になる。
これは交渉の世界でよく知られた構図です。一度値引きに応じた取引先は、次も値引きを求めてくる。一度無理な納期を呑めば、それが次の標準になる。譲歩には、それ自体に次の譲歩を呼び込む性質がある。
唐代の『長短経』も、この場面をほぼそのまま収めています。
【書き下し】臣聞く、鄙諺に曰く『寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ』と。
師導の『長短経』の解説は、この段についてこう書いています。「理屈としては、限りある土地で限りない要求に応じられないという前段が本論でした。それを諺一つで言い切ったから、韓王は剣に手をかけて即決した」。
鶏口牛後という言葉だけが有名になり、その前の計算は忘れられました。しかし蘇秦が王を動かせたのは、計算で土台を作ってから、ことわざで背中を押したからです。
出典:長短経 七雄略
韓王は剣に手をかけた
蘇秦の説得を聞いた韓王の反応は、原文で読むと、かなり激しいものです。
【書き下し】韓王忿然として色を作し、臂を攘げ剣を按じ、天を仰ぎて太息して曰く、「寡人死すと雖も、必ず秦に事うること能わず。
韓王は顔色を変え、腕をまくり、剣に手をかけ、天を仰いで大きく息をついて言った。「私は死んでも、秦には仕えない」。
ここで蘇秦が使ったのは、王の誇りです。説得の前半で、蘇秦は韓の強弓や名剣を並べ立て、「韓の兵は一人で百人に当たる」と持ち上げています。それほどの国と王が、牛の尻になるのか——。損得の計算で納得させ、最後は誇りで動かす。
『史記』蘇秦列伝にも、ほぼ同じ場面があります。
【書き下し】臣鄙諺を聞くに曰く、寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ、と。
師導の『史記』の解説は、ここに一つ注意を添えています。誇りを煽る手法は、冷静な損得計算より感情を優先させる危うさも含む、と。
その危うさは、すぐに現実になります。
出典:史記 蘇秦列伝
同じ韓王が、正反対の説得にも従った
『戦国策』には、蘇秦の説得と対になる場面が収められています。連衡を説く張儀(ちょうぎ)が、同じ韓王のもとへやって来るのです。
張儀の論法は、蘇秦とまったく逆でした。韓は山ばかりで、穫れるのは麦か豆。一年不作なら民は糟糠にも事欠き、二年分の蓄えもない。兵は三十万と言っても雑兵込みで、実際に戦えるのは二十万に満たない。対する秦は武装兵百万余。韓は強いのではなく弱い、と数字で突きつけます。
【書き下し】夫れ禍を造りて福を求め、計浅くして怨み深く、秦に逆らいて楚に順わば、亡ぶる無からんと欲すと雖も、得べからざるなり。故に大王の為に計るに、秦に事うるに如くは莫し。
自分で禍を作っておいて福を求め、浅い計略で深い怨みを買い、秦に逆らって楚に従うなら、滅びたくないと思っても滅びる。だから秦に仕えるのがいちばんだ——。
韓王の答えは、こうでした。
【書き下し】韓王曰く、「客幸いに之を教う、請う郡県に比し、帝宮を築き、春秋を祠り、東藩と称し、宜陽を効さん。」
よくぞ教えてくださった。韓を秦の郡県並みに扱ってくれ。秦の宮殿の造営に協力し、秦の祭祀に従い、東の藩屏を名乗り、宜陽を差し出そう。
蘇秦が「秦に仕えれば、必ず宜陽を求められる」と予言した、その宜陽です。「死んでも秦には仕えない」と剣に手をかけた王が、別の説得を聞いて、自分から宜陽を差し出すと言っている。
『史記』の張儀列伝も、張儀が韓・斉・趙・燕を次々に説いて回り、諸侯がみな従ったと記しています。
そして韓はどうなったか
韓は、六国のなかで最初に秦に滅ぼされた国です(前二三〇年)。
鶏口牛後で奮い立った気概は、長く続きませんでした。蘇秦が警告したとおり、秦に従えば土地を求められ、従わなければ攻められる。その板挟みのなかで、韓は少しずつ削られていきました。
なお、『史記』は蘇秦と張儀を同じ時代の好敵手として描いていますが、一九七三年に馬王堆漢墓から出土した帛書『戦国縦横家書』によって、蘇秦の活動は張儀より後の時代だったとする見方が有力になっています。二人が同じ韓王を正反対に説いたという構図には、後世の物語としての整理が入っている可能性があります。
それでも、この対の話が残した教訓は変わりません。誇りに火をつけて決めた決断は、別の人に恐怖を突きつけられると、あっさり裏返る。 決断を支えていたのが計算ではなく感情だったからです。
「口」と「後」は写し間違い? ― 顔之推の説
最後に、もう一つの読み方を紹介しておきます。
六世紀の顔之推(がんしすい)は、子孫に書き残した『顔氏家訓』のなかで、この句そのものに疑問を出しています。
【書き下し】太史公記に曰く、「寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」と。此れは是れ戦国策を刪れるのみ。案ずるに、延篤の戦国策音義に曰く、「尸は、鶏中の主なり。従は、牛の子なり」と。然らば則ち、「口」は当に「尸」と為すべく、「後」は当に「従」と為すべし。俗写の誤りなり。
『史記』の「鶏口・牛後」は、『戦国策』を写すときの誤りだ。後漢の延篤の注によれば、本来は「鶏尸(けいし)」=鶏の群れの主、「牛従(ぎゅうじゅう)」=牛に従う子牛である。だから「口」は「尸」、「後」は「従」とすべきだ——。
この説に従えば、元の意味は「小さな群れでも主であれ、大きな群れで従う子になるな」。口と尻の対比ではなかったことになります。
一つの注釈を根拠にした説なので、断定はできません。師導の解説も「断定するには薄い議論」としています。ただ、興味深いのは、分かりやすい「口と尻」の形のほうが定着したという事実です。鶏のくちばしと牛の尻、という絵が浮かぶからでしょう。言葉は、正確な形より覚えやすい形のほうが生き残ります。
出典:顔氏家訓 書證
結び――鶏口を選ぶなら、計算で選ぶ
鶏口牛後は、いまも独立や起業を後押しする言葉として使われます。原文を読んだうえで言えることを、三つにまとめておきます。
- この言葉は結論ではなく、締めの一押しだった。 本論は「限りある土地で、限りない要求に応じ続けることはできない」という計算。大きな組織に従属し続けることの本当のリスクは、恥ではなく、譲歩が次の譲歩を呼ぶ構造にある。
- 誇りで決めた決断は、恐怖で裏返る。 韓王は、蘇秦の言葉で剣に手をかけ、張儀の数字で宜陽を差し出した。独立を選ぶなら、その根拠は気概ではなく、自分で検証した数字に置いておく必要がある。
- 鶏口であり続けるのは、鶏口になるより難しい。 韓は鶏口を選んだが、六国で最初に消えた。
「牛の尻になるな」と言われて奮い立つのは簡単です。蘇秦の前半の計算——自分の土地には限りがあり、相手の要求には限りがない——を自分の事業に当てはめて考えるほうが、ずっと地味で、ずっと役に立ちます。
この記事で引いた句は、いずれも師導に原文・書き下し文・現代語訳と解説つきで収録しています。『戦国策』は全四百九十七話、『長短経』は全六十四篇を読めます。
同じように、よく知られた故事成語を原典で読み直した記事があります。
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