史記 / 越王句践世家
呉既に越を赦し、越王句踐国に反り、乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、膽を坐に置き、坐臥即ち膽を仰ぎ、飲食にも亦た膽を嘗む。曰、女会稽の恥を忘れたるか。身自ら耕作し、夫人自ら織り、食に肉を加へず、衣に采を重ねず、節を折りて賢人に下り、賓客を厚遇し、貧を振ひ死を弔ひ、百姓と其の労を同じくす。
新字:呉既に越を赦し、越王句践国に反り、乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、胆を坐に置き、坐臥即ち胆を仰ぎ、飲食にも亦た胆を嘗む。曰、女会稽の恥を忘れたるか。身自ら耕作し、夫人自ら織り、食に肉を加へず、衣に采を重ねず、節を折りて賢人に下り、賓客を厚遇し、貧を振ひ死を弔ひ、百姓と其の労を同じくす。
書き下し
呉既に越を赦し、越王句踐国に反り、乃ち身を苦しめ思ひを焦がし、膽を坐に置き、坐臥即ち膽を仰ぎ、飲食にも亦た膽を嘗む。曰く、「女会稽の恥を忘れたるか」と。身自ら耕作し、夫人自ら織り、食に肉を加へず、衣に采を重ねず、節を折りて賢人に下り、賓客を厚遇し、貧を振ひ死を弔ひ、百姓と其の労を同じくす。
現代語訳
「屈辱を胸に刻み、目標を忘れず、自ら苦しみを引き受けて、雪辱の日まで努力を続ける」——「臥薪嘗胆」の語源となった、越王・句踐の雌伏を描いた一段です。呉に赦され、命からがら帰国した越王・句踐は、あの会稽の屈辱を、片時も忘れませんでした。彼は、「身を苦しめ、思いを焦がし(苦身焦思)」、再起のための、凄まじい努力を始めます。有名なのが、「嘗膽(胆を嘗める)」です。句踐は、苦い獣の肝を、いつも座るそばに、置いておきました。そして、座るときも、寝るときも、その苦い肝を、仰ぎ見て、飲食のたびにも、その肝を、舐めたのです(坐臥仰膽、飲食嘗膽)。その苦さを味わうたびに、自らに、こう問いかけました。「お前は、(あの)会稽の恥を、忘れたのか(女忘會稽之恥邪)」と。屈辱を、あえて、日々、味わい直すことで、復讐の志を、燃やし続けたのです。そして、その努力は、自らを律することにも、及びました。句踐は、王でありながら、自ら田を耕し、夫人も、自ら機を織りました。食事に、贅沢な肉を加えず、衣も、色物を重ねず、質素を貫きます。さらに、(自らの)節を曲げてでも、賢者に、へりくだって教えを請い、賓客を厚くもてなし、貧しい者を救い、死者を弔い、そして、民と、その労苦を、共にしました(與百姓同其勞)。トップ自らが、率先して苦しみを引き受け、民と苦楽を共にしたのです。(この、二十年にわたる雌伏の末、句踐は、ついに呉を滅ぼし、雪辱を果たすことになります。)ここに、雌伏と努力についての教訓があります。第一に、屈辱や、悔しさを、忘れずに、胸に刻み続け、それを、努力の原動力に変えること(嘗膽、女忘會稽之恥邪)。人は、喉元過ぎれば、熱さを忘れる。あえて、屈辱を、日々味わい直すことで、志を、燃やし続ける。第二に、目標達成のためには、長い雌伏の期間、自らを厳しく律し、贅沢を退け、地道な努力を、続けること(苦身焦思、食不加肉)。一朝一夕の成功はなく、雪辱は、長年の準備の末に、訪れる。第三に、トップ自らが、率先して苦しみを引き受け、(民や部下と、)苦楽を共にすること(與百姓同其勞)が、周囲の力を、結集させるということ。組織や人生で、屈辱や悔しさを忘れず努力の原動力に変えること、長い雌伏の間も自らを律し地道な努力を続けること、そしてトップ自らが率先して苦しみを引き受け苦楽を共にすること——句踐の臥薪嘗胆は、雌伏して雪辱を期す者のあり方を教えます。