史記 / 淮陰侯列伝
淮陰侯韓信者、淮陰人也。始為布衣時、貧無行。信釣於城下、諸母漂、有一母見信饑、飯信、竟漂數十日。信喜、謂漂母曰、吾必有以重報母。母怒曰、大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食、豈望報乎。淮陰屠中少年有侮信者、曰、若雖長大、好帶刀劍、中情怯耳。眾辱之曰、信能死、刺我、不能死、出我袴下。於是信孰視之、俛出袴下、蒲伏。一市人皆笑信、以為怯。
新字:淮陰侯韓信者、淮陰人也。始為布衣時、貧無行。信釣於城下、諸母漂、有一母見信饑、飯信、竟漂数十日。信喜、謂漂母曰、吾必有以重報母。母怒曰、大丈夫不能自食、吾哀王孫而進食、豈望報乎。淮陰屠中少年有侮信者、曰、若雖長大、好帯刀剣、中情怯耳。眾辱之曰、信能死、刺我、不能死、出我袴下。於是信孰視之、俛出袴下、蒲伏。一市人皆笑信、以為怯。
書き下し
淮陰侯韓信は、淮陰の人なり。始め布衣為りし時、貧にして行無し。信城下に釣す。諸母漂す。一母の信の饑うるを見て、信に飯し、竟に漂すること数十日なる有り。信喜び、漂母に謂ひて曰く、「吾必ず以て母に重報する有らん」と。母怒りて曰く、「大丈夫自ら食する能はず、吾王孫を哀れみて食を進む、豈に報を望まんや」と。淮陰の屠中の少年に信を侮る者有りて曰く、「若長大なりと雖も、好んで刀剣を帯ぶるも、中情は怯なるのみ」と。衆之を辱めて曰く、「信、死する能はば、我を刺せ、死する能はずんば、我が袴下を出でよ」と。是に於いて信孰々之を視、俛して袴下を出で、蒲伏す。一市の人皆信を笑ひ、以て怯と為す。
現代語訳
淮陰侯・韓信は淮陰の人である。無位無官だったころ、貧しく素行も定まらなかった。信は町はずれで釣りをしていた。何人もの女が川で綿を洗っていた。その一人が信の飢えているのを見て食事を与え、綿洗いが終わるまでの数十日間、そうし続けた。信は喜んで、その洗濯女に言った。「私は必ずあなたに厚く報いる」。女は怒って言った。「一人前の男が自分で食べていけないのですよ。私は若様が気の毒で食事を差し上げただけ。報いなど望むものですか」。淮陰の肉屋の若者に、信を侮る者がいて言った。「お前は図体こそ大きく、好んで刀剣を帯びているが、心の中は臆病者だ」。人々の前で辱めて言った。「信よ、死ぬ気があるなら私を刺せ。死ぬ気がないなら、私の股の下をくぐれ」。そこで信は相手をじっと見つめ、身をかがめて股の下をくぐり、腹ばいになった。市場じゅうの人が信を笑い、臆病者だと思った。
解説
「大志を抱く者は、目先の屈辱に耐え、受けた恩を忘れない」——韓信の若き日の、あまりに有名な二つの逸話(漂母の一飯と胯下の辱め)を描いた一段です。若い頃の韓信は、貧しく、定職もない無頼の身でした。城下で釣りをして飢えをしのいでいたとき、洗濯をしていた一人の老女(漂母)が、彼が飢えているのを見かねて、数十日にわたり食事を分け与えてくれました。感激した韓信が「必ずこの恩に厚く報います」と言うと、老女は怒って答えます。「立派な男子が自分で食べていけないのを哀れんで食べさせたまで。見返りなど望んではいない」と。またあるとき、町の乱暴者の若者が韓信に絡み、大勢の前でこう辱めました。「お前は図体は大きく、刀を差しているが、本当は臆病者だろう。度胸があるなら俺を刺せ。できないなら、俺の股の下をくぐれ」と。韓信は、相手をじっと見つめた後、身をかがめて、その股の下をくぐり抜けました(胯下之辱)。町中の人々は皆、韓信を臆病者だと笑いました。ここに、二つの深い教訓があります。第一に、大志を抱く者は、目先の些細な屈辱に耐えるということ。韓信は、乱暴者を刺すこともできたでしょうが、そんなつまらない相手のために罪を犯し、大志を果たす前に身を滅ぼすことを避けました。股をくぐるという最大級の屈辱に耐えたのは、臆病だからではなく、より大きな目的のために、一時の面子や怒りを抑える強さを持っていたからです。本当に強い者は、些事にいちいち反応せず、大局を見て耐えることができる。小さな挑発に乗って大きなものを失ってはならない。第二に、受けた恩を決して忘れないこと。韓信は、漂母の一飯の恩を胸に刻みました(後に大成した韓信は、この漂母を探し出して千金を与えて報います)。困窮していたときに受けた小さな親切を、忘れずに深く感謝し、必ず報いる——この恩義に対する律儀さも、韓信の人物の大きさを示します。組織や人生で、目先の些細な屈辱や挑発に耐えて大局を見失わないこと、そして困難なときに受けた恩を忘れず報いること——韓信の若き日の逸話は、大成する者の資質を、屈辱と感謝という二つの側面から示しています。
この章句が説くこと
韓信胯下の辱め漂母の一飯大志は小辱に耐える大局を見る恩を忘れない
この一句を、あなたの毎日に。
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